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魔女の宅急便の世界観!スウェーデンの世界遺産ハンザ同盟都市ヴィスビューの魅力とは?

 

今回ご紹介するのは世界遺産、スウェーデンの「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」です。

皆さんはハンザ同盟都市ヴィスビューについてご存じでしょうか。

ヴィスビューはスウェーデンの東側、バルト海に浮かぶゴットランド島にある町で、早い段階からバルト海交易の中心地として非常に栄えました。

ヴィスビューはハンザ同盟がまだ各地を回る遍歴商人を束ねる組織だった頃に大変な勢力を持ち、やがて遍歴商人が都市に定住し、ハンザ同盟が都市同盟の性格を帯びるようになった後にリューベックによって破壊されました。

そんなスウェーデンの世界遺産、ハンザ同盟都市ヴィスビューの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ヴィスビューの歴史

ヴィスビューの起源は明らかになっていませんが、西暦900年頃には既にバルト海交易の中心地であった事が判明しています。

この頃のヴィスビューは北の海で暴れ回るヴァイキングのバルト海での根拠地として栄えており、ドイツ人の遍歴商人の組合であるハンザ同盟はまだ成立していませんでした。

北方交易の目玉商品はロシア産の毛皮で、莫大な利益を生んでいましたのでドイツ商人は北方交易に参加する為にヴィスビューを訪れました。

しかし、この頃のヴァイキングの法律では異民族には保護されるべき権利が無いという扱いをされていましたので、ドイツ商人がヴァイキングと交易を行うのは常に財産と生命の危険が伴っていました。

この事態を憂慮したザクセン公爵兼バイエルン公爵のハインリヒ獅子公がドイツ商人を束ね、ヴァイキングとの交渉に乗り出します。

西暦1161年にはドイツ商人とヴァイキングとの間に交易上の平等権が確立されました。

またこの時にハインリヒ獅子公はドイツ商人の団体を設立し、代表者に司法権を付与します。

こうしてドイツ商人ハンザが成立しました。

ヴィスビュー大聖堂が建設されたのもこの頃で、ハンザ同盟の中心地だったヴィスビューが発展するとともに教会の数も増えていきました。

ヴィスビューは西暦1237年にはイングランド国王の許可を得て、イングランドの王族、貴族との毛皮交易を一手に引き受けます。

この頃にはドイツ商人が力を付けたために、ドイツからロシア商人は姿を消し、もっぱらドイツ商人ハンザが利益を独占していきました。

ヴァイキングの法律では所有権という概念が非常に薄く、商業上の障害となる可能性すらあった為、ヴィスビューではリューベックなどのドイツ都市から採り入れたヴィスビュー法が制定され、キリスト教の布教とともにヴィスビュー法も広がって行きました。

このように、当時のデファクトスタンダードを確立したヴィスビューはドイツ商人ハンザの中でも特権を有していて、例えばロシアのノヴゴロドにあった商人ハンザのノヴゴロド商館に持ち込まれた訴訟の上訴先はヴィスビューでした。

ノヴゴロド商館での利益も一旦ヴィスビューに送金され、そこでヴィスビュー、リューベック、ドルトムントなどの都市の間で分配されていました。

遅れて力を付けていたリューベックはヴィスビューからこの特権を奪おうと画策します。

西暦1293年のハンザ会議で、ノブゴロド商館での訴訟上訴先がヴィスビューからリューベックに移管され、続く西暦1298年のハンザ会議ではヴィスビューに本拠地のあった遍歴商人団体が廃止されました。

この頃から商人ハンザは遍歴商人の組織ではなく、都市同盟へとシフトしていきます。

西暦1361年に、ヴィスビューを含むゴットランド島はデンマーク王国のヴァルデマー4世によって征服されました。

この時から約300年間、ヴィスビューはデンマーク王国の支配下に置かれることになります。

この300年の間にヴィスビューは徐々に衰退していきました。

西暦1391年からは3回に渡って当時バルト海で暴れ回っていた海賊団に略奪されました。

この海賊団は海軍と言っても過言ではない程の戦力を有していたため、ハンザ同盟やデンマーク王国軍が救援に乗り出したものの、ゴットランド島の解放は成功しませんでした。

苦肉の策でヴィスビューはドイツ騎士団(ドイツ人の聖母マリア騎士修道会)に接近します。

ドイツ騎士団は北方十字軍を通じて、現在のバルト3国に勢力を伸ばしていた団体で、事実上、国家となっていました。

ゴットランド島に上陸したドイツ騎士団軍は海賊団を追い払い、島全域を制圧します。

その後、ゴットランド島はカルマル同盟を結んで同君連合となっていたデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの女王マルグレーテ1世に売却され、デンマーク領に復帰しました。

西暦1470年に、ハンザ同盟から除名されたヴィスビューは、西暦1525年にはかつての盟友でもあるハンザ同盟盟主リューベックによって攻撃され、この時にヴィスビュー大聖堂以外の全ての教会は破壊されてしまいました。

約300年間のデンマークによる統治の後、西暦1645年のブリュッセブロ条約によってゴットランド島はデンマークからスウェーデンに割譲され、現在に至ります。

代表的建造物

大広場(Stora Torget)

旧市街の中心部にある広場は大広場といいます。

この広場の目印は、現在は廃墟となっているサンタカタリーナ教会で、廃墟とはいえ美しいその姿に訪れる人は目を奪われます。

大広場ではいろいろな露店が出店している他、広場を囲むようにカフェが並んでいて、サンタかタリーナ教会を見ながらテラス席でくつろぐことも出来ます。

サンタ・マリア大聖堂

サンタ・マリア大聖堂は西暦1225年に建設された教会です。

ヴィスビュー大聖堂とも呼ばれるこの大聖堂は、15世紀のリューベックによる破壊を免れた唯一の教会で、現在でも宗教活動を行っています。

輪壁

ヴィスビューの旧市街をすっぽりと囲むように立っている城壁は、輪壁と呼ばれています。

総延長3.6キロメートルのこの城壁は、一部が壊れてしまっていますが大部分が現在でもひと繋がりになっていて、ところどころに門や塔も残っています。

役立つ情報&豆知識

こちらではヴィスビュー観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

魔女の宅急便

スタジオジブリの名作、魔女の宅急便をしらない方は少ないと思います。

実はヴィスビューは魔女の宅急便に出てくる町のモデルとなった町なのだそうです。

※スタジオジブリ公式サイトのQ&Aにそのように記載されています。

町中を歩いていると、アニメのシーンとよく似た場所がいくつもみつかるそうですよ。

魔女の宅急便が好きな方は、そういった場所を探して散策してみるという楽しみもありますね!

中世週間

ヴィスビューでは毎年8月の初旬に中世の生活を再現したお祭り「中世週間」が開催されています。

開催日程は毎年8月の第一日曜日から1週間で、この期間中は中世の服や鎧を身に纏った参加者で溢れる、一種のコスプレイベントですね。

期間中は中世の装身具を販売するお店も数多く出ています。

もちろん普段着でもお祭りを楽しむ事はできますが、本当に大勢の人が中世の姿をしていますので、郷に入っては郷に従った方が楽しめると思います。

中世グッズは簡単に揃える事ができますし、終ったあとの記念やお土産にもできますよ。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにハンザ同盟都市ヴィスビューに興味を持って頂けたなら幸いです。

ヴィスビューのあるゴットランド島へはストックホルムから飛行機約45分で行けるので、その気になれば日帰りも十分可能です。

北欧の歴史上は有名な町ではありますが、訪れる人はあまり多くなく、ゆったりと観光できるのがこのヴィスビューです。

残念ながら多くの教会は廃墟となってしまってはいますが、その後ヴィスビューの重要度が下がった事で、かえって当時のままの姿を残すことになり、非常に赴きのある観光スポットとなっています。

廃墟として完全な姿で残っている教会というのは意外に少ないので、それだけでも一見の価値があります。

北欧に旅行するならゴットランドには絶対に行った方がいいという方もいるほど、その魅力に取り憑かれてしまう方もいらっしゃいます。

次回の旅行先がまだお決まりでないようでしたら、是非ヴィスビューへのご旅行もご検討下さい!