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韓流好き集合!韓国の世界遺産、慶州歴史地域とは?

 

今回ご紹介するのは世界遺産、韓国の「慶州(キョンジュ)歴史地域」です。

皆さんは慶州歴史地域についてご存じでしょうか。

慶州歴史地域は韓国の慶州市付近に広がる、新羅王国の遺跡群を保護している地域を指しています。

新羅王国は西暦365年(※紀元前57年説もあります)から西暦935年まで朝鮮半島にあった王国の名前で、朝鮮半島を統一していた時代もありました。

韓流ドラマや映画の題材にもなっていますし、地理的にも日本から近い朝鮮半島の事ですのでその名前を知っている方も多いかもしれません。

そんな韓国の世界遺産、慶州歴史地域の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

慶州の歴史

現在の慶州市付近は新羅の時代には金城と呼ばれていました。

金城は大国の都に相応しく、多くの仏教寺院や古墳、城郭が建設されていたことが判明しています。

諸説有るため、建国年度ははっきりとはしていないのでずが、西暦365年頃というのが有力な説となっています。

異説では紀元前57年説もありますが、客観的証拠の裏付けが乏しく現在で西暦365年頃、斯盧(しら)国が半島東南部の辰韓一二国を統合して、新羅が建国されたというのが有力な説です。

西暦684年には中国の唐王朝と結んで、百済(くだら)・高句麗(こうくり)を攻め滅ぼし、朝鮮半島を統一しました。

半島統一後は優れた唐王朝の制度を積極的に採り入れ国力を付けますが、西暦935年に高麗(こうらい)太祖の王建によって滅ぼされました。

建国当初から西暦935年に滅亡するまでの間、新羅の都が置かれていたのがここ慶州です。

西暦935年、高麗に滅ぼされるまで長い間繁栄を続けた慶州には多くの史跡が残されており、残された史跡の内容から大きく5つの地域に分けられています。

5つの歴史地区

南山(ナムサン)地区

高位(コウィ)峰と金鰲(クモ)峰を中心とした仏教遺跡が数多く残されているのが南山(ナムサン)地区です。

南山(ナムサン)地区は別名を「青空博物館」と言うそうです。

100を超える寺院や、約80体の石仏、摩崖仏が良い状態で保存されており、当時の朝鮮半島での仏教美術を知ることが出来ることからこのように呼ばれています。

この南山(ナムサン)地区にある七仏庵(チルブルアム)は韓国の国宝にも指定されている素晴らしい文化財で、5メートルの岩に掘られた3体の仏と柱状の岩に掘られた4体の仏を合計して七仏庵(チルブルアム)と呼んでいます。

月城(ウォルソン)地区

月城(ウォルソン)地区は新羅の王宮があった地区です。

ここで最も有名な建造物は、7世紀に建設された東アジア最古の天文台と言われている瞻星台(チョムソンデ)です。

実際には誰がいつ、何の目的で建設したのかはっきりとはしていないのですが、少なくとも何らかの天文学的観測が行われたという部分では、歴史学者の意見は一致しています。

瞻星台(チョムソンデ)は石材を積み上げただけの単純な作りであるため、何らかの補強、補修を施さない場合には将来的に地盤沈下等で崩落する可能性があると言われています。

実際に西暦2016年に慶州を襲った地震によって、瞻星台(チョムソンデ)は大きく傾き、石材の隙間も広がってしまいました。

慶州駅から慶州国立博物館への道沿いに広がる庭園は雁鴨池(アナッチ)といいます。

この庭園は道教思想を採り入れた造園されているのではないかと言われています。

3つの島は不老不死の仙人が住む蓬莱 (蓬莱山)、方丈、瀛州の三神山を表し、北側、東側の岸にある12の小山は仙女の住む巫山十二峰を表しているのだそうです。

半月状の形をしていた事からこのような名前がついた半月城(パノォルソン)は新羅の王城でした。

現在では後代に作られた石氷庫(天然の冷蔵庫)が残されている意外には特に何もありません。

かつては栄華を誇った宮殿も、1000年の時を経て何も無くなってしまいました。

山城(サンソン)地区

この地区には明活山城(ミョンファルサンソン)という、土塁や石垣で固められた山城があります。

半月城(パノォルソン)と明活山城(ミョンファルサンソン)によって王都金城を防衛する戦略だったようです。

現在では礎石や門の跡しか残されていませんが、往事は金城の東の防衛戦として軍隊も駐留していたそうです。

皇龍寺(ファリョンサ)跡地区

皇龍寺(ファリョンサ)跡はかつての新羅最大の寺院跡で、その敷地総面積は80,000平方メートルを越えていたそうです。

西暦643年に完成した、新羅最大規模の皇龍寺(ファリョンサ)の大伽藍はその後少なくとも4回に渡って大規模な改修が行われたことが判明しています。

新羅が滅亡した跡も皇龍寺(ファリョンサ)は残っていましたが、西暦1232年のモンゴル軍の襲撃によって焼き払われてしまいました。

西暦1976年から8年をかけて行われた皇龍寺(ファリョンサ)の発掘調査では、40,000点を越える歴史的遺物が出土しました。

大陵苑(テヌンウォン)地区

この地区は新羅の王族や貴族など、地位の高い人々が葬られた墳墓が密集している地区です。

400,000平方メートルの領域に、23基の墳墓が存在しており、西暦1970年代に行われた発掘調査で、皇南大塚(ファンナムデチョン)からはシルクロード交易でもたらされたとみられるローマングラスなどの中東以西の調度品が出土し、天馬塚(チョンマチョン)からは刀剣や装飾品の他、古新羅時代の遺物としては唯一の絵画「天馬図(チョンマド)」が発見されました。

役立つ情報&豆知識

こちらでは慶州観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

サンパッ

慶州の名物料理のサンパッは、テーブルいっぱいにおかずがズラーっと並べられ、好きな者をサンチュで包んで食べる料理です。

いろいろな味を楽しめる事と、好き嫌いがあっても対応しやすいことから旅行ツアーなどでは必ずと言って良いほど提供されています。

「皇南(ファンナム)パン」

パンと言っていますが、実際にはこしあんのおまんじゅうのようなお菓子です。

慶州パンという名前で他のお店でも売っていますが、元祖はこの皇南(ファンナム)パンです。

周辺には他の慶州パンのお店も多いので間違えやすいのですが、この皇南(ファンナム)パンが一番だという方も多く、実際に人気も一番あります。

せっかくですから他のお店のものと食べ比べてみるのもいいかもしれません。

皇南(ファンナム)パン公式サイト 日本語対応しています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけに慶州歴史地域に興味を持って頂けたなら幸いです。

お隣、韓国の世界遺産である慶州歴史地域ですが日本での知名度はそう高いとは言えません。

新羅、任那、高句麗の名前は知っている方は多いとは思うのですが、その歴史的背景まで知っているという方はほとんどいないのではないでしょうか。

実は新羅は日本とは歴史的にも縁が深く、一時期は朝貢関係にあったとも言われています。

また、古代日本の朝鮮半島進出を諦めさせたのも新羅です。

新羅と唐の連合軍に白村江の戦いで敗れていなかったとしたら、その後の歴史が大きく変っていたかもしれません。

慶州へのアクセスは釜山から約30分、ソウルからは約3時間半となっており、その気になれば日帰りでも訪れる事が可能です。

お値段も時間もお手頃かと思いますので、是非慶州へのご旅行もご検討下さい!