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美しいナポリ湾とヴェスヴィオ火山が織りなす風光明媚な景色に酔いしれよう!イタリアの世界遺産ナポリ歴史地区に迫る!

今回ご紹介するのは世界遺産、イタリアの「ナポリ歴史地区」です。

イタリアには数多くの世界遺産があり、ナポリ歴史地区もその一つです。
もともとはギリシャの植民都市ネアポリスが起源とされています。
ネアポリスとは「新しい町」という意味です。

ナポリ湾に面したイタリア第三の都市、ナポリの歴史を踏まえつつご紹介していこうと思います。

ナポリの歴史

先程もお話しましたが、元々はギリシャ植民都市ネアポリスを起源として町が建設されました。
西暦476年までは古代ローマ帝国の支配下にありましたが、その後はゴート族、ランゴバルド族の侵入によって不安定な時代を迎えます。

6世紀には東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のユスティニアヌス1世のイタリア再進出によってイタリアは東ローマ帝国の属州となりました。
この頃、ナポリにも東ローマ帝国傘下の公国が配置されています。

11世紀のノルマン人進出ではナポリ公国も西暦1140年にその支配下に入り、続く12世紀にはホーエンシュタウフェン朝神聖ローマ帝国に組み込まれます。

西暦1266年にローマ教皇クレメンス4世によってシチリア王国はアンジュー家の手に渡ります。
アンジュー家は都をシチリア島のパレルモからナポリに移しました。

その後西暦1284年にシチリア島で反乱が発生した際に、アラゴン王ペドロ3世によってシチリアが占領されてしまいます。

しかし半島側の領土はアンジュー家によって押さえられていたため、事実上シチリア王国は分断される形となりました。
シチリアの王国もナポリの王国も「シチリア王国」を公称としていました。

西暦1443年にはアラゴン王兼シチリア王のアルフォンソ5世がナポリ=シチリア王国を征服し、両方のシチリア王となります。
アルフォンソ5世はナポリが気に入ったのか、この地に長く滞在して統治を行いました。

西暦1458年からはアルフォンソ5世の庶子フェルディナント1世がナポリ=シチリア王国を相続しましたが、フランス王シャルル8世によって1494年にナポリは占領されてしまいます。

縁戚でもあるカスティーリャ=アラゴン連合王国はフランスに対抗してナポリに軍を送りました。
これによってフランスの勢力は南イタリアから追放されましたが、ナポリ=シチリア王国も滅亡し、ナポリはカスティーリャ=アラゴン連合王国のナポリ総督によって統治される事になります。

西暦1701年からのスペイン継承戦争中、西暦1707年にハプスブルク家の軍がナポリに侵攻し占領します。
西暦1733年にポーランド継承戦争が起こるとフランス=ブルボン家とスペイン=ブルボン家の同盟によってスペイン軍がハプスブルク家からナポリを奪還します。

西暦1759年にスペイン王カルロス3世が即位する際、ナポリを含むシチリアの王位を息子のフェルディナント4世に譲りました。

その後、ナポレオンによるイタリア征服でナポリ王はシチリアに追い込まれます。
西暦1806年から西暦1815年まではナポレオンの親族によるフランス傀儡政権がナポリを統治しました。

西暦1815年のウィーン会議によってナポリ王フェルディナントがナポリに帰還する事が認められ、西暦1816年からは両シチリア王フェルディナント1世を名乗りました。

ちょっとわかりにくいのですが、この時までフェルディナントは「ナポリのシチリア王フェルディナント4世」と「シチリア島のシチリア王フェルディナント3世」という2つの称号と名前を持っていたのです。

両シチリア王国は西暦1860、イタリア統一運動を展開するガリバルディによって征服され、西暦1861年にはサルディーニャを主体とするイタリア王国に併合されました。

代表的建造物

王宮

パラッツォ・レアーレ・ディ・ナーポリ(ナポリ王宮)は、もともとはブルボン家の王宮です。
17世紀に造営されましたが、18世紀には宮廷は内陸部のガゼルタ宮殿に移ってしまった為、実際にナポリ王が住んでいた時期はとても短かったそうです。

王宮西側のプレビシート広場(ピアッツァ・デル・プレビシート)に面したファサードには、歴代王の彫像が飾られています。

卵城

海にせり出した古城で、この城を作ったときに卵を中に埋め込み、
「卵が割れるとき、ナポリに危機が訪れるだろう」と呪いを書けたことからこの名前になりました。

名前だけ聞くと卵形をしている城なのかな?と思ってしまいがちですが、卵型ではありません。
この城の屋上からはヴェスヴィオ火山、ナポリ湾、ナポリの街並みを360度見渡す事ができます。

ヌオヴォ城

新しい城という意味のこの城は、古くからあった卵城と区別する為にこのように命名されました。
アンジュー家のナポリ王が建設を命じた事からアンジュー砦とも呼ばれています。

5本の円筒を持つこの城は、宮殿ではなく要塞としての性格が強く、見た目も重厚で厳めしい雰囲気が伝わってきます。
城正面の2本の円筒の間には白い大理石で作られた凱旋門があります。

黒い外壁と白い凱旋門のコントラストが非常に特徴的な建物です。

サンテルモ城

12世紀頃にノルマン人が建設した軍事施設「ベルフォルテ」があった場所にアンジュー家の王が築城した城です。
小高い丘の上にあり、ケーブルカーで訪れるのが便利です。

名前の由来は近くにあった聖エラズモ教会ですが、後になまってサンテルモと呼ばれるようになりました。
16世紀頃、現在のような星形の要塞に改築されたと言われています。

星形要塞は火砲が発達した事で旧来の縦長の要塞の防御力が相対的に下がってしまった為、高い作りから平たい低い作りに変え、射角を確保できるよう多くの稜堡を持った為星形となっている要塞の事です。

星形要塞で有名なものにはアメリカのペンタゴンや幕末の五稜郭があります。

ナポリ大聖堂

13世紀に建設されたナポリ大聖堂は、元々は5世紀頃に建設されたステファニア教会の上に建てられました。
ナポリ司教座が置かれているこのナポリ大聖堂には、守護聖人聖ヤヌアリウスの血が入った瓶が収められています。

年に2回この瓶が公開されるのですが、この時に瓶の中で乾ききった聖ヤヌアリウスの血が液状化すると言われています。
液状化しなかった場合にはナポリに災いがふりかかるという伝説もあるそうです。

この液状化現象は伝説ではなく、実際に液状化するそうです。

科学的分析が行われたことはありませんが、血液以外に大量のゲル物質が含まれているのではないかと科学者は予想しています。

また主祭壇の前には聖ヤヌアリウスの頭蓋骨が入った胸像が設置されていて、こちらも見どころの一つとなっています。

役立つ情報&豆知識

こちらではナポリ観光に役立つ情報と豆知識を紹介していきます。

治安

ナポリはヨーロッパの中でも治安が悪い方です。
過去にはゴミ処理が追いつかなくなるなど、行政サービスの質が問題視されるニュースもありました。

他のイタリアの観光地と違い、女性の一人歩きは避けた方が良いでしょう。
また、夜間は男性でも一人歩きを避けた方が無難です。

一人歩きを避けると言うよりは、団体行動以外では出歩かない方が良いと思います。
また、スペイン地区、フォルチェッラと言った地域はマフィアの拠点となっている場合もありますので昼間の人通りが多い場所以外は立ち寄らない方が良いです。

ナポリピザ

ナポリはピザ発祥の地で有名です。
ピザは新大陸からトマトが持ち込まれた後で出来た食べ物で、元々は貧しい人々が丸いパンの上にトマトとチーズを乗せて食べた事がきっかけでピザが生まれたと言われています。

純粋なナポリピッツァはマリナーラとマルゲリータだけど言われています。

西暦1870年創業のダ・ミケーレでもこの2種類だけが提供されています。
ダ・ミケーレはナポリで最も有名なピッツェリアの1つで、いつも行列が出来ています。

ピアッツァ・ガリバルディ駅から大通りを西に進み、クリーム色の丸い教会が右側に見えたらそこを右に曲がって下さい。
4件ほど先にあるのがダ・ミケーレです。
※ここもフォルチェッラですので明るい内に行く事をお勧めします。

住所:Via Cesare Sersale, 1/3 –Napoli

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにナポリに興味を持って頂けたなら幸いです。
古くから地中海貿易の拠点として栄えたナポリは、美しいナポリ湾とヴェスヴィオ火山が織りなす風光明媚な景色によって古代ローマ時代から有名な観光地でした。

またナポリのイタリア人は明るく、陽気なタイプの人が多いと言われています。

私が昔知り合ったナポリ出身のイタリア人もその典型的タイプでした。

彼とバルで飲みながら話をしているときに、
「日本人はすごいと思う!でもイタリア人も真面目にやったらもうちょっとマシなんだけど、一生懸命働くより一生懸命遊ぶ方がイタリア人には大事だからしかたないよね!」
と、言っていました。

イタリア人全員がこのような考え方なのかどうかはわかりませんが、やっぱり遊ぶ事に関しては日本人よりも上手な気がします。

そんな人々が暮らすナポリを一度訪れてみるのも良いのではないでしょうか。