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破壊されても復元!ポーランドの復元世界遺産のワルシャワ歴史地区をクローズアップ!

 

今回ご紹介する世界遺産は、ポーランドのワルシャワ歴史地区です。
ワルシャワ歴史地区は世界遺産の中でも珍しい特徴があります。

それは、一度徹底的に破壊された後で、全てを再現した、復元世界遺産なのです。

私達日本人にはあまりなじみのないポーランドの世界遺産ワルシャワ歴史地区についてご紹介していきます。

ワルシャワ歴史地区とは?

東欧、ポーランドの首都ワルシャワの旧市街が世界遺産ワルシャワ歴史地区です。

ワルシャワ歴史地区の変わっているところは、旧市街の街並みが歴史的価値を持っているのではなく、戦争で破壊された街並みをヒビ1つに至るまで正確に再現しようとしたワルシャワ市民の熱烈な思いが認められて世界遺産に認定されたところです。

かつてポーランドは中欧の大国として知られていました。
しかし、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、東からソビエト連邦、西からナチスドイツが侵入しポーランドは消滅してしまいます。

ワルシャワの王宮が空襲を受けるなど、ワルシャワを含むポーランド各地では砲撃や空爆などで建物が壊されてしまいました。

戦後、ワルシャワ市民は戦時中に残されていたスケッチや絵画を元に、旧市街の完全な再現を目指し、何年もの時間をかけて戦争前のワルシャワ旧市街を再現しました。

現在のワルシャワ旧市街では、中世から続いているかのような風景を見ることができますが、これは全てワルシャワ市民の気の遠くなるような作業の末に旧市街を再建したからなのです。
全てが破壊され、全てが再建された街並み、それがワルシャワ歴史地区です。

ポーランドの歴史

西暦966年に神聖ローマ皇帝に認められ、ポーランド公国が建国された事がポーランドの始まりです。
ポーランド公国は神聖ローマ帝国と時には近づき、時には敵対し、巧みに立ち回り勢力を伸ばします。

やがて西暦1000年に大司教座が置かれ、1025年にローマ教皇に認められた事を以てポーランド王国が成立したとされています。
ここからポーランドは本格的に国家として歩み始めます。

神聖ローマ帝国に対抗し、勢力を伸ばしていったポーランド王国ですが、西暦1241年にモンゴル帝国の侵入を受け、壊滅的な被害を被ります。

モンゴル帝国の攻撃から持ち直したポーランドは1399年にリトアニアと同君連合を組むと、タンネンベルクの戦い(グルンヴァルトの戦い)でドイツ騎士団を破り、繁栄の時を迎えます。

同君連合のヤゲウォ朝の血統が途絶えると、選挙で王を選出する制度を持つポーランド・リトアニア共和国が成立します。
そしてこの時代にポーランドはヨーロッパ最大の国家となったのです。

しかし強大な国家もやがて衰退し、ポーランドは列強による三回の分割を経て消滅してしまいます。
西暦1795年の国家消滅から120年後の1918年に再び独立したポーランドでしたが、今度はソ連とナチスドイツによって再び消滅してしまいます。

1945年に社会主義国家として再び独立し、1989年からは現在の第三共和制ポーランド共和国になりました。

代表的建造物

旧王宮

旧王宮広場の茶色の建物が旧王宮です。
ワルシャワの王宮の歴史は14世紀に始まります。

当初は小さな宮殿でしたが、16世紀から17世紀にかけて大規模な増築が行われました。
ジグムント3世の治世下で、「ヨーロッパで最も美しい宮殿」と言われた王宮でしたが、第二次世界大戦中、1944年にドイツ軍の空爆を受け破壊されてしまいました。

その後の共産党政権は王宮の修復を長く許可せず、再建が決定されたのは1971年の事でした。
王宮が完全に復元されたのはなんと2009年!
つい最近まで復元工事が行われていたのです。

そんな旧王宮ですが、再現した内部を見るとポーランド王国が非常に繁栄していた事がよくわかります。

宴会場は壁から天井からまさに絢爛豪華と言った感じです。
当時はきっと煌びやかな服を着た貴族がパーティーを開いたりしたのでしょう。

大理石の間には歴代のポーランド王の肖像が飾られています。
王の栄光を表した天井画と、重厚な雰囲気の漂う黒大理石で造られたこの部屋では、ポーランド王国の威厳と権勢に圧倒されます。

玉座の間では、当時のオリジナルの玉座が飾られています。
玉座以外にも数多くの装飾品、調度品が当時のオリジナルのものになっているこの部屋は外国公使の接遇などに使用されていました。

赤と金で彩られた玉座の間からは当時の繁栄ぶりを想像させられます。

王の寝室と礼拝堂もヨーロッパ最強の国王のプライベートな空間に相応しく豪華な調度品で彩られています。大国の王ともなるとプライベートな空間も必然的に豪華になってしまうのでしょうか。
まるでファンタジーの世界を思わせるかのような作りです。

ご紹介した部屋以外の箇所も、まるで王宮自体が1つの美術品であるかのように美しく飾られています。

旧王宮前広場

ワルシャワ旧市街への入り口です。
いつも多くの観光客で賑わっています。

旅行番組やガイドブックなどでワルシャワを紹介するときは、ほぼここからの王宮の写真や映像が用いられますので、見たらわかる方も多いと思います。
ここから旧市街のと王宮を見ると、あぁ、ワルシャワに来たんだなぁ、という思いを抱く方もいるそうです。

人魚像

人魚はワルシャワのシンボルとも言える存在です。
公共交通機関のマークからお土産まで、それこそ至る所に人魚のデザインが取り入れられています。

これは、ワルシャワには人魚伝説があるからなのです。

人魚伝説は2種類あって、片方はこんなお話です。

ワルシャワがまだ小さな村だった頃、村には漁師がたくさんいました。
村のそばを流れるヴィスワ川には魚だけでなく、美しい金髪の人魚が住んでいるといわれていました。

ある日、人魚の一人がワルシャワに来て住み着きました。
最初はのんびり過ごしていましたが、やがて平凡な毎日に飽きて、漁師の網にいたずらをしてひまつぶしをするようになりました。

漁師達は怒って人魚を捕まえようとします。
しかし、人魚の歌う歌があまりにも美しかったので、捕まえるのをやめてあげました。

それを見ていた悪い商人が、人魚を捕まえて売り飛ばそうとします。
人魚は箱に閉じ込められて売られそうになったところを若い漁師に助けられます。

助けられた人魚は、いつかワルシャワと漁師に危険が迫ったとき、必ず助けに来ると約束して川に帰っていったそうです。

もう片方はこんなお話。

昔、ワルシャワがまだ名も無い村だった頃、ワルスとサワという名前の漁師夫婦が人魚を捕まえました。
珍しかったので家に連れて帰ったところ、人魚が帰りたいと懇願するのでヴィスワ川に帰してあげました。

翌日からワルスとサワが漁をすると大量の魚が捕まるようになり、魚を求める人で町が大きく発展しました。
この漁師夫婦の名前、ワルスとサワがワルシャワになったというそうです。

この2つの人魚伝説からワルシャワは人魚の町となりました。
ワルシャワの町には3体の人魚像があるそうですが、最も有名な1体が旧市街のマーケットプレイスにある人魚像です。

盾と剣を持つその姿は、きっと危険からワルシャワを守る為に駆けつけた人魚なのでしょう。
災いから守ってくれる人魚、豊かな収穫を与えてくれる人魚、どちらも人々に愛されているエピソードです。

バルバカン

バルバカンは円形の軍事施設です。
主に防衛拠点として建造されており、円形の内部からは全方位に向かって弓を射る事ができます。

また、城門としての役割もあり敵が侵入してきた時は内側の窓からの一斉攻撃で敵を撃退することができるようになっています。

バルバカンは大型の防御用軍事施設で、現在ではヨーロッパに3箇所しか残っていません。
フランスに1箇所、ポーランドに2箇所あるうちの1つがこのワルシャワのバルバカンなのです。

バルバカンは見る方角によって見た目が大きく変わるようにできています。
ある方角からは丸い筒のように見え、ある方角からは尖塔のように見えます。

洗礼者ヨハネ大聖堂(聖ヤン大聖堂)

洗礼者ヨハネ大聖堂はワルシャワで最も古い教会で、14世紀に建設されました。

この教会もやはりナチスドイツの空爆で破壊され、その後再建された建物の1つです。
赤レンガで作られたファサードが特徴的で、王宮の派手さとは打って変わって内部は神聖さを感じさせるシンプルな作りになっています。

ここでは歴代のポーランド王の戴冠式が行われた他、国家行事も数多く執り行われていました。
最期のポーランド王スタニスワフ2世をはじめ、有名人も数多く埋葬されています。

役に立つ情報&豆知識

ここではワルシャワ歴史地区の観光に役に立つ情報や豆知識をお伝えします。

Hala Koszyki

ワルシャワ工科大学の近くにあるこのフードコートでは、ポーランド料理をはじめ、世界中の料理を楽しむ事ができます。
毎日同じような食事に飽きてしまったらここでリフレッシュするのもいいでしょう。

ショパン博物館

クラシック音楽が好きな方の中には、ポーランドと言えば真っ先にショパンを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
天才音楽家、ショパンはワルシャワで育ちました。
ショパン博物館ではショパンの楽曲を楽しむことができ、いろいろな展示品もあります。

お酒

ポーランド人は日本人と比べるとみんな酒豪のように思える程お酒を飲みますが、以外にも公共スペースでの飲酒は禁止されています。
うっかり飲んで警察沙汰にならないように気をつけましょう。

最後に

悲劇的なイメージの強いポーランドですが、一時期はヨーロッパ最強の大国だった時期もあるなんて意外ではありませんでしたか?

破壊による被害を受けても、意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならないという信念と、失われたものの復興は未来への責任であるという理念の下に動いた市民の執念によって、世界遺産登録されたと言っても過言では無いでしょう。

これをきっかけにワルシャワ歴史地区とポーランドに興味を持っていただけたなら幸いです。