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知らなきゃ損!ポーランドの世界遺産、中世都市トルニの魅力をご紹介!

今回ご紹介するのは世界遺産、ポーランドの「中世都市トルニ」です。

皆さんは中世都市トルニについてご存じでしょうか。

中世都市トルニはポーランドの中央部、やや北西よりの位置にある町の名前です。

日本語ではトルニと表記するのが一般的ですが、トルンと表記している文献もあります。

この町はもともとドイツ騎士団の領土でしたが、その後ポーランド王国領、ドイツ帝国領など転々と帰属が変わったのち、最終的に現在はポーランド共和国の領土となっています。

ポーランドの町は第二次世界大戦でほとんどが戦災被害にあったのですが、トルニは主戦場から離れていたため、強制収容所のあった旧市街も戦火を免れ、中世からの多くの建物が被害を受けずに残ったのです。

ポーランドにある他の世界遺産は、第二次世界大戦後にポーランドの人々が大変な努力をして再建したものも多いのですが、このトルニの建造物は中世のオリジナルの建造物が多いこともあって、建築学的にも非常に価値のある世界遺産となっています。

そんな中世都市トルニの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

中世都市トルニの歴史

中世都市と呼ばれていますが、トルニの歴史はかなり古く考古学的な発掘調査によって、紀元前10世紀頃には既に比較的大規模な建造物が存在していたことが判明しています。

その後長い間文献にも登場せず、目立った遺構なども発見されてはいませんが、8世紀頃にはビスワ川の渡し場として集落が形成されていたと考えられています。

文献に登場するのは西暦1226年の事でした。

西暦1230年にドイツ騎士団が現在の場所とは少し離れた位置に要塞を築きました。

この時存在していた集落は古トル二と呼ばれています。

この頃からトルン、トルニと呼ばれていたことは分かっているのですが、実は町の名前の由来はいまだに判明していません。

川の流れを意味するポーランド語に由来する、トロンという人物がかつて存在していたことに由来する、北欧神話の雷神トールに由来するなど様々な説があり、また名前には特に意味はないという説もあります。

いずれにしても12世紀前半には既にトルニと呼ばれていたことは間違いなく、ドイツ語表記、ポーランド表記を経て、現在の表記に落ち着きました。

ドイツ騎士団が要塞を築いてから6年後の西暦1236年には現在の位置に市街を移転します。

西暦1280年にはドイツ人の東方植民とドイツ騎士団の興隆によってトルニもハンザ同盟に加盟し、東方交易の重要拠点として発展しました。

それからの100年はドイツ騎士団が非常に力を持っていた時期でもあり、トルニはドイツ騎士団領の重要都市の一つとして順調に発展しました。

この頃はハンザ同盟も強力な商業同盟として機能していましたので、トルニにはヨーロッパ中から商人が訪れる町として栄えていました。

西暦1410年に発生したタンネンベルクの戦いで、ドイツ騎士団がポーランド=リトアニア連合王国に敗北するとトルニの町にも暗雲が立ち込め始めました。

西暦1411年に第一次トルニの和約がドイツ騎士団とポーランド=リトアニア連合王国との間で結ばれるとこれをきっかけにドイツ騎士団の国力は衰退し、ドイツ騎士団に対する反乱が増えました。

西暦1440年3月にはトルニを含むハンザ同盟都市(ケーニッヒスベルク、グダニスク、エルヴロンク、トルニ)の呼びかけでプロシア地方の約20の町と貴族や聖職者などの有力者約50人が集まってプロイセン連合を結成します。

約1か月後には更に7都市が加わって大きな勢力となり、ドイツ騎士団に対して抵抗を繰り広げました。

西暦1454年にはプロイセン連合がポーランド=リトアニア連合王国のカジミェシュ4世に支援を求め、カジミェシュ4世がこれに応じたため、プロイセン連合とドイツ騎士団の間で大規模な戦争が始まりました。

この戦争を十三年戦争と言います。

ドイツ騎士団側には分団であるリヴォニア帯剣騎士団とデンマーク王国が支援を行いましたが、十三年戦争はポーランド=リトアニア連合王国の支援を受けたプロイセン連合の勝利に終わり、西暦1466年にはドイツ騎士団の本拠地マルブルク城を占拠して戦争は終結しました。

代表的建造物

ドイツ騎士団城址

トルニを訪れる観光客が必ず足を運ぶのがこのドイツ騎士団城址です。

西暦1454年にトルニの市民はドイツ騎士団に対して反乱を起こして騎士団を町から追放し、城を破壊して旧市街と新市街をつなげました。

その時に破却された城跡がそのまま残されいるのがドイツ騎士団城址です。

ここの見学には300円程度の入場料が必要です。

マルボルクのドイツ騎士団の城と比較すると面白いかもしれませんね。

コペルニクス博物館

地動説を唱えたことで有名な天文学者コペルニクスはこの町出身です。

コペルニクスの生家と言われている建物は現在コペルニクス博物館となっているのですが、実はコペルニクスが生まれたと言われている建物はもう1つあるそうです。

こちらは現在ショッピングセンターとなっているのですが、どちらが本当にコペルニクスが生まれた家なのかは未だに謎のままなのだとか。

コペルニクス博物館ではコペルニクスに由来する文献などが展示されている他、当時のポーランド商人の暮らしなどが展示されています。

コペルニクスの生まれた家は裕福な商人の家で、コペルニクスの父も祖父もドイツ騎士団への反乱に加わって戦ったのだそうです。

聖母マリア被昇天教会

旧市街の北西にあるのは14世紀に建設された聖母マリア被昇天教会です。

ゴシック式のこの教会は名前の通り聖母像や聖母子画などが飾られていますが、この中でも最も有名なのは黒い聖母像です。

なかなか黒い聖母像は他では見られないかと思いますので、お見逃しの無いよう。

またこの教会にはあの有名なアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所で収容者の身代わりとして進んで処刑されたと言われているコルベ神父の肖像画も飾られています。

旧市庁舎

旧市街で一際目立つ、時計塔のある建物が旧市庁舎です。

赤レンガ作りの重厚な建物の前には町出身の天文学者、コペルニクスの銅像が立っています。

お役立ち情報

こちらでは中世都市トルニ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

トルニへのアクセス

トルニはポーランドの首都ワルシャワから電車で約3時間で到着します。

トルニ‐ワルシャワ間は1日8便~10便程度の電車が運行していますので日帰りでの観光も十分可能です。

日帰りでの観光を行う場合には帰りの電車の時刻は十分注意してください。

宿泊施設は他の町と同程度にありますので、1泊してゆっくりと観光するのも悪くありません。

田舎ということもあって治安も比較的安定しています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけに中世都市トルニに興味を持って頂けたなら幸いです。

ポーランドの名前を知らない方はいないかと思いますが、ワルシャワやアウシュヴィッツ・ビルケナウ以外の地名となるとなかなか知っている日本人は少ないですよね。

世界遺産マニアやかなりの旅行好きでない限りはトルニと聞いてすぐにポーランドの町とわかる方はいないかと思います。

中世からの街並みを残しているポーランドの町は少なくはありませんが、オリジナルの町が現存しているという点ではトルニの右に出る場所はありません。

ポーランドへの旅をお考えでしたら、是非トルニへも足をお運びください!