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女王陛下の宮殿にして要塞!世界遺産ロンドン塔の魅力とは?

 

今回ご紹介するのは世界遺産、イギリスの「ロンドン塔」です。

皆さんはロンドン塔についてご存じでしょうか。

ロンドン塔はイギリスの首都、ロンドン市内のテムズ川沿いにある、中世の軍事要塞です。

「塔」と呼ばれてはいますが実際は城塞です。

世紀名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」といいます。

その名前通り、かつてはイングランド王が住んでいた事もあります。

また、時代が下ると監獄としても使用され、数多くの人がここで処刑されている為、幽霊が出没することでも非常に有名です。

そんなイギリスの世界遺産、ロンドン塔の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ロンドン塔が建設された経緯

ロンドン塔と呼ばれているこの城塞は、西暦1066年、ノルマン・コンクエストと呼ばれている戦争によってイングランドを攻略したノルマンディー公ギョームによって建設されました。

フランスのノルマンディー地方出身のギョームがイングランド王ウィリアム1世としてイングランドを統治するにあたって、最重要都市であったロンドンを防衛するための要塞を必要としたのです。

ノルマン・コンクエストの頃のイングランドは、20年ほどのデーン人による支配から解放され、イングランド7王国の1つである、ウェセックス家のエドワード懺悔王によって統治されていました。

この頃のイングランドには強力な王権があったわけではなく、諸侯の微妙な力関係の上にイングランド王が存在しているといった程度の緩やかな共同体でした。

エドワード懺悔王には子供がいなかった為、諸侯は次のイングランド王の座を狙って裏では激しいかけひきが行われていたのです。

ノルマンディー公はイングランド王の臣下ではなく、フランス王の臣下なのですが、エドワード懺悔王の母エマは、ノルマンディー公ギョームから見ると大叔母にあたります。

つまり、エドワード懺悔王とノルマンディー公ギョームは遠い親戚ということです。

これが、ノルマン・コンクエストの大義名分の一つなのですが、この他にもデーン人によってイングランドが支配されていた時に、エドワード懺悔王は戦乱を嫌い、遠縁の親戚であるノルマンディー公国に疎開していたという経緯があります。

この時にエドワード懺悔王とギョーム公は親交を深め、西暦1052年にギョーム公がイングランドを訪ねた際にはエドワード懺悔王からイングランド王位継承を約束されたと言われています。

西暦1066年の初めにエドワード懺悔王が逝去すると、王妃エディスの兄であるハロルド・ゴドウィンソンがイングランド王ハロルド2世を名乗り即位しました。

しかし、これに先立つ西暦1064年にノルマンディーを訪れたハロルド・ゴドウィンソンはエドワード懺悔王死後のイングランド王位をギョーム公に約束していた為、ノルマンディー公国軍はイングランドに進軍しました。

これがノルマン・コンクエストが起こった理由です。

イングランド王ハロルド2世は弟のトスティ・ゴドウィンソンとイングランド王位を巡って争っている最中でしたが、ノルマンディー公国軍がイングランドに上陸したという知らせが届くと、トスティ軍を一蹴し、返す刀でノルマンディー公国軍との戦いに臨みました。

この戦いはヘイスティングスの戦いと言います。

ヘイスティングスの戦いは、当初イングランド歩兵がノルマンディー騎兵を圧倒していましたが、騎兵の機動力を生かして、敗走すると見せかけた陽動作戦を展開し、追撃を開始したイングランド歩兵の陣形が崩れたところで反転攻勢に出てこれを破りました。

ノルマンディー公ギョームは西暦1066年の12月25日にウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として即位しましたが、イングランド国内のアングロ・サクソン系諸侯を筆頭に、スコットランド王、デンマーク王などの敵対勢力は数多く残っていました。

この敵対勢力からロンドンを防衛するために建設を命じたのがロンドン塔です。

ロンドン塔について

ロンドン塔は外観が白っぽい事からホワイト・タワーとも呼ばれています。

全体が白っぽい外観なのですが、ホワイト・タワーと言った場合にはロンドン塔の中心部にある本丸部分の事を指します。

ウィリアム1世が建設した当初はこのホワイト・タワーだけであった物が、リチャード1世、ヘンリー3世といった歴代のイングランド王によって増改築が行われ、周囲に城壁が建設され、城壁の外側には壕が張り巡らされました。

ロンドン塔にはこのホワイトタワーの他にも、拷問具などが展示されているロウワー・ウェイクフィールド・タワー、今もロンドン塔をさまよっていると言われるエドワード5世とヨーク公リチャードが幽閉されていたブラッディ・タワー、首の無い幽霊となって現れるアン・ブーリンが幽閉されていたクイーンズハウスなどの建物が含まれています。

ロンドン塔は様々な用途に用いられ、西暦1625年まではイングランド国王の居城であった他、貨幣造幣所、天文台、銀行、動物園としても使われました。

この間にも西暦1282年からは政治犯や身分の高い容疑者を収容する監獄としても使用され、中世以降、政権争いに敗れた数多くの人々がここでその生涯を閉じることになります。

第二次世界大戦中には、ナチスドイツの高官もここに収容されていました。

イギリス王室所有の宮殿でもあるロンドン塔ですが、ウェストミンスター地区と並んでロンドン観光の人気スポットとなっており、いつも多くの観光客で賑わっています。

ロンドン塔にあるジュエルハウスでは発見当時世界最大のダイヤモンドだった「偉大なアフリカの星」の他、数多くの歴史的展示物を見る事ができます。

役立つ情報&豆知識

こちらではロンドン塔観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ロンドン塔に出る幽霊

ロンドン塔には幽霊が出る事で非常に有名です。

中でも有名なのは、アン・ブーリンの幽霊と小さな兄弟のエドワード5世と弟のヨーク公リチャードの幽霊です。

アン・ブーリンはヘンリー8世の2番目の王妃でしたが、彼女から心が離れたヘンリー8世は彼女を姦通罪によって投獄し、処刑してしまいました。

ロンドン塔では首の無い彼女の幽霊が多数目撃されています。

礼拝堂や回廊に多く出現するようです。

エドワード5世とヨーク公リチャードはグロスター公リチャード3世とそのライバルであるヘンリー7世のイングランド王位を巡る争いに巻き込まれ、ロンドン塔で殺されたと言われています。

現在でもロンドン塔の警備兵は夜、恐怖に脅える二人の子供の幽霊を見る事があるそうです。

タワーブリッジ

ロンドン塔のすぐ側にはテムズ川にかかる大きな跳ね橋「タワーブリッジ」があります。

この橋は2本の塔と、その間に渡された上部歩道橋がまるで門のようになっていることで有名で、ロンドン塔を訪れる多くの観光客がこの橋を渡ります。

よくイギリス童謡の「ロンドン橋落ちた」(※)のロンドン橋と間違われますが、ロンドン橋は1本上流の橋です。

※ロンドン橋落ちた~、落ちた~、落ちた~♪のフレーズが有名な童謡です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにロンドン塔に興味を持って頂けたなら幸いです。

数多くの観光スポットがあるイギリスの首都ロンドンでも、ウェストミンスター地区と並んで人気のスポットがここロンドン塔です。

ロンドン塔のすぐそばにはタワーブリッジもあり、この二つは絶対に外せない観光スポットになっています。

ロンドン塔という名前だけでイメージして行くと、塔が無い事に驚く方も多いのですが、ロンドン塔の歴史的な経緯を知っている方の中には、名前塔なのだろうか、と長年思っていたがやっぱり塔じゃなかった、と納得される方もいるそうです。

イギリスでは幽霊に出会える事は非常に幸運とされていて、幽霊が出る物件の方が不動産価値も高いという話をご存じでしょうか。

ロンドン塔は幽霊の出現スポットとしても非常に有名な場所ですので、もしかしたらどこかから皆さんを見ているかもしれません。

そんな事を思いながら観光してみるのも楽しいですね。