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共和制国家としては世界最古!世界遺産サンマリノ歴史地区とティターノ山をご紹介します!

今回ご紹介するのは世界遺産、サンマリノ共和国の「サンマリノ歴史地区とティターノ山」です。

※以下、文中ではサンマリノ歴史地区と記載します。
皆さんはサンマリノ共和国についてご存じでしょうか。

サンマリノ共和国はイタリア半島を人間の足に見立てたとき、ちょうどふくらはぎにあたる部分にある小さな国で、花の都フィレンツェや夏のバカンスのリゾート地として有名なリミニから近い町です。

四方をイタリアに囲まれた町ですが、その歴史はとても古いです。
そんなサンマリノ共和国の世界遺産、サンマリノ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

サンマリノ共和国の歴史

先程も少しお話しましたが、サンマリノ共和国の歴史は古く、西暦301年にダルマツィア出身の石工、マリノが古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒弾圧から逃れ、ティターノ山に隠れ住んだことから始まったと言われています。

6世紀の初めには、ティターノ山の頂上に立つ修道院について記載された書物が残っており、この頃には既に一定規模のコミュニティが成立していたと考えられています。

時代が下り、9世紀になるとローマ法やランゴバルド法に準拠した判例が残されていて、修道院のコミュニティだけではなく、世俗の一般市民が一定数存在していたことが示されています。
10世紀には城塞などの軍事施設も築かれていたと伝わっていますが、現存する建物はありません。

13世紀には共和制の国家が建国され、西暦1463年には現在とほぼ同じイタリアとの国境線が確定していました。

11世紀から15世紀までの間に、段階を踏みながら市域が拡大して行きました。
有名な3つの塔が出来たのもこの頃の話です。

11世紀には最初の塔「グアイタ塔」が建設され、大聖堂周辺地域の整備が進められました。
13世紀には、第二の塔「チェスタ塔(デッラ・フラッタ塔)」が、続く14世紀には第三の塔「モンターレ塔」が建設され、市を守る城壁も二重になりました。

15世紀には第三城壁も完成し、有力者の住宅も建設されました。

市域が拡大するにあたっては、もちろんサンマリノ共和国の領土も拡大したのですが、その全てが戦争や侵略ではなく、契約や購入によるものでした。

西暦1631年には最後の中世型教皇とも言われている、ローマ教皇ウルバヌス8世によってサンマリノ共和国が承認されました。
西暦1631年を建国年度とした場合でも、現存する国家の中で共和制国家としては最古の国家です。

西暦1797年にフランスのナポレオンがイタリア遠征を行った時にはサンマリノ共和国もその脅威にさらされましたが、一貫して自主独立を貫くサンマリノ共和国に関心したナポレオンはその独立を保証し、領土や兵器の贈与を申し出ました。

しかしサンマリノ共和国は独立の保証には謝意を示したものの、贈与についてはこれを謝絶しました。
その影響もあったのか、ナポレオン戦争終結後のウィーン会議でもサンマリノ共和国の独立は維持されました。

周辺国家や教皇領に組み込まれそうになる事もあったサンマリノ共和国でしたが、ガリバルディによるイタリア統一運動下でも独立を維持することができました。

これにはガリバルディがオーストリア軍に追われた時にサンマリノ共和国が中立を維持したまま彼を匿った事が大きく影響したと言われています。
統一イタリア王国は西暦1862年にサンマリノ共和国の主権を認める条約にサインをしました。

第一次世界大戦では両陣営に対して中立宣言を行いましたが、イタリアからはオーストリア側のスパイが匿われていると疑われたために通信設備が破壊され、オーストリア=ハンガリーからはイタリア兵を収容する病院の存在を問題視されたために、国交を断絶されました。

第二次世界大戦でも中立を宣言しましたがイギリス空軍による空爆と、ナチスドイツ軍による占領が行われました。
いずれも死傷者は少なく、大きな被害は出なかったのが不幸中の幸いです。

現在のサンマリノはEUにもユーロにも加盟していませんが、イタリアの保護国化している為、流通通貨はユーロで人の往来も自由です。
国連への加盟も比較的浅く、西暦1992年になってようやく加盟しました。

代表的建造物

フランシスコ会修道院

西暦1361年に建設された修道院で、建設当時は城壁の外側にあったそうです。
隣接する聖フランシスコ博物館にはグエルチーノとラファエロの絵画が保存されています。

サンマリノ大聖堂

7世紀までの古い教会の代わりに西暦1836年に建てられた大聖堂です。
新古典派式の大聖堂は8つのコリント式円柱のポーチを持っています。

大聖堂内部には、サンマリノ共和国の名前の守護聖人、聖マリノの聖遺物が祀られています。
6ヶ月に一度の共和国執政の就任式では、政庁から大聖堂までのパレードが行われています。

政庁(プッブリコ宮殿)

西暦1884年から西暦1894年に建設されたネオ・ゴシック様式の宮殿で、建築基準が変わった為、西暦1996年に大改修工事が行われました。

プッブリコ宮殿とは、公共の宮殿という意味で、現在でもサンマリノ市の市庁舎、共和国執政の公邸として使用されています。

3つの塔

ティターノ山の岩頭を利用して建設されたこの3つの塔は、建設順にグアイタ塔、チェスタ塔(デッラ・フラッタ塔)、モンターレ塔と呼ばれています。

この3つの塔はサンマリノ共和国、サンマリノ市のどちらの紋章にも描かれていて、サンマリノのシンボルとも言える存在です。

グアイタ塔

3つの塔の中で最も古いのはグアイタ塔です。
11世紀に建設されたこの塔は、その後何度も改修工事が行われ、15世紀に現在の塔が建設されました。

チェスタ塔(デッラ・フラッタ塔)

13世紀に建設されたチェスタ塔はティターノ山の最高峰にあります。
この塔には西暦1956年に創設された聖マリノ博物館があり、中世から現代までの1,550以上の武器を展示しています。

モンターレ塔

14世紀に建設されたモンターレ塔は他の塔と異なって、一般公開されていません。
この塔は当時サンマリノが争っていた、マラテスタ家に対抗するためと考えられています。当初は刑務所としても使われていたため塔への唯一の入り口は、当時の刑務所として一般的だった地面から約7メートル上に作られました。

役立つ情報&豆知識

こちらではサンマリノ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

サンマリノ神社

なんとサンマリノには日本の神社本庁が承認している神社があります。
ヨーロッパ初の神社であるサンマリノ神社は西暦2014年に、東日本大震災の犠牲者を追悼するために創建されました。

サンマリノ神社宮司のフランチェスコ・ブリガンテ氏も形県の神社で修行し、神社本庁から神職の資格を得ている本格的な神社です。

切手・コイン

サンマリノのお土産と言えば切手やコインが一般的です。
サンマリノの流通通貨はユーロなのですが、裏面はサンマリノ独自のデザインとなっていて、鋳造枚数の小ささからなかなか出回る事はないため、コレクターには人気となっています。

切手も同様で、やはり流通量が少ないためコレクターには人気の品となっています。
実は日本の郵便局でもサンマリノ共和国を題材にした記念切手を販売したことがあり、なかなかの人気だったそうです。

最後に

いかがでしたか。
これをきっかけ世界遺産、サンマリノ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

サンマリノ共和国と聞いても場所がイメージできない方も多いと思います。

世界で6番目に小さい国で、歴史上の知名度もそう高くはないので仕方ないことでしょう。
日本では印象の薄いサンマリノ共和国ですが、訪れる観光客の数は年間300万人でヨーロッパでは人気の旅行先となっています。

サンマリノ共和国とイタリアの国境では審査が無いのですが、パスポートにサンマリノ共和国のスタンプが欲しいという方向けに、サンマリノ市内の観光案内所で、有料でスタンプを押してくれるサービスがあります。
値段は1ユーロほどですので、訪れるのでしたら記念に押してもらうのもいいですね。

イタリアにご旅行の歳にはぜひサンマリノへの日程もご検討下さい!