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中国の世界遺産!ラサのポタラ宮歴史地区にズームイン!

今回ご紹介するのは世界遺産、中国の「ラサのポタラ宮歴史地区」です。

皆さんはラサのポタラ宮歴史地区についてご存じでしょうか。

ラサのポタラ宮歴史地区は中国のチベット自治区にあるチベット仏教の宮殿です。

ラサはもともとチベット系の国家、吐蕃の都が置かれていた場所で、後にはチベット仏教の最高位であるダライ・ラマの宮殿として利用されるようになりました。

そんなラサのポタラ宮歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

チベットとポタラ宮の歴史

チベットに初めての統一政権が誕生するのは7世紀頃の事です。

チベット高原を統一した王朝の名前は吐蕃王朝といい、その後一般的に吐蕃と言えばチベットを指す言葉となりました。

実際の吐蕃王朝は西暦842年には滅亡しており、これ以降は長い間チベット高原を統一する王朝は現れませんでした。

チベットに初めて仏教を導入したのは吐蕃王朝のソンツェン・ガンポと言われています。

ソンツェン・ガンポは西暦629年から西暦650年頃まで吐蕃王朝を統治した王で、早い段階から仏教の聖人である転輪王と重ねられるなど、仏教導入の功績を讃えられていました。

とはいえ、吐蕃王朝全体に仏教が受け入れられたわけではなく、仏教が国教化するのは後世のことになります。

また、ソンツェン・ガンポはポタラ宮の元となった宮殿の建設を命じたことでも有名です。

本格的なポタラ宮の造営は、その後ダライ・ラマ5世によって行われました。

チベット仏教は中国ではなく、北に離れたモンゴルに広く普及しました。

西暦1240年にチンギス・ハーンの孫のコデンによってチベット高原が占領されました。

モンゴル帝国によるチベット占領です。

当初、モンゴルの指揮官コデンはチベット仏教の寺院を焼き、僧侶を殺しましたが、チベット仏教サキャ派の6代目座主サキャ・パンディタ・クンガ・ゲンツェンが二人の甥を連れてと面会すると、ラサ、サキャ一帯の施政権を保障し、サキャ派とモンゴル族との間に同盟関係が成立しました。

この時サキャ・パンディタ・クンガ・ゲンツェンとともに面会をした二人の甥は、のちにモンゴル帝国に仕えることになります。

二人の内の一人、パクパは元の皇帝でもあるフビライ・ハーンに仕えていたため、西暦1260年にフビライ・ハーンがモンゴル全体の大ハーンとなると元国内での仏教の全権を任されました。

西暦1264年にはチベットにおける政治的、宗教的権威も保障されました。

西暦1270年にはフビライ・ハーンの命で、モンゴル語を記述するためのパスパ文字を作りました。

パスパ文字の「パスパ」は、パクパの名前をモンゴル風にしたものです。

モンゴルとチベットの関係は、中華主義的な冊封体制ではなく、宗主国・属国という関係でもありませんでした。

モンゴルの大ハーンは「チベット仏教の保護者であり、チベット仏教の指導者は仏陀の教えを広めることが務めである」というフビライ・ハーンの手紙に象徴されるように、チベットの支配者ではなく、チベット仏教の指導者もまたチベットにとどまらず、モンゴル、中国全体に宗教的な影響がある立場でした。

漢民族の王朝の明とチベットの関係は疎遠でしたが、その後の満州族の清は文殊菩薩を信仰する仏教国でもあり、チベットに対しては「最高施主、かつ文殊菩薩の化身」として間接統治を行いました。

実は満州族の「満州」というのは「マンジュ」という「文殊菩薩」の音を当てた当て字なのです。

チベット族の象徴ともいえる、ダライ・ラマの称号は、16世紀にモンゴルの有力な指導者だったアルタン・ハーンより贈られました。

ダライはモンゴル語で大きな海、ラマはチベット語で師や先生を意味する言葉です。

デプン寺の座主スーナム・ギャツォに対して贈られた称号でしたが、彼は初代ではなく3世を名乗りました。

西暦1636年に清の前身である後金の2代皇帝ホンタイジはモンゴルの大ハーンとなります。

満州族の国である後金はもともと仏教を報じる国でもあったことから、これ以降歴代の清朝皇帝はモンゴルの大ハーンとして、チベット仏教の保護者であり、文殊菩薩の化身としてダライ・ラマとともにチベット仏教を広めていく存在となりました。

中央アジアのオイラートの一族であるホシュート部の指導者グーシ・ハーンは西暦1637年からチベット一帯の征服を行い、西暦1642年までにチベットを制圧しました。

その後中央チベットをダライ・ラマに寄進したため、ダライ・ラマ5世は宗教的権威だけでなく、世俗的権力も掌握し後には中央チベットだけでなく周辺地域もその支配下に組み込んでいくことになります。

名実ともにチベットの支配者となったダライ・ラマ5世はポタラ宮の造営に着手します。

はるか昔にソンツェン・ガンポが建設した宮殿遺跡に造営したポタラ宮は、単一の建物としては現在でも世界最大級の広さとなっています。

ダライ・ラマ5世以降の歴代のダライ・ラマは、チベットを緩やかに統治していましたが、西暦1949年に中国共産党の人民解放軍が侵攻して占領しました。

ダライ・ラマ14世は10万人近いチベット族とともにインドに亡命し、現在でもチベット自治区では独立運動が続いています。

代表的建造物

ポタラ宮

13階建て高さ117メートル、全長400メートル、総面積13000平方メートルという世界最大規模の建築物がポタラ宮です。

歴代のダライ・ラマがここで政務を行っていました。

上層部分は外壁が白く塗られた白宮と紅く塗られた紅宮に分かれています。

白宮の方はダライ・ラマが日常生活を送る住居や、政治活動を行う空間となっており、チベットでの世俗権力の象徴ともいえます。

紅宮の方は宗教的活動を行う空間となっており、ここにはダライ・ラマ5世の霊塔を含む数多くの仏塔が奉納されています。

現在、紅宮は公開されていて屋上にも上ることができますが、白宮の方は一部を除いて非公開となっています。

トゥルナン寺(ジョカン・大昭寺)

金箔の屋根を持つチベット仏教の寺院で、ソンツェン・ガンポに嫁いできた唐帝国の皇女、文成公主によって建立されました。

この寺院では現在でも多数のチベット族の方々がマニ車を回してコルラをしたり、礼拝をしたりしている姿が見られます。

ノルブリンカ

ノルブリンカは宝の庭を意味するチベットの言葉で、もともとはダライ・ラマの夏の離宮として使用されていました。

中国占領後、現在では公園として開放されており、チベット人の憩いの場となっています。

西暦1959年に中国共産党人民解放軍がチベットに侵攻した際、ダライ・ラマ14世が脱出したのはポタラ宮からではなく、このノルブリンカからでした。

お役立ち情報

こちらではラサ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ラサへのアクセス

日本人がラサを訪れるのに現実的な方法は2つあります。

1つは成都から飛行機でラサへ向かうルートで、もう1つは西蔵鉄道で向かうルートです。

どちらのルートにしても中華人民共和国政府が発行する許可証が必要となります。

日本から正規のツアーに申し込むのが一番安全で確実な方法です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにラサのポタラ宮歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

チベットと聞くと私たち日本人は高山にあって寒そう、ですとか、鳥に遺体を食べさせる鳥葬を行っているといった断片的な知識しかない方がほとんどかと思います。

また、モンゴルとチベットの歴史的なつながりをお話しすると、驚かれる方が多いです。

実はモンゴルとチベットは西暦1911年に辛亥革命によって清王朝が倒れ、中華民国が建国されると、西暦1913年にはチベット・モンゴル相互承認条約を結び、中国とモンゴル、チベットはそれぞれ違う国であることを確認しあうなど、近代においても重要な結びつきがあるほどの間柄なのです。

日本からはガイド付きのツアーを申し込むことで訪れることができますので、興味のある方は是非チベットへのご旅行もご検討ください!