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世界遺産の量が膨大!ロシアのサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群をご紹介!

今回ご紹介する世界遺産はサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群です。

※以下、文中ではペテルブルク歴史地区と記載します。
この世界遺産は登録数も多く、主要登録建造物だけでも40以上あります。

登録対象地域も広く、世界遺産登録件数は36件となっています。
帝政ロシアの都サンクトペテルブルクの歴史を踏まえながらご紹介していこうと思います。

サンクトペテルブルクの歴史

まず始めにサンクトペテルブルクの歴史についてお話しします。

サンクトペテルブルクはロシア帝国の最盛期を築いたピョートル大帝によって、西暦1703年5月27日に建設された人工都市です。
サンクトペテルブルクが建設される前は荒れ果てた沼地だった為、都市建設事業は過酷で、建設中に1万人を超える労働者が命を落としたそうです。

スウェーデンとの大北方戦争でのポルタヴァの戦いに勝利した後、西暦1713年に遷都され、ロシア帝国の都となりました。
その後も歴代のロシア皇帝(ツァーリ)は首都の拡張、整備を進め、20世紀までには世界遺産登録建造物を含む、現在観光スポットとなっている建物の多くが建設されました。

ピョートル大帝がサンクトペテルブルクを建設した目的は、西ヨーロッパ進出の為の橋頭堡を確保する為です。

スウェーデンとの大北方戦争に勝利し、バルト海の制海権を握ったロシア帝国は更に西へと勢力圏を拡大する為にモスクワよりも遙かに西のサンクトペテルブルクに首都を移したのです。

サンクトペテルブルクは何度かその名前を変えた事があります。

1回目は西暦1914年に第一次世界大戦でロシアとドイツが交戦することになった為、ドイツ語名であるペテルブルクから、ロシア風のペトログラードに変更されました。
この名前になった後の1917年に発生した二月革命(三月革命)によってロシア帝国は滅亡します。

西暦1924年には革命の指導者レーニンを記念して、ペトログラードからレニングラードに再び改名されました。

この名前になった後の1941年には第二次世界大戦によってナチスドイツ軍に包囲されます。
非常に有名なレニングラード包囲戦は3年近くも続きましたが、ソ連軍の必死の抵抗によってナチスドイツ軍はレニングラードを占領することができず敗北を迎えます。

西暦1991年、ロシア共和国最高会議の決定によって町は再びサンクトペテルブルクに改名されました。
改名前に行われた市民投票でも過半数が改名に賛成していました。

現在のサンクトペテルブルクはロシア第二の都市で、首都機能の一部を担っています。
人口100万人以上の都市では世界で最も北に位置する都市でもありますので、世界一寒い大都市と言えるでしょう。
歴史とは関係ありませんが、ロシア大統領のプーチン氏もサンクトペテルブルク出身です。

主要登録建造物

それでは、世界遺産の主要登録建築物をご紹介していきます。

エルミタージュ美術館(冬宮殿)

エルミタージュ美術館はもともとエカチェリーナ2世の私的なコレクションからスタートしました。

その後、コレクションが増えるにつれて建物も増やされていき、現在は小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場、冬宮殿の5つの建物から構成されています。

現在本館となっているのがロシア皇帝の冬の宮殿であった冬宮殿です。
緑色の外観が印象的な冬宮殿ですが、この色になったのは第二次世界大戦後の事で、それ以前には黄色、ピンク、赤茶色や灰色だった時代もあるそうです。

その為、色を変更する計画があがる事もあるのだとか。

冬宮殿を本館とするエルミタージュ美術館には300万点(!)の美術品などが収蔵されており、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ、レンブラントやセザールなどの有名画家の絵も数多く展示されています。

サンクトペテルブルク観光では絶対に外せないスポットの1つです。

大理石宮殿

マルス広場の北にある大理石宮殿は、元々はエカチェリーナ2世の愛人、オルロフ公の為に建設された宮殿で32種類の大理石を使って建設されました。
現在はロシア美術館別館として利用されています。

展示品は日本人にはなじみの薄い作品が多くなっていますが、建物自体が大理石のみで作られている大変珍しい建物ですので、美術品に興味が無い場合でも十分楽しめるかと思います。

聖イサアク大聖堂(イサク聖堂)

ロシア正教会の大聖堂で、聖イサク・ダルマツキー(ダルマツィアの聖イサアク)に奉じられた教会です。
聖イサアクはピョートル大帝の守護聖人で、もともとはイサアク大聖堂もピョートル大帝の時代に別の場所に建てられていました。

現在の建物が建設されたのは1818年の事で、40年後の1858年に完成しています。

ロシア・ビザンチン様式と新古典主義様式の混交した建物でソ連時代には博物館になっていましたが、現在は再び教会として活動しています。

マリインスキー宮殿(市議会議事堂)

聖イサアク大聖堂の近くにあるマリインスキー宮殿は、ロマノフ朝第11代皇帝ニコライ1世が、皇女マリア・ニコラエブナの結婚時に贈った宮殿です。

さまざまな建築様式を取り入れたマリインスキー宮殿は、現在はサンクトペテルブルク市議会が置かれています。

血の上の救世主教会

血の上の救世主教会は、正式名称をハリストス復活大聖堂と言うロシア正教の教会です。
この教会はテロリストに暗殺されたロシア皇帝アレクサンドル2世の霊を弔う為に作られました。

アレクサンドル2世は農奴解放などの数多くの改革を実行した皇帝として有名です。

この教会はたまねぎ型の屋根を持っているなど、ロシア風建築の少ないペテルブルク歴史地区の中にあって少し異質な雰囲気を持っています。

皇帝の慰霊の為に作られた教会の内部は、モザイク画によって埋め尽くされています。
非常に美しいこの教会ですが、ソ連時代には野菜倉庫として使われたこともありました。
その時には「ジャガイモの上の教会」や「ジャガイモの救世主教会」などと陰で呼ばれていたそうです。

ペトロパヴロフスク要塞

この要塞は大北方戦争時にスウェーデンから土地を防衛する為に建設されました。
サンクトペテルブルクの建設と同時期に作られたこの要塞には、ドストエフスキーやレーニンも収容されたことがあるそうです。

要塞の敷地内には首座使徒ペトル・パウェル大聖堂があり、ピョートル大帝以降の歴代ロシア皇帝が葬られています。
現在では造幣局として利用されていますが、一部は見学が可能となっています。

巡洋艦アヴローラ(オーロラ号)

ネヴァ川に浮かぶ巡洋艦アヴローラも世界遺産の登録建造物の一つです。

1900年に建造されたヂアーナ級防護巡洋艦の一隻であるアヴローラは日露戦争時には日本海海戦で大日本帝國連合艦隊と交戦しています。

1941年9月にはナチスドイツの攻撃によって沈没してしまいますが、その後引き揚げられ、改修作業が行われました。
現在は博物館として利用されています。

クンストカメラ

ワシリー島にあるクンストカメラは「希少な物の陳列所」という意味を持っています。
ピョートル大帝によって作られたこの建物はロシアで一番古い博物館として有名で、正式名称は「人類学・民族学博物館」と言います。

もともとピョートル大帝の私的なコレクションを収蔵する目的で作られたクンストカメラですが、1719年からは一般市民にも公開され、ロシア史上初の博物館となりました。

役立つ情報&豆知識

サンクトペテルブルクの観光に役立つ情報や、豆知識をお伝えします。

サンクトペテルブルクカード

ヨーロッパの町では訪れる観光客の為に、美術館、博物館と公共交通機関が無料になるカードを発行している事が多く、サンクトペテルブルクもその一つです。
60以上の博物館と公共交通機関全てが無料となるので非常にお得なカードです。

サンクトペテルブルクは見どころも多く、全てを見て回るなら4日以上の滞在が必要です。
サンクトペテルブルクカードは有効期間が長いものの方がお得なので、絶対に購入した方がいいです。

有効期間2日 3500ルーブル
有効期間3日 4700ルーブル
有効期間5日 5800ルーブル
有効期間7日 6500ルーブル
1ルーブル=1.84円※2018年3月

エルミタージュ美術館 無料デー

毎月第一木曜日は美術館の入場料が無料になります。
エルミタージュ美術館はサンクトペテルブルクカードに含まれていないので、もし旅行日程が自由なのでしたら、第一木曜日を含む日程にすることをおすすめします。

最後に

いかがでしたか。
これをきっかけにサンクトペテルブルクに興味を持っていただけたら幸いです。

ピョートル大帝の愛したサンクトペテルブルクには今回ご紹介した他にもたくさんの世界遺産が残されています。
モスクワの建物は非常にロシア風なのに対して、サンクトペテルブルクの建物は西ヨーロッパの影響が強く表れているのが特徴です。

長くロシア帝国の首都だった為、壮大な建築物も数多く、非常にたくさんの観光スポットが存在しています。

「水の都」、「ロシアの頭脳」とも呼ばれたサンクトペテルブルクの膨大な世界遺産を全て見て回るならば、1週間あっても足りないことでしょう。

時間をかけてサンクトペテルブルクの町を楽しんで過ごすのもきっと楽しいですよ。