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世界屈指の歌劇場が世界遺産に!シドニーのオペラハウスの魅力特集!

今回ご紹介するのは世界遺産、「シドニー・オペラハウス」です。

皆さんはシドニー・オペラハウスについてご存じでしょうか。

シドニー・オペラハウスはオーストラリアのシドニーにあるオペラハウスで、20世紀を代表する近代建築物として知られています。

世界的に有名なこのシドニー・オペラハウスは、歌劇場であり、コンサートホールであり、劇場としても利用されています。

またオーストラリアを代表する各種文化団体、オペラ・オーストラリア、シドニー・シアター・カンパニー、シドニー交響楽団の本拠地としても有名です。

そんなシドニー・オペラハウスの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

シドニー・オペラハウスについて

オーストラリア南西部の大都市、シドニーのポート・ジャクソン湾に面したべネロング・ポイントという場所にシドニー・オペラハウスはあります。

オペラハウスと一言で呼ばれていますが、実際にはオーケストラなどの楽器による演奏が行われるコンサートホール、オペラを行うためのオペラ劇場、ミュージカルなどの演劇が行われるドラマシアター、小規模なピアノリサイタルを行うためのスタジオシアターなど、いくつものホールが複合しているのがシドニー・オペラハウスです。

各ホールの詳細をご紹介します。

コンサートホールは2679席が配置されている大型のホールで、世界最大の機械式パイプオルガン、「グランドオルガン」があることでも有名です。

ジョーン・サザーランド劇場(旧オペラ劇場)

1507席が配置されているジョーン・サザーランド劇場はオペラ・オーストラリアの本拠地としても有名です。

もともとはオペラ劇場と呼ばれていましたが、2012年に改装工事を行ったときに、シドニー出身のオーストラリアを代表するソプラノ歌手、ジョーンサザーランドを記念して彼女名前を冠した現在の名称に改名されました。

ドラマシアター

ミュージカル用のドラマシアターは比較的小規模で、544席が配置されています。

プレイハウス

こちらも同じくミュージカルなどの演劇に使用され、座席数は398席となっています。

スタジオシアター

ピアノリサイタルなどの小規模な演奏会に使用されるスタジオシアターは364席です。

シドニー・オペラハウスの白い貝殻のような外観はみなさんよくご存知かと思いますが、この建物の高さは約183メートル、最も幅が広い部分では約120メートルの幅があります。

有名な白い貝殻のような部分にはスウェーデン製のタイルを100万枚以上使用されており、もともとは自然に汚れが洗い流されるように設計されています。

しかし、シドニーオリンピックの前などには清掃や張替えが行われたこともあります。

シドニー・オペラハウスの歴史

西暦1950年頃、シドニーのあるオーストラリア、ニューサウスウェールズ州の州立音楽大学校長だったユージン・グーセンス氏によって、大規模なコンサートホールをシドニーに建設するための運動が興りました。

シドニー・オペラハウスが建設される前にはシドニー・タウンホールというコンサート会場がありましたが、これは小規模でユージン・グーセンス氏は大きさが不十分だと考えていました。

4年以上の年月をかけてユージン・グーセンス氏の運動はニューサウスウェールズ州知事の支援を受けることに成功し、ついにシドニー・オペラハウスの建設が決定しました。

シドニー・オペラハウスを現在の場所に建設するのもユージン・グーセンス氏の意見が取り入れられました。

もともとベネロング・ポイントには路面電車の車庫があり、ユージン・グーセンス氏はこの路面電車車庫をオペラハウス用地にしたかったのです。

他の候補地としてはシドニー中心部から北西に位置するウィンヤード駅周辺もあがりましたが、ユージン・グーセンス氏の熱意に押し切られる形でベネロング・ポイントに決定しました。

シドニー・オペラハウスのデザイン公募のコンペには世界中から233件の応募がありました。

この中からデンマークの建築家ヨーン・ウツソン氏の応募案が採択され、西暦1955年にデザインが決定されました。

実はこのコンペではヨーン・ウツソン氏の貝殻を広げたようなデザインは一次選考で落選していたのですが、審査委員の中から是非このデザインで行きたいという声が上がったため、最終選考で復活し、採択されたという経緯があります。

西暦1958年、路面電車車庫が取り壊され、翌西暦1959年3月にシドニー・オペラハウスの着工式が行われ、建設が開始されました。

シドニー・オペラハウスの建設計画には三段階あり、第一段階で基礎部分の工事を行い、第二段階で建物を覆うあの特徴的な貝殻部分の工事を行い、最終段階で内装工事を予定していました。

予算は現在の日本円で約7億円、完成時期は4年後の西暦1963年でした。

しかし当初の建設計画はすぐに破綻しました。

第一段階だけで西暦1962年8月までずれこみます。

これは貝殻のような部分をどうやって実現するかが現実化しておらず、その重さや風圧からどのように構造物を支えるかが不明だったことが大きな原因となっています。

第二段階でも工期は遅れました。

コンクリートで作られた貝殻部分は当初の計画では大小数多くの放物線の形をしていたのですが、どのような実験を行った場合でもこの構造案ではその荷重を支えることができないため、計画の変更を余儀なくされたのです。

この問題を解決するため、ヨーン・ウツソン氏は放物線ではなく、鋭い三角形型の屋根とする提案をしました。

この提案は多くの建築家と、州政府の指示を得ることができました。

構造上の問題を解決しただけではなく、工法上の問題も解決することができたため、工期の短縮につながったのです。

三角形の屋根は現地で作るのではなく、工場で生産したパーツを組み合わせることで建設が可能な設計となっていました。

しかし、このように工期を短縮したにも関わらず、実際に作業が完了するのは大いに遅れてしまいました。

第二段階は西暦1965年3月までに完了する予定でしたが、実際には西暦1967年7月になってやっと作業が完了しました。

第三段階の内装工事も当初の予定より大幅に遅れてしまいます。

結局最終的な完成は西暦1973年にまでずれ込み、総工費は当初予算の7億円から100億円以上に膨れ上がり、州政府は宝くじなどを発行してこの予算を返済しました。

また、この工期の遅れと予算の増大が遠因となり、ヨーン・ウツソン氏は内装工事期間中に設計責任者を辞任してしまいました。

ヨーン・ウツソン氏が建築計画から離脱したとき、外観は既に完成していましたが、内装は大きく変更されました。

このため、当初の設計より音響効果は少し劣るといわれています。

またシドニー・オペラハウスにある世界最大のパイプオルガン、「グランドオルガン」は西暦1979年に完成しました。

シドニー・オペラハウスのこけら落としではベートーヴェンの交響曲第九番が演奏され、イギリス連邦の元首であるエリザベス女王が来場しました。

現在ではシドニー・オペラハウスはオーストラリアを象徴する代表的な建物となっています。

ハリウッド映画や日本映画などでも舞台のシーンがオーストラリアに移る場合に冒頭で表示されるなど、まさにオーストラリアを象徴するのにふさわしい使われ方をしているといえるでしょう。

お役立ち情報

こちらではシドニー・オペラハウス観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

オペラハウスツアー

シドニー・オペラハウスは夜には多くの演奏や演劇が行われますので、そのチケットを買えばいつでも入場することができますが、実は昼間、何も催し物が無い時にも入場することが出来ます。

その方法は、館内を見学する「オペラハウスツアー」に参加することです。

このツアーはガイド付きツアーで、コンサートホールやジョーン・サザーランド劇場などを見て回り、ガイドによってオペラハウス建設の裏話や歴史的な話などを聞くことが出来るツアーです。

日本語のツアーもありますので、興味のある方は是非参加してみてください。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにシドニー・オペラハウスに興味を持って頂けたなら幸いです。

シドニーはオーストラリアで最も有名な町ですので、既に訪れたことのある方も多いかと思います。

また、初めてシドニーを訪れる方のほとんどがシドニー・オペラハウスは見に行くと思いますので、そういった意味でオーストラリア一番の人気スポットでもあります。

オペラハウスという名前を聞くと、なんだか敷居の高いようなイメージもありますが、50ドル未満の安い公演も行っています。

またジャンルもオペラやミュージカルだけでなく、クラシック、ジャズ、ロックと幅広く開催していますので、ぜひ一度公演もご覧ください。

当初の設計よりは劣るとされているとはいえ、世界一流の音響効果を感じることができると思います。