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世界一小さな独立国が世界遺産!イタリアのバチカン市国をご紹介します!

今回ご紹介するのは世界遺産「バチカン市国」です。
皆さんはバチカン市国についてご存じでしょうか。

バチカン市国はイタリアのローマ市内にある世界一小さな独立国です。
ローマ=カトリックの総本山で、エルサレムと並ぶキリスト教の聖地となっています。

中世には教皇庁が置かれ、大きな権力を持っていました。
そんなバチカン市国の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

教皇領とバチカンの歴史

バチカンの歴史は西暦326年に、古代ローマ帝国史上、初のキリスト教徒皇帝となったコンスタンティヌス帝(ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス)が、イエスキリストの首座使徒、ペテロが葬られたという丘に、サンピエトロ大聖堂を建設したところから始まります。

キリスト教世界において絶大な権力者だったローマ教皇も、最初から強大な影響力を持っていたわけではなく、西暦381年のコンスタンティノープル公会議には、ローマ派とコンスタンティノープル派の争いを嫌って欠席します。

当時はローマ帝国の首都がコンスタンティノープルに置かれていたため、ローマ司教(教皇)の権威も限定的なものだったのです。

西暦451年のカルケドン公会議では、当時のローマ教皇レオ1世は「自分の声はペテロの声である」と主張しました。
このレオ1世は、フン族の王アッティラを説得で退けたという伝説を持つ教皇で、このアッティラの説得をきっかけに教皇権が強化されていったのは事実です。

ヨーロッパの伝説では、レオ1世の忠告を聞き入れなかったアッティラに天罰が下り、残された部下は恐れをなしてローマ教皇の忠告を守り東方に去って行ったとされています。

実際には疫病と飢餓によって戦闘不能に陥ったフン族が撤退したという説が有力ですが、このアッティラの撤退劇を利用して、ローマ教皇はキリスト教世界における権力者になっていくのです。

西暦495年にはローマの司教会議において、ローマ教皇ゲラシウス1世を指して「イエスキリストの代理人」という称号が用いられます。

これは当時のこれは五大総大司教座(ローマ、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノープル、アレクサンドリア)の中で、ローマ司教こそがキリスト教会の頂点に立つ存在であることを主張したと言われています。

4世紀から教皇のバビロン捕囚でアヴィニョンに移り住むまでの歴代教皇は、バチカンではなく、コンスタンティノープル帝より贈られたローマ市内のラテラノ宮殿に住んでいました。

西暦752年にフランク王国のピピンがランゴバルド族の土地をローマ教皇に寄進したことにより、教皇領が生まれます。
教皇領が拡大するにつれ、その富が集まるようになり、バチカン一帯は栄えていきました。

西暦1377年にフランスのアヴィニョンからローマに戻った教皇は、当初ローマ市内のサンタマリア・マッジョーレ大聖堂に居住しましたが、その後バチカンに教皇宮殿を建設し、それ以降の教皇はバチカンに居住しています。

西暦1506年、現在のサンピエトロ大聖堂の建設が始まります。
この建設工事には100年以上の時間を費やし、西暦1626年にようやく工事が完了しました。

西暦1796年にナポレオンの進軍によって教皇領は占領され、消滅してしまいますが、ナポレオン戦争後のウィーン会議で再び復活します。
教皇領が占領されている間もバチカンはカトリックの総本山として機能していました。

その後、イタリア統一運動が起こると、教皇庁とイタリア王国は激しく対立します。
西暦1870年にイタリア王国によって教皇領が占領されて以降は、教皇は自らをバチカンの囚人と呼び、イタリア政府と断絶状態となりました。

この断絶状態は西暦1929年まで続きましたが、3回に及ぶラテラノ条約によってバチカンはイタリアから独立し、現在に至ります。

代表的建造物

サンピエトロ大聖堂

イタリア=バロック式の極致とも言われる壮麗な大聖堂です。

西暦324年に最初の聖堂が建設されたサンピエトロ大聖堂は、総面積22000平方メートル、収容人数6万人の規模を誇る、ヨーロッパ最大の大聖堂です。

サンピエトロ大聖堂の前にはサンピエトロ広場があり、広場を囲むように円形回廊が広がっていて、その上には140体の聖人像が飾られています。

広場中央のオベリスクは1世紀頃にエジプトから運ばれ、現在のバチカンとなっているバチカヌスの丘に置かれていたものと伝わっています。

サンピエトロ大聖堂は内部見学が可能で、見学料も無料となっています。
入場前にはボディーチェックがあり、火器、凶器の類いは没収されます。

晴れた日の昼下がりにサンピエトロ大聖堂の内部に入ると、天窓から射す光がまるで救世主が降臨する道標のように映り、まさに聖地という雰囲気を感じさせられます。

普段はそこまで混まないサンピエトロ大聖堂ですが、日曜日には隣接するバチカン宮殿の窓から手を振る教皇の姿を一目見ようと、かなり多くの人が集まることが多いです。

また、観光客が多い、少ないに関わらず、ここはカトリック総本山で、宗教的聖地ですので節度を持った服装と行動を心がけましょう。

システィーナ礼拝堂

シクストゥス4世によって西暦1477年に建設された礼拝堂です。

ルネッサンスの巨匠ミケランジェロ作の天井画「天地創造」と「最後の審判」があることで有名で、その絵を一目見ようと多くの観光客が訪れています。

このシスティーナ礼拝堂は、教皇を選出するための枢機卿会議(コンクラーベ)にも使用されています。

サンタンジェロ城

元々は西暦135年に古代ローマ帝国五賢帝のひとり、ハドリアヌス帝によって建設されました。
ハドリアヌス帝はこの城をみずからの霊廟として建設していましたが、建設から月日が流れるにつれて軍事施設として利用され始めました。

中世以降は歴代のローマ教皇によって要塞機能が強化されていきます。
ローマ教皇の非常時の避難所として機能していたサンタンジェロ城には、サンピエトロ大聖堂へと繋がる地下道があると言われています。

この城の最上部には大天使ミカエル像が設置してあります。

これは、西暦590年にローマでペストが流行した時に、当時のローマ教皇が城の頂上で剣を手にする大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を予期したという伝説に基づいています。

サンタンジェロ城からテヴェレ川にまっすぐかかる橋はサンタンジェロ橋と言います。
この橋の両側欄干には10体の天使像が並べられていて、正面から城を見るとまるで天使に城に案内されているかのように見えます。

昼間でも十分美しいのですが、夕方以降に城がライトアップされる頃が最も美しい時間帯です。

役立つ情報&豆知識

こちらではバチカン市国観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

スイス人傭兵

サンピエトロ大聖堂で見かける青とオレンジの縞模様の制服を着ている衛兵は、スイス人傭兵です。

全部で110名いるスイス人傭兵は、スイスのカトリックの男子から選ばれています。
身長、学歴、独身であることなど、数多くの条件をクリアした男子だけが、スイス傭兵になる資格を得るのですが、その給料は非常に安いです。

バチカン郵便局

実はバチカン市国には郵便局があって、もちろんここから世界中に発信することができます。

バチカンで販売している切手はバチカンでしか使えず、またバチカンで使える切手もバチカンで発行されたものだけとなっているなど、やや不便は不便なのですが、世界で唯一バチカンの消印を押されるのがこの郵便局だけですので、いつもかなりの観光客で賑わっています。

最後に

いかがでしたか。
これをきっかけにバチカン市国に興味を持って頂けたなら幸いです。

カトリックの総本山、バチカン市国は世界中のカトリック信者や、カトリック教徒以外の観光客も多いのですが、大聖堂内部がものすごく広いからなのか、大聖堂内部に入ってしまうとそれまでの喧噪が嘘のように静まりかえります。

元々がローマ市内に存在している為、アクセスもよく、宿泊場所によっては歩いて行けると思います。

私はローマ市内でもこのバチカン市国のサンピエトロ大聖堂が大好きです。
こんなに神聖な空気を感じられる空間は、日常生活では思いつきません。

サンピエトロ大聖堂などのバチカン市国の建物も、夜はライトアップされ、幻想的な風景を見せてくれます。
イタリア、ローマまでお越しの際は、是非バチカン市国にも足を伸ばして下さい!