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ロシアの最も古い町!ロシアの世界遺産ノヴゴロドの文化財とその周辺地区とは?

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ロシアの「ノヴゴロドの文化財とその周辺地区」です。

皆さんはノヴゴロドの文化財とその周辺地区についてご存じでしょうか。

ノヴゴロドという名前は「新しい町」という意味なのですが、この町はノヴゴロド公国という国が建国される以前にあった「ルーシ・カガン国」の重要都市で、名前とは反対にロシア共和国で最も古い町です。

そんなノヴゴロドの文化財とその周辺地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ノヴゴロドの歴史

ノヴゴロドに最初の町が建設されたのは西暦850年頃と言われています。

もともとはルーシ・カガンという国がこのあたり一帯にあり、その頃のノヴゴロドは「ホルムガルド」と呼ばれていました。

ルーシ・カガン国はヴァリャーグと呼ばれるヴァイキングの一部族であるルーシが建国した国の名前です。

その後、スウェーデンからヴァイキングの有力者リューリックがノヴゴロドに攻め寄せ、征服されます。

リューリックの時代にはノヴゴロドが政治の中心地となり栄えましたが、リューリックの死後はウクライナのキエフに政治の中心地が移ってしまいます。

ノヴゴロドは政治的な影響力こそ失いましたが、経済的には成長を続け、キエフ大公国から独立し、ノヴゴロド大公国となりました。

ノヴゴロドは地中海と黒海、バルト海を結ぶ交易ルートの中継拠点だったため、早くから交易都市として栄え、中世にはハンザ同盟の商館が置かれていました。

ノヴゴロドに置かれた商館はハンザ同盟の四大商館の一つと言われており、その権益を巡ってハンザ同盟の中心都市、ヴィスビューとリューベックが争ったことでも有名です。

当時、ロシアから輸出された毛皮、毛皮製品は非常に高価なものでした。

北欧やドイツからの商人だけでなく、東ローマ帝国やサラセン商人もノヴゴロドを訪れたそうです。

各地から交易商人が集まったノヴゴロド大公国には莫大な富が集まり、12世紀にはイヴァン商人団という交易商人の組合も結成されました。

西暦1136年に起きた大規模は反乱によって当時のノヴゴロド公爵は追放されました。

これをきっかけにしてノヴゴロド大公国は君主国家でありながら半ば共和制が敷かれるようになったと言われています。

この大規模な反乱を「12世紀ノヴゴロド革命」と呼んでいます。

その後13世紀前半にはアレクサンドル・ネフスキーが率いるノヴゴロド大公国軍がスウェーデン軍をネヴァ川の戦いで打ち破ります。

アレクサンドル・ネフスキーの「ネフスキー」とは「ネヴァ川の勝利者」という意味の言葉です。

この時代のノヴゴロド大公国周辺では、モンゴルによる激しい攻撃が行われていましたが、ノヴゴロド大公国自体は攻撃されませんでした。

ノヴゴロド大公国の戦争相手はもっぱらスウェーデンとドイツ騎士団でした。

モンゴル帝国のロシア・ヨーロッパ方面侵攻作戦はジョチ・ウルスによって進められていましたが、ノヴゴロド大公国はジョチ・ウルスの都サライに使者を送り、進んで臣従しました。

ジョチ・ウルスはキプチャク・ハーン国と言った方がわかる方が多いかもしれません。

この名前の由来は「金色の本陣」という意味で「金帳」ハーン国です。

モンゴル帝国の襲来によって200年以上の間、ロシアにはタタールのくびきと呼ばれる時代が到来しました。

タタールというのはもともとトルコ系の言葉で「他の遊牧民」を指す言葉です。

東方から来たトルコ・モンゴル系の遊牧民の戦闘力は凄まじく、中でもモンゴル帝国は陸上戦ではほぼ負け知らずでした。

世界中の多くの地域でモンゴル帝国は快進撃を続け、世界最大の帝国を築き上げたのです。

アレクサンドル・ネフスキーの末の子、モスクワ公爵ダニール・アレクサンドロヴィッチの時代以降は、モスクワ大公国の影響が強くなります。

モスクワ大公国は徐々に強大化していき、西暦1478年にノヴゴロド公国を征服し、ノヴゴロド公国は滅亡しました。

代表的建造物

リプノ島の聖ニコラス教会

リプノ島の聖ニコラス教会は、13世紀後半に建設された石造りのロシア正教会の教会です。

川の中州に作られたこの教会は聖ニコラスが祀られています。

ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂

ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂はロシア正教会、ノヴゴロド大主教区の主教座聖堂です。

西暦1045年から1050年頃建設されたこの大聖堂は、ウクライナの首都キエフにある同じ名前の大聖堂を強く意識しているとされています。

キエフの聖ソフィア大聖堂と比較すると、ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂は丸屋根の数が少なく、5つの丸屋根がピラミッド状に接近して作られていることが特徴です。

丸屋根の数が減ったことで採光部も減少し、大聖堂内部に入る光が少なくなったため、ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂では採光部から差し込む光をより強く感じるようにできています。

キエフの聖ソフィア大聖堂と比較して、丸屋根の数が3分の1近くに減らされているのは、経済的な理由や工期短縮を狙ったようなものではなく、ノヴゴロド派と呼ばれる建築技法にその理由があります。

ノヴゴロド派はモニュメントの建設を得意としていたことで知られており、丸屋根の数を減らしたのも大聖堂内部の荘厳さをアピールすることと、過度な装飾を廃して質実剛健を表したかったのだと言われています。

ソヴィエト連邦時代には宗教弾圧が発生し、聖ソフィア大聖堂も反宗教博物館として利用されました。

第二次世界大戦ではナチスドイツ軍の激しい攻撃によって大聖堂にも被害が出ます。

攻撃によって落下したドーム上の十字架は、聖ソフィア大聖堂に司令部を置いていたスペイン義勇兵舞台によってスペインに運ばれました。

西暦1991年にロシア正教会に聖ソフィア大聖堂が返還されると、西暦2004年にスペイン政府から、かつて持ち去った十字架を返還すると発表され、11月6日、60年の時を経て十字架は聖ソフィア大聖堂に返還されました。

ネレリツァ教会

ネレリツァ教会は西暦1198年に建設されたロシア正教の教会で、ロシアでも最も古い教会の1つです。

第二次世界大戦中の西暦1941年から西暦1943年にかけてナチスドイツとソヴィエト連邦の間で行われた激しい戦いによってネレリツァ教会も破壊されてしまいました。

戦後、建物は再建されましたが、当時のフレスコ画は失われてしまいました。

クレムリン

クレムリンというとロシアの首都モスクワのクレムリンがあまりにも有名なため、そちらを想像してしまう方が多いのですが、クレムリンという言葉は宮殿や城塞という意味で、各地にクレムリンが存在します。

ノヴゴロドのクレムリンもその1つで、城壁に囲まれた内部は現在では公園となっています。

有料で城壁の上や鐘楼に登ることもできます。

お役立ち情報

こちらではノヴゴロド観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ガイドブックや旅行関連のホームページなどではノヴゴロドはサンクト・ペテルブルクから日帰りが可能と書いてあるものもありますが、おすすめできません。

ノヴゴロドへのアクセスは長距離バスまたは電車でサンクト・ペテルブルクから約4時間かかります。

確かに日帰りも可能ではあるのですが、往復で8時間以上かかってしまい、ノヴゴロドでの滞在時間は短くなってしまいます。

ノヴゴロドの観光スポット自体は比較的狭い地域に点在していますので、日帰りでも見て回ることは可能ですが、やはり1泊して時間的な余裕を以て観光した方がより楽しめると思います。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにノヴゴロドの文化財とその周辺地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

ノヴゴロドはロシア人のルーツと言われている町なのですが、日本では知っている人はあまりいません。

モスクワ大公国との争いに敗れた後は地方の小都市となってしまったことと、サンクト・ペテルブルクの建設によって交易都市としての重要度が下がったことが大きな原因なのですが、ロシア最古の町ということもあり、最古の教会、最古のクレムリンなど、ロシア最古の建物が数多く存在しています。

位置的にはモスクワよりもサンクト・ペテルブルクに近いので、日本から訪れる観光客はほとんどがサンクト・ペテルブルクと組み合わせて旅行を計画するそうです。

サンクト・ペテルブルクを訪れる際には是非ロシア最古の町ノヴゴロドへも足をお運びください!