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ロシアの世界遺産!モスクワのクレムリンと赤の広場の魅力とは?

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ロシアの「モスクワのクレムリンと赤の広場」です。

皆さんはモスクワのクレムリンと赤の広場についてご存じでしょうか。

クレムリンと赤の広場はロシア連邦の首都、モスクワの中枢です。

世界政治の1極を担うロシア連邦の政治的中心地であるクレムリンは、毎日のようにニュースでも映像が流れていますので、見たことがある方が多いでしょう。

しかし、歴史的なエピソードについては知らない方がほとんどなのではないかと思います。

そんなモスクワのクレムリンと赤の広場の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

モスクワの歴史

現在はロシア連邦の首都となっているモスクワの歴史は意外にも新しく、西暦1147年にキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキー(手長公)に関する記述がモスクワに関する最初の記述になります。

その後西暦1156年に軍事拠点が建設され、次第に周辺地域から人が移り住んで町を形成していきました。

西暦1237年から翌西暦1238年にかけてはヨーロッパに侵入したモンゴル帝国によって劫掠の限りを尽くされ、焼け野原となりました。

その後西暦1271年にウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーが死ぬと、その息子ダニール・アレクサンドロヴィッチがモスクワ周辺の領土を相続して、モスクワ公国を建国します。

その後、モスクワ公イヴァン1世はキプチャク・ハーン国の徴税請負人となり力を付け、モスクワ大公を名乗りました。

14世紀の終わり頃には一時期キプチャク・ハーン国によって武力占領されたこともありましたが、西暦1480年にはイヴァン3世がキプチャク・ハーン国の勢力を追い払い、長きに渡った「タタールのくびき」を終らせました。

このイヴァン3世の時代にアルハンゲリスキー大聖堂などの数多くの建造物が建設され、クレムリンが拡張されました。

赤の広場が建設されたのもこの時代になります。

赤の広場と呼ばれているこの広場ですが、特に赤いというわけではありません。

もともとロシア語の「赤」と「美しい」の語源が同じことから、このような名前となっていますが、当初の意味は「美しい広場」だったと言われています。

西暦1561年には聖ワシリイ大聖堂が建設され、16世紀の終わり頃にはクレムリンの外側に城壁が建設され、さらにその外側に土塁が築かれました。

城壁の内側は「白い町」と呼ばれ、城壁から土塁までの間は「土の町」と呼ばれました。

この頃のロシアはまだ強大な国ではなく、西暦1610年にはポーランド=リトアニア連合共和国軍によって、モスクワを一時期武力占領されています。

この武力占領は西暦1605年から西暦1618年まで続いたロシア・ポーランド戦争中に起こった事ですが、この戦争は国家間の一貫した戦争ではなく、もともとはロシア国内の内乱に乗じたポーランド貴族による介入程度の小競り合いでした。

やがてポーランド貴族がロシアの転覆・乗っ取りを企てるようになると、ロシアはスウェーデンと軍事同盟を結びます。

これをきっかけに反スウェーデンの目的からポーランド・リトアニアが公式にロシアに対して侵攻しました。

ロシア、スウェーデン、ポーランド=リトアニアが三つ巴で争ったこの戦争はやがて泥沼の様相を帯び、西暦1613年にはロシア義勇軍の手によってモスクワが解放され、ミハイル=ロマノフをツァーリとするロマノフ朝ロシア帝国が成立しました。

ロマノフ朝が成立した後も各地で戦争は続きましたが、西暦1618年にデウリノの和約が結ばれ、ロシア・ポーランド戦争は終結します。

この戦争の結果、スウェーデンはバルト海東岸に勢力圏を獲得し、ポーランド=リトアニアは東側に勢力を伸ばし、ロシアは外国勢力を排除し独立を維持しました。

大帝と呼ばれたピョートル1世の時代に、ロシア帝国は西方への進出拠点としてサンクトペテルブルクを建設し、帝国の首都を遷都します。

首都の座を奪われたモスクワでしたが、その後も副首都として東方政策の中心地であった他、サンクトペテルブルクの急進派に対し、モスクワの保守派というように帝国のバランサーとしてうまく機能しました。

西暦1812年にはフランス皇帝ナポレオンの率いる大陸軍との間に大祖国戦争が勃発し、モスクワも攻撃されます。

ロシア帝国は焦土作戦を採った為、モスクワは焼け野原になってしまいましたが、ナポレオン撤退後、すぐに再建されました。

ソビエト革命後の西暦1918年にソ連の首都の座に返り咲いたモスクワは、ソ連崩壊後のロシア連邦においてもそのまま首都とされ、現在に至ります。

現在の人口は1000万人を超えるヨーロッパ最大の都市でもあります。

これは余談ですが、伝統的なヨーロッパの概念ではロシアはヨーロッパではなくアジアのイメージがあるそうです。

確かに地理的な位置関係で見ると、トルコやエジプトと変らない距離が有るため、ヨーロッパというには遠すぎるのかもしれませんね。

代表的建造物

クレムリン

現在はクレムリンと言えば一般的にロシア大統領府、ロシア政府を指す言葉となっていますが、クレムリンとはロシア語では城塞を意味する言葉であり、中世ロシア圏の都市はどこでもクレムリンを持っていました。

モスクワのクレムリンは複数の宮殿や大聖堂、城塞からなる複合建築群であり、広大な敷地を有しています。

クレムリンの中でも、クレムリン大宮殿と言うと、クレムリン宮殿、グラノヴィータヤ宮殿、テレムノイ宮殿の3つの宮殿を指します。

赤の広場に面した2つの黄色い建物、ロシア大統領官邸、大統領府は含まれていないので少しややこしいです。

大聖堂広場

大クレムリン宮殿の東側には数多くの大聖堂で囲まれた大聖堂広場があります。

この広場の一角にある、15世紀後半に建設された5つのドームを持つ大聖堂がウスペンスキー大聖堂です。

ここでは歴代のロシア皇帝の即位式が行われ、現在もロシア連邦大統領の就任式が行われています。

別の一角にある16世紀初頭に建設されたアルハンゲリスキー大聖堂には、歴代のロシア皇帝の納骨堂となっています。

スパスカヤ塔

クレムリンに数多くある城門塔の中でも赤の広場への出入り口となっているスパスカヤ塔は最も格上の門とされています。

このスパスカヤ塔とトロイツカヤ塔、ホロヴィツカヤ塔、ヴォドヴズヴォドナヤ塔、ニコリスカヤ塔の5つの塔の頭頂部には、クレムリンの星と呼ばれる、ルビーで作られた巨大な赤い星が飾られています。

赤の広場

西暦1493年にイヴァン3世によって整備された広場を起源とする赤の広場は、現在の名称になるまでに何回かその名称を変更されています。

当初は交易や商売を意味する言葉である「トルグ広場」と呼ばれ、やがては広場の一角にあるトロイツカヤ聖堂の名前を取って「トロイツカヤ広場」、16世紀後半に起こった大火にちなんだ「ポジャール広場」(家事の広場)などを経て、17世紀に現在の名称である「クラスナヤ広場」に改名されました。

この広場には連邦大統領府や連邦政府、レーニン廟などもあり、ソ連時代からロシアの政治的な象徴となっており、現在でも毎年5月9日には軍事パレードが行われています。

ソ連崩壊後は政治利用だけでなく商業利用されるケースも増えており、ハリウッド映画の撮影やコンサートが開催された事もあります。

聖ワシリイ大聖堂

赤の広場の一角にあるこの大聖堂は、非常にロシアらしい建築物です。

たまねぎのような形のカラフルなドームを持つこの大聖堂は、ロシアをイメージする写真で数多く使われている為、なんとなく見たことがある方がほとんどでしょう。

この大聖堂は中央にある主聖堂を囲むように高さ、大きさ、デザインの異なる副聖堂がいくつも配置されており、非常にユニークな外観をしています。

役立つ情報&豆知識

こちらではモスクワ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

名物料理

非常にベタなのですが、やはりロシアの名物料理と言えば、ボルシチとピロシキです。

ボルシチはビーツとたまねぎ、ニンジン、牛肉などを炒めてから煮込んだスープですが、特に具材が決まっているわけではありません。

日本でもお味噌汁の具に、定番はあっても決まりがないようなものかもしれませんね。

見た目も赤くなるのが一般的ですが、鮮やかな紫のボルシチもあります。

ピロシキはパンの中にいろいろな具を詰め、オーブンでやいた料理です。

日本のカレーパンはピロシキにヒントを得て作られたといいます。

我々日本人がイメージするピロシキは、具が詰まった揚げパンですが、一般的なピロシキはオーブンで焼いた物だそうです。

ヴェルニサージュ

イズマイロフ市場の別称でもあるこのヴェルニサージュはお土産市場と言った方がわかりやすいかもしれません。

地下鉄パルチザンスカヤ駅を出て北にまっすぐ10分ほどでヴェルニサージュにたどり着きます。

イズマイロヴォスタジアムのすぐ手前です。

ここは非常に沢山のお店があり、博物館やテーマパークなども併設されていますので、ちょっとお土産を買いに、なんて感覚で行くとあっという間に時間が過ぎてしまうかもしれませんのでご注意を。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにクレムリンと赤の広場に興味を持って頂けたなら幸いです。

クレムリンも赤の広場もどちらも多数の建造物群を含む広大な世界遺産で、今回ご紹介した建物以外にも歴史的建造物や観光スポットがたくさんあります。

また、クレムリン、赤の広場などというと年配の方の中には旧ソ連を思いだして何だか生きた心地がしないと言う方もたまにいらっしゃいますが、ソ連崩壊から約30年が過ぎた今では、毎年多くの観光客が訪れる世界的にも人気のある観光スポットとなっていますので、ご安心下さい。

一時期は首都の座をロシア連邦第二の町、サンクトペテルブルクに譲ったとはいえ、ロシア建国からの首都であるモスクワにはクレムリンと赤の広場以外にも数多くの魅力的な観光スポットがあります。

ヨーロッパ最大都市、モスクワを満喫する為にぜひまとまった日数での滞在をご検討下さい!