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ルーマニアの宝石!?世界遺産『シギショアラ歴史地区』にズームイン!

今回ご紹介するのは世界遺産、ルーマニアの「シギショアラ歴史地区」です。

皆さんはシギショアラ歴史地区についてご存じでしょうか。

シギショアラはルーマニアのちょうど中央部に位置する町の名前です。

この町はルーマニア民族ではなく、トランシルバニア=ザクセン民族によって建設されました。

12世紀頃に建設されたこの古い城塞都市には現在でも多くの人々が住んでおり、トランシルバニア=ザクセン民族の900年近い歴史を現代に伝える重要な役割を持っています。

その古い街並みは「ルーマニアの宝石」とも称されるほど美しく、訪れる人々を魅了します。

そんなシギショアラ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

シギショアラの歴史

この町を含むトランシルバニア地方がハンガリー王国の領土となったのは11世紀の事でした。

12世紀から13世紀にかけて、ハンガリー国王はこの地方の防衛の意味も含ませて、ザクセン地方のドイツ系民族の職人、商人などを入植させました。

この時に入植した人々の中にはザクセン以外からの入植者も含まれていましたが、ハンガリーの公式文書では一律でザクセン人と記されていました。

西暦1280年の記録によれば町はカストルム=セクス(第六要塞)として記載されています。

その後西暦1337年からはハンガリー国王がこの町に定住するようになり、町には数々の特権が付与されました。

その後数百年間に渡って、ハンガリーの東方政策上重要な軍事拠点として、また交易、商業の中心地として町は発展を続けました。

トランシルバニア地方の中心地となったこの町には神聖ローマ帝国全土から商取引のチャンスを求める商人や、職人たちが訪れるようになりました。

こうしてやってきたゲルマン系の人々は町の経済を支配するようになります。

彼らの財力によって建設された建物は非常に堅牢なものが多く、元からの城塞と合わせて町全体が防御施設のような状態になり、外敵の攻撃を防いでいました。

ワラキア公爵ヴラドー2世ドラクロワはこの町に一時期亡命していました。

彼の息子、ヴラドー=ツェペシュはかの有名なドラキュラ伯爵です。

後ほど改めてご紹介しますが、現在でも旧市街にはドラキュラ伯爵が生まれた家が残されています。

西暦1700年から西暦1850年頃までは戦争、火災、そしてヨーロッパ中で猛威を振るったペストが大流行して町の人口も激減しました。

この頃からシギショアラの経済的、政治的重要性が低下し始めます。

町はその設立当時から長くハンガリー王国に帰属していましたが、第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗北したことによってトランシルバニア地方がルーマニア王国に割譲されました。

それ以来、現在までルーマニアに帰属しています。

代表的建造物

山上教会と屋根付き階段

山上教会と呼ばれているのは聖ニコラウス教会です。

この教会は防壁の南側にある「学校の山」と呼ばれている山の上にあります。

山の名前の由来は、教会と同じく山の上にある学校から来ています。

この学校は現在ではドイツ語を教える学校として利用されています。

旧市街から山の上への道は屋根付きの階段になっています。

この階段は悪天候でも教会や学校に通えるように作られたもので、西暦1642年に作られました。

教会が初めて資料に現れたのは西暦1345年の事です。

この時には建設途中で、完成したのは180年後の西暦1525年のことでした。

約200年かけて建設された教会はトランシルバニア=ゴシック式の建物で、この地方の建築様式としては代表的なものとして評価されています。

当初ローマ=カトリックに所属する教会でしたが、16世紀中ごろにはルーテル派の教会になりました。

ヴラドーの家

先ほども少しお話しましたが、シギショアラはドラキュラ伯爵のモデルとして有名なワラキア公爵ヴラドー3世ツェペシが生まれた町でもあります。

彼が生まれた家はそのまま残っていて、現在ではレストラン「カーサ・ヴラドー・ドラクロワ」として営業しています。

旧市街の時計塔から近い城塞都市広場に面したこの建物には、西暦1431年から西暦1435年までの4年間、ワラキア公爵ヴラドー2世が蟄居していた建物で、ヴラドー3世ツェペシはその時に生まれたのです。

ブラム・ストーカーの小説で一躍有名になったヴラドー3世ツェペシですが、もともとワラキア公爵としてオスマントルコ帝国軍と戦った際に、捕えた捕虜を串刺しにして城門の前に晒したことから串刺し公という異名が付けられ、その残虐な行いをヒントとしてドラキュラ伯爵が誕生したと言われています。

実はヴラドーの家は世界遺産の登録審査では全く言及されておらず、登録を認定するためのICOMOSの評価書でも特に記載はありません。

しかし、世界遺産の解説書やガイドブックでは必ず触れられるスポットです。

ドラキュラ伯爵の知名度は世界的にも高く、世界遺産の事はわからなくてもドラキュラの事はわかる、という方も多いので当然と言えば当然なのですが・・。

ヴラドーの家には中世武器博物館という施設が併設されています。

この博物館では近代以前の中世の武器、甲冑などの他、ヴラドー3世ツェペシにゆかりのある品などが展示されています。

お役立ち情報

こちらではシギショアラ歴史地区観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

迎撃塔群

旧市街を囲む城塞を守るための迎撃塔が数多く残されていることもシギショアラの特徴です。

9つある迎撃塔にはそれぞれユニークな名前が付けられています。

最も有名なのは時計塔ですが、その他の塔は職人ギルドに由来した名前になっていて、ブリキ職人の塔、皮なめし職人の塔、精肉業者の塔、毛皮職人の塔、綱業者の塔、仕立て業者の塔、製靴職人の塔、鍛冶職人の塔、となっています。

この名前からもシギショアラに多くの職人が集まっていたことがわかるかと思います。

迎撃塔の名前となっている職人ギルドは全て裕福なギルドで、その経済力で町の有力者ともなっていました。

塔に名前が付いていることから、戦いの時にはそれぞれの塔をギルドが守ると思っている方がたまにいらっしゃいますが、そのようなことは無かったそうです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにシギショアラ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

日本では、特に年配の方を中心にルーマニアというとなんだか暗い雰囲気のイメージを持っている方も多いのですが、実際にルーマニアの人々と接してみると意外に明るくて気さくな方が多いことに驚きます。

シギショアラは長くハンガリーだったこともあり、またドイツ系の住民が数多く住んでいることも影響していることもあって、他の地域とはまた違う雰囲気なのかもしれませんが、観光客も多く、道を尋ねても優しく教えてもらえます。

ルーマニアへのご旅行をお考えでしたら是非シギショアラご訪問もご検討下さい!