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ヨルダンは死海だけではない!息を飲む圧倒的スケールの世界遺産ペトラ遺跡の鼓動を感じよう!

ヨルダンに古代より存在するペトラ遺跡。

ヨルダンといえば死海が有名ですが、このペトラ遺跡もその存在感はそれに負けないくらいのものがあります。世界最大級のこの世界遺産は、その中では荘厳さにおいては他の追随を許さず、そのスケールの大きさにはあなたも必ず息をのむでしょう。

その歴史はとても長いにも関わらず、新・世界の七不思議に選出されたのは比較的新しい時期です。赤みがかった色、美しい柱とともに峡谷にそびえ立つ優雅さはまさに神殿そのもの。

多くの人々がみたであろう映画にも出てくるこの美しいペトラ遺跡について、まだまだ解明されていない謎も多いですがそのあたりにも触れながらご紹介していきます。

ペトラ遺跡の歴史

ペトラ遺跡は古代遺跡として歴史が長く、紀元前1200年まで遡ります。当時この土地にはエドム人が暮らしていたと考えられているますが、詳しいことはわかっていません。

遊牧民族のナバテア人がこの地に移住してきたのが紀元前7世紀頃です。このナバテア人のペトラへの移住・定住、そして岩壁を削って建造した大都市がペトラの繁栄へと繋がる起点となります。

ペトラはその立地条件の良さを生かしてナバテア人はアラビア付近の貿易を独占することになります。シルクロードの交易都市として栄華を誇り、中国、インド、アラビア、シリア、ギリシャ、ローマ、エジプトまで及ぶ国々と絹や香辛料を取引していたといいます。

紀元前1世紀頃が最盛期とも言われ、アンマン、ダマスカスまで勢力を伸ばしたという記録も残っています。

香辛料交易としての拠点機能と治水システムはペトラにおける最大の特徴でした。農業に不向きな岩礁地帯だったため渓谷を通る水は鉄砲水となりましたが、ダム建設によりナバテア人が給水設備を構築していたことがわかっています。

そんなペトラとナバテア人でしたが、紀元前64年頃から、将軍ポンペイウスによりローマの支配下に置かれることとなります。ローマは、ペトラの立地を利用して砂漠からの侵入を狙っている異民族を防ぐ壁としてペトラを利用しました。

この頃から現在ペトラ遺跡内にみられるローマ風の建築物が造られ始めたのです。2世紀初頭に勃発した反乱もトラヤヌス帝のローマ軍に制圧され、それを機にペトラはローマの属州となりました。

4世紀と8世紀に発生した大地震による建造物そして水路網の崩壊と破壊、そして7世紀のイスラム帝国による征服を境に、ペトラは衰退へと向かい廃墟へと化していきます。

その後のペトラは主に要塞として利用され、ビザンチン帝国・イスラム帝国12世紀には十字軍が使用した記録があります。ベドゥイン族が住む僻地としての記録を最後に13世紀以降の資料がなく、

19世紀前半にスイス人の探検家ヨハン・ルードヴィッヒ・ブルックハルトによって発見されるまで、岩山に囲まれたこの古代都市ペトラは「忘れられた都」として歴史の隅にひっそりとしていました。

ペトラ遺跡の敷地は本当に広大で、現在観光用に公開されている部分は遺跡全体のたった1%に過ぎません。

遺跡敷地内の建造物とその構造

ギリシャ語で“崖”を表すペトラは、死海から約80kmの距離にあり、岩の芸術とも称されるその遺跡は自然の岩をそのまま掘ってできた大規模な建造物の姿は、光の加減によって岩の色が何色にも変化して見える美しさを誇っています。

『シーク』

ペトラ遺跡への入り口として、まずは高さ80mの絶壁・長さ1kmの狭い通路である「シーク」(岩の裂け目)を歩きながら進みます。

これは紀元前4世紀のナバティア王国によって築かれた自然の要塞を守るため、敵の外部からの侵入を減速させるのに役立つ意図的な構造物です。

『エル・ハズネ』


美しく精密な構造でペトラの象徴としても知られている『エル・ハズネ』はアラビア語での別名を「宝物殿」と言います。

少し黒がかったピンク色の幅30m、高さ43mの切り立つ岩壁を削ってできた正面から見る景観は見る者を圧倒するものがあります。エル・ハズネは王の墳墓としての建造物であり、他にも500の墓が残っています。

どれも簡素なものではなく精巧な彫刻が施されただけでなく、過去の大地震を経ても損傷なく墓として現在まで保存されており、その作りの頑丈さには驚くばかりです。

この500の墓を全て見て回るのにかなりの日数を要し、4〜5日は必要だと言われています。

『ローマ様式建造物』

エル・ハズネを抜けるとその後、ローマ円形劇場やカスル・アル・ビント、神殿、宮殿、公共浴場などが目に飛び込んできます。ナバテア人が建造したローマ様式劇場は3,000人の収容が可能な巨大なものです。

またオベリスク、寺院、犠牲祭壇、列柱を通り、エドディル修道院があり、峡谷を見渡すようにそびえたつその様は感動を与えます。

元気があればぜひその後、800 段はあるという岩を削って造られた階段を上がってみてください。次の目的地、エドディルに辿り着きます。

『エド・ディル』

「エド・ディル」はその大きさから、ペトラ遺跡最大の建造物ともいわれています。その遺跡群は一色のように見えますが、実は太陽の当たる角度により色が刻々と変化するのがとても特徴的でまた魅力的でもあります。

敷地内には「ペトラ考古学博物館」と「ペトラ・ナバテア博物館」そして売店も存在しており、発掘物などの展示や職人が丹精込めて作った陶器や宝石を使った民芸品などを見ることができます。

気に入ったものがあればお土産として選ぶのもいいですね。色とりどりの砂を詰めたビンが特に人気です。

ペトラ遺跡が登場する作品
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)
監督:スティーブン・スピルバーグ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス

遺跡エリア:エル・ハズネ

『トランスフォーマー/リベンジ』(2009年)
監督:マイケル・ベイ
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ

遺跡エリア:エド・ディル

ペトラ遺跡はその巨大さと壮大さ、絵になる優雅さから映画界の巨匠のお眼鏡にかかってきました。スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、マイケル・ベイ、そうそうたる名前が並んでいますよね。

特にトランスフォーマーに関しては、映画撮影がされたのはペトラ遺跡の中でも最大を誇る「エド・ディル」ですが、ヨルダン王室がトランスフォーマーの大ファンであったことから、遺跡の外部だけでなく遺跡内部での映画撮影が許可されました。

日本から生まれたアニメがハリウッドに取り上げられたことで、ヨルダンという国にまで届いてペトラ遺跡が映画に盛り込まれたと考えると、日本人としてとても感慨深いですね。

映画のストーリーに沿っているにも関わらず、それがセットや映画用特注ではなく古代より人類がすでに建造したものだというのも驚きです。

ペトラ遺跡の順路

ペトラ遺跡の敷地内はとても広大ですが、散策中のその道中は狭いところも多く、またその狭い道を進むことで、いざ荘厳な神殿を目の当たりにしたときの感動と圧倒的なスケール感をより一層際立たせてくれます。ここではペトラ遺跡内の回り方をご紹介します。

ペトラ遺跡入り口
↓(徒歩)
シーク入り口
↓(徒歩)
エル・ハズネ(宝物殿)

サンドボトル屋さん(ペトラの砂を利用したお土産)名前入り

円形劇場
王家の墳墓(アーンの墓・シルクの墓・コリントの墓・宮殿の墓)
列柱通り、凱旋門
↓(徒歩)
エド・ディル(修道院)

また、暗闇のエル・ハズネを数多の火が照らす幻想的なイベント「ペトラ・バイ・ナイト」。小さな行灯に照らされた道やライトアップされるエル・ハズネでは昼間とはまた異なる魅力を味わえます。

最後に

今なお映画にも出てくるような遺跡が全て人の手によって建造され、またその時期が古代の技術によるものでその長い歴史を考えると、その美的センスと技術力の高さに心から驚かされます。

これだけ美しい建造物を後世に残してくれたことに感謝しつつ、私たちもペトラ遺跡についてさらに理解や見識を深め、敬意を評しながら訪れたいですね。

ペトラ遺跡が写真映えするスポットであることは疑いの余地がありませんが、実際に訪れた際には、ぜひその歴史と遺跡の鼓動を感じてみてください。