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モロッコの世界遺産!フェス旧市街をご紹介!

今回ご紹介するのは世界遺産、モロッコの「フェス旧市街」です。

皆さんはフェス旧市街についてご存じでしょうか。

フェス旧市街は西暦1925年までモロッコ王国の首都だったフェスにある古い町並みの事です。

モロッコの北部内陸部にあり、フェズやファースとも表記されるこの町は、過去モロッコにあった歴代のイスラム王朝によって都が置かれていた非常に伝統ある町です。

そんなモロッコの世界遺産、フェス旧市街の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

フェスの歴史

フェスの起源は非常に古いと言う説もあります。

現在では存在が立証されている中国の殷(商)も昔は同じような存在だったので、一概に有り得ない話と断定することもできませんが、科学的な裏付けが無いため一般的には伝説として扱われています。

紀元前40年頃にフェスの北西約50キロメートルの地点に古代ローマの植民市、ヴォルビリスが建設されていた事が分かっていますが、この頃でもフェスのはっきりとした状況は判明していません。

確実な記録としては、8世紀の終わり頃、イドリース朝のイドリース1世がフェスの西側に王都を建設し、次代のイドリース2世は東側に町を建設したことが分かっています。

その後、西暦818年にはイベリア半島にあったムスリム国家の後ウマイヤ朝の王都コルドバから、約8,000世帯の家族がフェスに移住したことで町は大きく成長しました。

西暦825年にはチュニジアのカイラワーンを追われた住民が町の西側に移り住み、カイラワーン地区が形成されました。

カイラワーン地区の住民は、カイラワーン地区にカラウィーン・モスクを建設しましたが、これには伝説があり、チュニジアからフェスに移り住んだ豪商が娘に莫大な遺産を残したため、相続人であった娘の喜捨によってカラウィーン・モスクと、アンダルス・モスクが建立されたというものです。

その後10世紀にはフェスは一時期チュニジアのファティマ朝によって支配されました。

西暦933年から西暦980年までの間は、イベリア半島の後ウマイヤ朝が北アフリカに勢力を伸ばし、フェスも支配下に組み入れられます。

この次代には後ウマイヤ朝を通してイベリア半島の文化が流入し、様々な方面でその影響を強く受けました。

後ウマイヤ朝の勢力が退くと、西暦1069年からはベルベル人の国家、ムラービト朝によってフェスは支配されました。

ムラービト朝の王都はフェスではなくマラケシュでしたが、フェスは文化、芸術の中心地として継続して栄えました。

西暦1146年にはフェスはムワッヒド朝によって占領されました。

この頃の統計調査によれば、フェスの市内には約800のモスク、約9万戸の住宅、約2万人の使用人用の小屋、約9千の商店、約450の商館がフェスにあったことが記録されています。

フェスは西暦1248年フェスはマリーン朝の支配下に入りました。

マリーン朝はアルジェリア東部のビスクラ地方に定住していたマリーン族が、より東方のスライム族などの部族に追われる形でサハラ地方に移り住み、西暦1196年に建国した国です。

その後マリーン朝はモロッコ全域に領土を広げ、それまでのムワッヒド朝の王都マラケシュから、フェスに王都を移しました。

西暦1276年にはマリーン朝の王、アブー・ユースフ・ヤークーブによってフェス・エル・ジュディド(フェス新市街)が建設されます。

西暦1395年には新市街に宮殿やモスクが建設されました。

この次代のフェスは、政治の中心が新市街、経済の中心が旧市街に置かれ、川を挟んで異なる役割を持った都市が1つとなっていました。

市内の人口は急速に増大し14世紀には既に10万人を超える住人が住んでいたと見られています。

フェスにはムスリムだけでなく多くのユダヤ人も住んでいたという記録が残っています。

マグレブの他の都市に比べても数多くのユダヤ人が住んでいたフェスでは、ムスリムとユダヤ人の間で問題が発生することもあり、マリーン朝の当局はユダヤ人居住区を建設する必要性を感じていた事から、西暦1438年頃には新市街にメーラが建設されました。

マリーン朝が滅んだ後はワッタース朝によってフェスは王都とされ、その後はマラケシュのサアド朝の支配下に入りました。

西暦1667年にはアラウィー朝によって再び首都とされ、文化、経済の中心地に返り咲きました。

20世紀に入るとフランスとスペインの保護領となり、この時にモロッコの首都はフェスからラバトに移されました。

その後西暦1956年にモロッコは独立を回復し、スペイン領を徐々に併合しつつ現在に至ります。

代表的建造物

フェス・エル・バリとフェス・エル・ジェディド

フェス・エル・バリは旧市街の事で、その複雑で入り組んだ作りから「世界一の迷宮都市」とも呼ばれています。

フェス・エル・ジェディドは遅れて作られた新市街の事で、こちらは旧市街に比べるとかなり分かりやすくなっています。

フェス・エル・バリの8つの門

フェス・エル・バリは城壁によって周囲を囲まれていて、外に出るためには城壁に設けられた8つの門をくぐる必要があります。

8つの門はそれぞれ、ブー・ジュルード門、ハディード門、ジャディード門、フトウ門、クウーカ門、シディ・ブー・シダ門、ギッサ門、ショルファ門という名前があり、西に向かう門であるブー・ジュルード門が正門とされています。

カラウィーン・モスク

旧市街のカイラワーン地区にあるモスクです。

もともとは小さな礼拝堂でしたが、10世紀に2万人が収容できる大モスクに改修されました。

このモスクに併設されたマドラサ(ムスリムの学校)は、世界最古のマドラサと言われています。

アンダルス・モスク

カイラワーン地区の南東にあるアンダルス地区には、イベリア半島から移り住んできた人々が数多く住んでいました。

アンダルス・モスクはカラウィーン・モスクに対抗して同時期に建設されたモスクです。

このアンダルス・モスクとカラウィーン・モスクの間には数多くのスークが広がって迷宮下しているため、1度迷うとなかなか目的地にたどり着くことが出来ません。

旧ユダヤ人街:メラー

旧ユダヤ人街であるメラーは、新市街の一角にあります。

イベリア半島でキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が始まると、ムスリムだけでなく数多くのユダヤ人もフェスに移り住んだのです。

旧市街の町並みと異なり、メラーには木造のバルコニーを設置した建物が数多く見られます。

役立つ情報&豆知識

こちらではフェス旧市街観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

観光ガイド

フェスの旧市街を観光するのでしたら、ホテルにガイドを手配してもらった方がいいかもしれません。

現地に行って自分で探すというのは危険ですのでおやめ下さい。

また、旧市街ではスリが多いとの情報もあります。

迷宮のような旧市街では、1度スられてしまうともう追いつくことができず、スリの成功率が高い事からその数も多いのだと言います。

タンネリ

フェスで有名ななめし革職人のスーク:ダッバーギーン(Souk Dabbahin)を、別名タンネリとも言います。

この近くにはものすごい数の客引きがいて、なめし革の染色作業を屋上から見られるといって声をかけてきます。

無料と言っていても後からなんだかんだ請求してきますので、ご注意を。

とはいえ、凶悪事件に発展したという例は耳にしたことがありませんので、事前に交渉して2~3ディルハムしか払わないよ!と伝えておけばその値段で引き下がるそうです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにフェス旧市街に興味を持って頂けたなら幸いです。

モロッコは日本からの距離も遠く、ほとんど耳にする機会も無い国ですが、大航海時代以前は世界の最先端技術を擁していたイスラム文化によって、古くから栄えた国なのです。

現在の首都はラバトですが、伝統的にはフェスがモロッコの中心地であり、長く王都が置かれていた事から、銀細工や革細工、編み物などの美しい工芸品が現在でも数多く作られており、町中のスークで安く買い求める事もできます。

日本からの直通便は運行していない為、ヨーロッパまたは中近東経由にはなりますが、異国情緒溢れるその町並みや、お土産は、長旅をする価値のあるものです。

次回のご旅行先がまだお決まりで内容でしたら、是非フェスへのご旅行もご検討下さい!