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マヤ=トルテカ文明の最高傑作!世界遺産チチェン・イッツァの魅力とは? 

 

今回ご紹介するのは世界遺産、メキシコの「古代都市チチェン・イッツァ」です。

皆さんは古代都市チチェン・イッツァについてご存じでしょうか。

チチェン・イッツァはメキシコ東部のユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡の名前です。

その名前の意味はユカタン語で「イツァ人の湖の畔」だそうです。

メソアメリカ文明は、エジプト文明同様ピラミッドを建設していた事で有名ですが、ここチチェン・イッツァも例外ではありません。

教科書にも乗っている程有名な遺跡ですので、見たことがある方も多いかと思います。

そんなメキシコの世界遺産、古代都市チチェン・イッツァの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

 

チチェン・イッツァの歴史

チチェン・イッツァの歴史は大きく2つの要素から成立しています。

これは、6世紀頃にイツァ族がマヤ期に築いた南側の旧チチェンと、10世紀以降のマヤ・トルテカ期に築いた北側の新チチェンに分かれているためです。

マヤ=トルテカ期の新チチェン建設については南側のチチェンが衰退期を迎えた後の西暦987年頃、トルテカ文明の町トゥーラの王トピルツィンが政権争いに敗れて落ち延びた先が北側の新チチェンだったという説が有力となっています。

南側の旧チチェンはマヤ期の町でしたが、北側の新チチェンにはマヤ・トルテカ期の町となった為、新たな繁栄をチチェン・イッツァにもたらしました。

この頃、チチェン・イッツァの繁栄とは対照的に、周辺のヤクーナやコバといった町が衰えて行きましたが、チチェン・イッツァが何か関わっているのかどうかについては未だに判明していません。

新チチェンを築いてからしばらくの間チチェン・イッツァは順調に栄えました。

しかし、正確な時期は不明ですが13世紀頃には国力が衰え始め、人々は近くのマヤパンに移り住み、チチェン・イッツァは人が住まない土地になりました。

代表的建造物

カスティーヨ

スペイン語で城の意味を持つこの祭壇は、「ククルカンのピラミッド」や「ククルカンの神殿」などとも呼ばれています。

ククルカンというのは、トルテカ文明などではケツァルコアトルと呼ばれている羽根を持つ蛇の神様のマヤ語での名前です。

このピラミッドには天文学的な要素が採り入れられていると言われているため、「暦のピラミッド」と呼ばれることもあるそうです。

4面は91段の階段となっていて、頂上部には正方形の神殿があります。

91×4=364に、最上部の神殿を1段と考えると1年の日数である365となるのです。

また、各面は9段階の階層を持った壁面となっているのですが、中央には階段があるため、18段とみることもできます。

マヤの暦では1年は18ヶ月となるため、これも一致しています。

また、春分の日、秋分の日の日没時、真西から太陽が照りつけると、北面の階段西側に浮かび上がるククルカンの胴体が北面階段最下段のククルカン頭部像と繋がる様子は、「ククルカンの降臨」と言われています。

浮かび上がるというと陰のほうに意識が行ってしまいがちですが、この場合は陽の当たる部分の方に注目して下さい。

まるで蛇のようにうねった形の光が射し、それが最下段の頭部と繋がっているように見えます。

これを見るためには1年に春分の日、秋分の日に限定される上に、当日の日没時に晴れている必要があります。

見られたら非常にラッキーという事ですね。

カスティーヨ内部にはトルテカ=マヤ方式の古いピラミッドが内包されていて、ジャガーの玉座や生け贄の心臓を太陽に捧げるチャクモール像が配置されています。

球技場

マヤ文明の遺跡共通とも言える球技場なのですが、チチェン・イッツァの球技場はその中でも特に大きい事で知られています。

ここで行われる球技は大きく2種類あり、1つは手を使う球技でもう1つは手を使わない球技です。

広くメソアメリカ全体で行われ、一般的な競技だったのは手を使わない方の球技で、膝や腿などを使ってボールを敵陣地内の標識に当てれば得点が入るというルールでした。

また、特殊ルールとして球技場壁面の高所に取り付けられた輪の中をボールが通過した場合には、通過させた方が即勝利となるルールも存在してはいましたが、この輪をボールが通過するのは非常にまれなことで、通常は得点の多寡で勝敗が決まっていました。

この球技はスポーツとしての側面もあったと考えられているが、宗教的儀式としての側面も強く、試合が白熱すればするほど雨に恵まれ豊作になると信じられていました。

また試合の結果によって生け贄が選ばれていたと伝わっていますが、勝者が生け贄になっていたのか、敗者が生け贄になっていたのかはハッキリしていません。

セノーテ

セノーテは地盤沈下によってわき出た地下水の泉です。

周辺に他に水源が無いチチェン・イッツァではこの泉が崇拝の対象となっており、西暦700年頃からは宗教儀式も行われるようになりました。

雨乞いや豊穣の祈りを捧げる時には、雨と嵐の神チャークに財宝や生け贄を捧げていたと伝わっています。

スペインからやってきたコンキスタドールの記録によると、定まった日にセノーテに巫女を投げ込み、巫女が溺れた跡で引き上げて吉凶を占わせたそうです。

この泉にはちょっと怖いエピソードがあります。

セノーテの中には大量の財宝があると考えたアメリカ人の冒険家、エドワード・トンプソンは10人ほどのチームを組んでチチェン・イッツァを訪れました。

浚渫機を用いて井戸の底から財宝をすくい上げようとしたトンプソンに対し、現地のスタッフは「井戸には呪いがかかっている。財宝を盗む者には天罰が下る」と言いました。

トンプソンが浚渫機を使い、作業を開始したところ、すぐに浚渫機は壊れてしまいます。

これを見た現地のスタッフは「神の呪いだ!」と恐れ逃げ出してしまいました。

浚渫機が壊れてしまった以上、直接潜って回収するしかありません。

トンプソンとスタッフは潜水を繰り返し、金細工、刀剣、装身具、壺などを次々と引き上げました。

この作業中に先住民の襲撃によって命を落としてしまったスタッフもいましたし、財宝を引き上げた後で、トンプソンも原因不明の高熱と難聴で倒れてしまいました。

これを見た生き残りのスタッフは呪いを恐れて逃げ帰るかのようにトンプソンと財宝を連れ帰りましたが、トンプソンが意識を回復した時には行方不明になっていました。

財宝は手に入れましたが、多くの命が失われ、また行方不明になった者もおり、トンプソンも一歩間違えば帰らぬ人になっているところでした。

これが財宝を盗んだ呪いだったのかどうかは、誰にもわかりません。

トンプソンもその後多くを語らなかったと伝わっています。

エル・カラコル天文台

西暦906年に建設されたこの天文台は、中心部にらせん階段があり、円形ドーム部分は縦長の窓がついた壁で出来ています。

この窓は天体観測を行う上で重要な役割を持っていて、西側の窓は春分の日と秋分の日の日没、月の最北端に沈むときの方向になっています。

また天文台の基礎部分となっている岩の北東の角は夏至の日の出、南西の角は当時の日の出の方向をそれぞれ指しています。

役立つ情報&豆知識

こちらではチチェン・イッツァ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

チチェン・イッツァへのアクセス

チチェン・イッツァはカンクンとメリダの間にありますので、どちらかの町からバスに乗って訪れるのが一般的です。

バスの等級、バス会社によって値段は異なりますが、メリダからは約2時間、カンクンからは約3時間半かかります。

どちらの町からでもバスの予約はバスターミナル、またはホテルのフロントで出来る場合もあります。

1等と2等の料金差は6割から2倍程度違いますが、所要時間も短く、乗り心地もかなり違いますので1等を利用することをお勧めします。

また、帰りのバスの時間には十分注意して下さい。

夕方以降は遺跡のメインゲートから発車するバスはなくなってしまいます。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけに古代都市チチェン・イッツァに興味を持って頂けたなら幸いです。

中南米の遺跡というと、我々日本人はペルーのインカ帝国を思い出してしまいがちですが、メキシコやグアテマラといった中米地域にもチチェン・イッツァのように壮大な遺跡が数多く残されています。

メソアメリカ文明は独自の文字を持たなかった為、なかなか新しい発見というものが難しい状況になってはいますが、とても文字を持たず、技術の継承が難しかったとは思えない程の精密かつ壮大な遺跡が残っています。

チチェン・イッツァもその1つです。

大航海時代にこの地域を征服したスペイン人達も、石造りの遺跡には興味を示さなかった為結果として保存状態が非常に良い遺跡が多くなっています。

次回の海外旅行には、マヤ=トルテカ文明の最高傑作、チチェン・イッツァも是非ご検討下さい!