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ポーランドの世界遺産アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、ポーランドの「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)」です。

皆さんはアウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所についてご存じでしょうか。

アウシュヴィッツ・ビルケナウの強制絶滅収容所は第二次世界大戦当時に、ナチスドイツが建設した、強制収容所、絶滅収容所でユダヤ人などのナチス思想に反する人々が収容されていました。

強制収容所と絶滅収容所の差はその目的で、強制労働を行わせるための施設なのか、劣等民族や異常遺伝子とされた人々を根絶するための施設なのかという部分なのですが、強制収容所であっても、被収容者の生死に関心は無く、使い捨ての命として扱われていたため、多くの人々が命を落としていきました。

そんな「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)」についてご紹介していきたいと思います。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所について

アウシュビッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所と現在呼ばれている施設は、ポーランドのアウシュヴィッツという土地に造られた収容所群を指しています。

アウシュヴィッツ収容所の内、最初に造られた収容所をアウシュヴィッツ基幹強制収容所(アウシュヴィッツ第一強制収容所)、近郊のビルケナウ村に造られた収容所をビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ第二強制収容所)、そして世界遺産の構成資産とはなっていませんが、モノヴィッツ村に造られたモノヴィッツ強制収容所(アウシュヴィッツ第三強制収容所)を合わせ、アウシュヴィッツ強制絶滅収容所と言います。

有名なアンネの日記の作者、アンネ・フランクが収容され、その短い生涯を終えたのもここ、アウシュヴィッツ強制絶滅収容所でした。

アウシュヴィッツ強制絶滅収容所はナチスドイツの占領地域で最大規模の強制絶滅収容所でした。

この収容所に収容された人の数は400万人以上とも言われていますが、収容所に到着した直後に処刑された人の数が多すぎて、正確な数字は判明していません。

ニュルンベルク軍事裁判でも被害者は400万人と認定していましたが、後には150万人に改められています。

アウシュヴィッツに収容された人々の大半はユダヤ人でしたが、ソ連人捕虜、エホバの証人、ポーランド人の聖職者、知識人、ジプシー、ロマなども数万人規模で含まれていました。

西暦1940年に建設されたアウシュヴィッツ基幹強制収容所に最初の被収容者が到着したのは6月の事でした。

この時に収容された人々はポーランド人の政治犯だったといいます。

その後もナチスドイツの占領地域から続々と被収容者が送られてきて、その数が増加するとともに新しい強制収容所がビルケナウに建設されました。

西暦1942年の早い段階からは絶滅計画が実行に移され始め、毎日数千人の人々がガス室による処刑や、銃殺によって殺されました。

アウシュヴィッツ強制絶滅収容所に到着した人々はまず、労働力になるかどうかを査定され、労働力として認められた人々は強制収容所に収容され、そうでない人々はその場で即処刑されるか、絶滅計画によって殺害されました。

収容された人々は全ての財産を没収され、囚人服だけが財産とされました。

男女ともに頭髪は丸刈りにされ、人種別や性別に分けられ強制収容所送りとなりました。

アウシュヴィッツ強制絶滅収容所は、50カ所近い施設が含まれていますが、どの施設に送られたとしても非常に劣悪な環境での超時間に渉る労働か、または死が待っているだけでした。

労働力とされた人々も、最低必要カロリーに遠く届かない食事や、不衛生な事による伝染病の流行、見せしめの懲罰などによって体力を失い、次々と倒れていきました。

動けなくなった労働者に待っているのは病死か処刑のどちらかだけでした。

アウシュヴィッツ強制絶滅収容所では、絶滅計画によって毎日大量の人々をガス室送りにした他、人体実験などにも人々を利用していました。

詳細は控えますが、ここで行われていた数々の人体実験や死体処理などは、非常に衝撃的な内容で、「人道に対する罪」に問われるに値すると言えます。

戦局が悪化し連合国軍が迫ってくると、ナチスドイツは証拠隠滅のために、ガス室や死体処理施設を破壊し、書類を焼却処分した後で動ける被収容者をドイツ本国に連行しました。

この時に隠滅を免れた証拠品は今でも現地の博物館に展示されています。

西暦1945年1月にソ連軍によってアウシュヴィッツ強制絶滅収容所は解放されました。

この時にはナチスドイツによって動ける労働者が連行された後だったため、収容所の中には数千人の衰弱した病人しかいなかったそうです。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館について

アウシュヴィッツ強制絶滅収容所があった場所は、現在アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館となっていて、当時の建物や再現された建物が保存されています。

また、被害者の遺留品などが展示されています。

収容所正門には「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」という標語が掲げられています。

この標語の「B」の部分は上下が逆になっていて、これを造らされた労働者のせめてもの反抗心の表れではないかと言われています。

正門を進むと収容棟が並んでいます。

ここでは写真や資料などが展示されています。

ビルケナウ強制収容所には被収容者を連行するために使用された列車の線路が残っています。

ヨーロッパ中から多くの人々がこの線路を使って連行されました。

連行に使われたのは貨物列車で、窓のない貨車内にすし詰めになって収容されたため、到着時にはまぶしくて目が開けられなかったそうです。

人々から没収した大量のカバン、靴、めがね、食器なども展示されています。

カバンには名前と住所が書かれていて、これはこれから収容される人々が反抗しないように、後で返却するのに必要だからと説明して書かせたそうです。

収容される人々の中には、元の家や家財道具を売り払って貴金属や宝石、現金で持参していた人も多く、これらは全て没収されました。

金や銀は中立国であったスイス銀行に送られたものもあり、戦後になって物議を醸し出しました。

ガス室跡も残されています。

ビルケナウ強制収容所のガス室は破壊されてしまい、基礎部分などしか残っていませんが、アウシュヴィッツ基幹強制収容所には小規模なガス室が残っていて、内部を見学することも出来ます。

死の壁と言われる、反抗的な被収容者を銃殺した場所も残っています。

数多くの人々がこの壁の前に立たされ、銃殺されました。

お役立ち情報

こちらではアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館見学に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

入場料

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館は、ガイド付きで見学する場合には有料で、40PLNかかります。※約1200円 2018年4月現在

ガイド無しで見学する場合は入場料は無料です。

ただし、ガイド無しの場合は朝10時前に入場しなければならないのでご注意を。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館公式HPから予約ができます。

注意事項

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館ではフラッシュ撮影は禁止されています。

また、展示されている遺品の内、「頭髪」は遺体の一部のため撮影禁止です。

セルフィーの使用も禁止されています。

その他にも撮影禁止となっている場所があります。

写真を撮影する場合は、禁止区域かどうか確認してからにしましょう。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)に興味を持って頂けたなら幸いです。

この世界遺産は日本では「負の遺産」と分類される事もある世界遺産で、他の世界遺産とは異なり、楽しい場所というわけではありません。

アウシュヴィッツ強制絶滅収容所は、ホロコーストの被害を忘れることなく、2度とこのような事が繰り返されないことを願って世界遺産に認定されています。

イスラエルの軍人や学生も数多く訪れていて、私達にとっては歴史上の出来事であっても、彼らにとっては身近な人の最後の場所かもしれません。

訪れる際には、この場所で犠牲となった多くの人々の事を思いながら見学して頂きたいと思います。