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ベルギーの世界遺産!美しすぎる街ブリュージュ歴史地区とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、ベルギーの「ブリュージュ歴史地区」です。

皆さんはブリュージュ歴史地区についてご存じでしょうか。

ブリュージュはブリュッヘ、ブルッヘ、ブルグなどの名前で記載される事もある、ベルギー北西部にある町です。

この町はかつてハンザ同盟の一員として、毛織物産業を中心とした貿易で大変栄えた港町です。

歴史の教科書などではフランドル地方として紹介されていることが多く、町の名前を聞いてもわからないという方でも、毛織物のフランドル地方、と聞くと世界史で習ったという方も多くいらっしゃいます。

そんなブリュージュ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ブリュージュの歴史

ブリュージュの起源は比較的新しく、9世紀に初代フランドル伯爵となったボードゥアン1世によって要塞が建設されたのが始まりとされています。

10世紀、三代目フランドル伯のアルヌルフ1世の時代に、聖サルバトーレ大聖堂(救世主大聖堂)などの教会建築群が建設され、町を囲む城塞も強化されました。

12世紀に大津波がブリュージュに到達した際、残された溝を利用して運河を作りました。

アルザス家のフランドル伯、フィリップ1世は大西洋まで続く水路を整備し、ブリュージュの町中に水路を広げました。

こうして、ブリュージュは内陸部にありながらも川、運河を利用して北海へのアクセスが容易になったため、港町として発展しました。

イングランド、北欧とヨーロッパ内陸部を結ぶ貿易の中継地点となったブリュージュには、ハンザ同盟の商館が置かれ、ヨーロッパ内陸部から北海、バルト海へと向かう交易の重要な根拠地となりました。

西暦1277年にはイタリアの港町、ジェノヴァの商船が大西洋周りで直接訪れるようになり、ブリュージュは交易と取引の決済に伴う金融の拠点としてますます栄えます。

この繁栄は長い間続きましたが、15世紀後半になると川底に土砂が堆積したことによって、運河や、ブリュージュの外港であるズウィン湾に大型の船が入れないようになってしまったため、急速に衰退していきました。

この衰退は結果として、ブリュージュの町が中世の町並みを保存したまま残る事になり、19世紀に運河の浚渫、改修工事を行ってからは多くの観光客が訪れるようになりました。

また運河が多い事から、ベルギーのヴェネツィアと呼ばれるようにもなりました。

代表的建造物

聖母大聖堂

13世紀から15世紀にかけて建設された聖母大聖堂は、完成後長年に渡って増改築が行われたため、ルネサンス式、ゴシック式、バロック式など、さまざまな建築様式がまざった混交様式の大聖堂となっています。

15世紀後半、ブルゴーニュ公国によって町が治められていた時代には、公爵家の礼拝堂として利用され、ブルゴーニュ公爵家のマリー姫とハプスブルク家のマクシミリアンが結婚式を挙げたのもこの聖母大聖堂です。

マリーとマクシミリアンは政略結婚によって結婚しましたが、夫婦仲はとてもよく、二人で領内を視察することもしばしばありました。

領主による支配を好まないブリュージュの市民にもマリーは人気がありましたが、落馬事故によって25歳という若さで命を落としてしまいます。

マリーの遺体は聖母大聖堂に運ばれ、父であるシャルル突進公の隣に葬られました。

聖母大聖堂にはもう1つ有名なものがあります。

それはミケランジェロの「聖母子像」です。

ミケランジェロの作品はそのほとんどがイタリア国内にあり、国外に持ち出されているのは僅かしかありません。

この聖母子像はブリュージュの至宝と呼ばれています。

聖血礼拝堂

12世紀頃に建設された聖血礼拝堂は、1階と2階のどちらにも礼拝堂がある造りになっています。

もともとロマネスク式の1階部分だけが礼拝堂だったのですが、15世紀から16世紀にかけて2階部分がゴシック式の礼拝堂に改装されました。

1階の礼拝堂は聖バシリウスに捧げられた納骨堂にもなっています。

聖血液礼拝堂は、主祭壇に12世紀に十字軍に参加したアルザス家のフランドル伯ティエリーがパレスチナから持ち帰ったイエス=キリストの聖遺物である血液が収められていることからこのような名前となったそうです。

聖サルバトーレ大聖堂(救世主大聖堂)

聖サルバトーレ大聖堂(救世主大聖堂)は、ブリュージュで最も古い教会です。

10世紀に建設が開始されましたが、大部分は12世紀から13世紀にかけて完成しました。

もともとは地元の教区教会だったのですが、フランス革命期にブリュージュ司教座が置かれていた聖ドナティアン教会が破壊され、司教も追放されてしまったため、ベルギーがフランスから独立した際に、改めて司教座教会に指定されました。

ブリュージュの鐘楼

ブリュージュにある鐘楼は非常に有名なものです。

実はこの鐘楼は、ブリュージュ歴史地区とは別件でユネスコ世界遺産に登録されています。

近代以前のヨーロッパでは、庶民は領主や教会の権力が強い地域では時計塔や鐘楼など、時間を司る建物を建設することができませんでした。

しかしブリュージュ市民は市場の開始時刻を知るために鐘楼を建て、自分達で時間を管理していました。

この鐘楼は資本主義社会の先駆けとも言われています。

今回はブリュージュ歴史地区のご紹介なので、鐘楼に着いて詳しくお話することは控えますが、ブリュージュの町中には本当にたくさんの鐘楼があります。

お役立ち情報

こちらではブリュージュ歴史地区観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ワーテルゾーイ

ワーテルゾーイはブリュージュの名物料理の1つです。

もともとは川魚を茹でた煮汁に、クリームと卵黄を混ぜて食べる料理だったのですが、川魚は高級品だったため、やがて鶏肉を使って作られるようになりました。

ワーテルゾーイという名前は「新鮮な魚を混ぜる」という意味の言葉です。

ブリュージュのレストランならほぼどこでも食べる事ができます。

日本人でも口に合うという方が多い一品ですので、是非お試し下さい。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにブリュージュ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

日本ではベルギーというとチョコレートやワッフルをイメージする方が多く、歴史的建造物や世界遺産と言ってもあまり思いつかない、という話をよく聞きます。

しかし、今回ご紹介したブリュージュや、アントワープ(アントウェルペン)など、ヨーロッパの歴史上重要な役割を果たした町もベルギーには数多くあります。

ユネスコ世界遺産もブリュージュ歴史地区を含めて12個の世界遺産が認定されています。

歴史的にオランダ、フランスとの繋がりが強いこともあり、日本から観光で訪れる方はどちらか、または両方との組み合わせで訪れる方が多くなっています。

もし、ヨーロッパへのご旅行をお考えでしたら、是非ベルギーのブリュージュへのご訪問もご検討下さい!