翻訳(Language Change)

ブルガリアの世界遺産!【リラ修道院】についてまとめてみた!

今回ご紹介するのは世界遺産、ブルガリアの「リラ修道院」です。

皆さんはリラ修道院についてご存じでしょうか。

リラ修道院はブルガリア国内で最も有名なブルガリア正教会の修道院です。

ユネスコ世界遺産への登録名はリラ修道院ですが、リラの聖ヨハネ修道院、リラの僧院と呼ばれることもあります。

ブルガリアの首都ソフィアの南方約120キロメートルの地点にあるこの修道院は山奥に位置していることもあってアクセスはあまり良くないのですが、ブルガリア国内において最も重要な文化的遺跡とされていることから毎年数多くの観光客が訪れています。

そんなリラ修道院の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

リラ修道院の歴史

リラ修道院の創立年代は西暦930年から西暦970年頃と伝わっています。

この頃にリラに住んでいた聖イヴァン・リルスキーによって創立されたと言われているこの修道院は、ブルガリアの歴代皇帝によって庇護され、莫大な額の寄進を受け取っていました。

これによって修道院はブルガリア国内で最も権威ある教会として知られるようになり、やがてはブルガリア民族の魂とも言える存在として認識されるようになりました。

14世紀にもともとあった場所から現在の場所に移った修道院でしたが、15世紀にはオスマントルコ帝国によってたびたび攻撃を受けたため、建物や霊具が破壊、略奪されるなどの被害に遭いました。

この時の被害は非常に深刻なものでしたがアトス山など各地の正教会からの援助によって16世紀までには建物の修復を行うことができました。

その後は戦災による破壊などは無かったのですが死歴1833年に火災によって建物が焼け落ちてしまいました。

現在の建物はこの時に富裕層などの喜捨によって再建された建物です。

この修道院の外観で特徴的な部分は中庭に面した回廊にあります。

4階建ての建物の3階部分までが白を基調とした塗装が施され、いくつものアーチが林立する姿は見事としか言いようがありません。

この修道院はブルガリアの言語や文化を継承するための資料の保管庫としての役割も果たしており、外国勢力によって統治されていたブルガリアにおいては数々の書物などを所蔵することでその役割を果たしていました。

敷地内の複合建造物はブルガリア復興期の建築文化的を知る上で非常に重要な意味を持つと認められ、西暦1983年に世界遺産に登録されました。

ブルガリア正教会について

東ヨーロッパに数多くある正教会は、原則として1つの国に1つの教会組織を持っています。

ブルガリア正教会もその1つで、基本的にはブルガリア国内の正教徒をまとめるのがこの組織の役割です。

ギリシャ正教会、ロシア正教会、日本正教会など、国ごとに組織が存在しているため、別々の宗派と思っている方も多いのですが、各地の正教会は全て同じ教義を持っています。

この各国の正教会の内、独立正教会として行動している組織についてはその外部に上位組織を持ちません。

例えばロシア総主教はコンスタンディヌーポリ総主教に対して各種の報告を行う必要がありません。

教会組織上のヒエラルキーとしては各国の総主教が最上位に位置しており、それ以上上の組織というものを持たないのが正教会の特徴です。

ブルガリア正教会はスラブ系国家の中では最も早くから独立正教会の座を獲得した組織で、非常に長い歴史を持っています。

ブルガリア総主教は全世界に9人しかいない正教会の総主教の1人で、古代から続く5人の総主教を除けばもっとも古い総主教でもあります。

正教会の教義によれば、もともとコンスタンディヌーポリ、ローマ、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサレムの5人の総主教がいました。

この内ローマ総主教はキリスト教会の東西分派によって総主教の座を失ったため、儀礼上の序列で行けばブルガリア総主教は第5位にあたります。

これはあくまでも儀礼上のお話で、それぞれの総主教の関係性は対等なのでどちらが権威がある、ということはありません。

ブルガリア正教会の起源は1世紀頃まで遡ります。

1世紀頃には原子キリスト教が広がりを見せ、4世紀には既にこの地域の主要な宗教となっていました。

中央アジアからの騎馬民族、スラブ民族などの侵入によって打撃を受けたキリスト教でしたが、かえってこれをきっかけにスラブ民族の間にも普及するようになり、結果としてますます盛んになっていきました。

西暦865年にはブルガリア帝国のツァール、ボリス1世がキリスト教を国教として定め、その地位向上に奔走します。

当時激しく争っていたローマ教皇とコンスタンディヌーポリ総主教の対立を利用して、ブルガリア大主教に大幅な自治権が与えられるように裏から手を回しました。

この時には大幅な自治権を獲得することはできましたが、独立教会の座は獲得することができませんでした。

その後、10世紀前半に東ローマ帝国とブルガリア帝国は戦争に突入します。

この戦争においてブルガリア帝国派終始優位に戦いを進め、この戦いの講和後、東ローマ帝国とコンスタンディヌーポリ総主教庁はブルガリア正教会の独立正教会への昇格を認めます。

西暦927年に独立教会の座を獲得したブルガリア正教会は、その後紆余曲折を経て現在までその座を維持しています。

お役立ち情報

こちらではリラ修道院観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

聖堂内のイコノスタ

聖堂内部は撮影禁止なのですが、精密に描かれたイコンで装飾された壁(イコノスタ)が見ものです。

中庭に面したアーチの内部も同様にイコンで埋め尽くされていてこちらも圧巻です。

聖堂内部のイコンは表面に金箔が貼られている影響で黄金に輝いています。

これらのイコンはブルガリアの木工芸術の極致とも言われており、イコノスタを見るだけでもリラの修道院を訪れる価値があるのではないかと思います。

フレリョの塔

修道院の北側にそびえ立っているのがフレリョの塔です。

この塔は西暦1833年の火災で焼け落ちなかった唯一の部分で、600年前の建設当初の姿がそのまま残されています。

現在この塔の1階には売店が入っていて、ブルガリア正教やリラの修道院に関連するお土産を販売しています。

2階は鐘楼となっており、現在でも修道士が鐘を鳴らし続けています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにリラ修道院に興味を持って頂けたなら幸いです。

リラ修道院はブルガリアの人々にとって心のふるさととも言えるような存在の場所であると同時に、ブルガリアの文化、建築、宗教上非常に重要な場所であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。

ブルガリアの首都ソフィアからバスツアーも出ていますので、こちらに参加するのが最も気軽に訪れる方法だと思います。

ブルガリアへのご旅行をお考えでしたら、是非リラの修道院へも足をお運びください!