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フランスの世界遺産!シャルトル大聖堂にズームイン!

今回ご紹介するのは世界遺産、フランスの「シャルトル大聖堂」です。

皆さんはシャルトル大聖堂についてご存じでしょうか。

シャルトル大聖堂はフランスの首都パリから南西約90キロメートル離れた町、シャルトルにある大聖堂です。

シャルトル大聖堂はフランスでもっとも美しいゴシック式建造物とも言われています。

そんなシャルトル大聖堂の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

シャルトル大聖堂の歴史

シャルトル大聖堂の建設が始まったのは西暦1145年のことでした。

当時はロマネスク式の大聖堂として建設を開始したシャルトル大聖堂でしたが、西暦1194年に起こった火事で、大聖堂の西側の一部以外の部分が消失してしまいました。

この時に残った部分はそのまま再建されたため、この一部のみが初期ゴシック式の趣を残しています。

この火事からの再建は、当時の教会建築としては異例の約25年というスピードで完了しました。

シャルトル大聖堂には、聖母マリアの聖遺物とされている「サンクタ・カミシア(Sancta Camisia、聖衣)」というチュニックが収められています。

この聖遺物は、第一回十字軍がエルサレムに遠征した際に持ち帰ったものがシャルトル大聖堂に寄附されたと伝わっていますが、最近では第一回十字軍よりも前の時代に、シリアから運ばれた古い時代のチュニックが、シャルル2世によってシャルトル大聖堂に収められたという説もあります。

聖母マリアのチュニックが、どのようにしてシャルトル大聖堂にもたらされたのかは明らかとはなっていませんが、長い間、聖母マリアの聖遺物であるチュニックを一目見ようと数多くの巡礼者がシャルトル大聖堂を訪れました。

聖母マリアに捧げられたこの大聖堂では、聖母マリアの祝祭日には祭りが催され、聖母マリアのチュニックを見るために訪れる巡礼者で大変な賑わいを見せていました。

シャルトル大聖堂は町の中心地ともなっていたため、お祭りの時以外にも常に人が集まる場所となっていました。

いつからか大聖堂の周りでは市が開かれるようになり、北側では衣類、南側では食料品など、場所によって扱う決まった品を扱う市が開かれるようになりました。

西暦1194年の火事の時には、大聖堂の大部分が消失してしまったため、シャルトルの市民と巡礼に訪れていた人々は、当然聖母マリアのチュニックも焼けてしまったと絶望しました。

しかし、火事が起こった時に大聖堂の聖職者が聖母マリアのチュニックを移していた事が判明し、宝物庫の中を探したところ聖遺物は無傷で見つかりました。

カトリック教会は、町の大半を焼き尽くすような火事の中で、聖母マリアのチュニックが無傷で残ったのは奇跡であり、同様に大聖堂が一部でも残ったのは、シャルトルに聖母マリアに捧げる大聖堂を建てるべきであるという神託と宣伝します。

猛火の中で聖遺物が無事だったという事実に感動した人々による寄附がフランス全土から集まり、大聖堂の再建が始まりました。

西暦1220年には火事で焼け落ちた部分の再建が完了し、西暦1260年には建設途中だった部分も含め、全体の工事が完了し、フランス王家に引き渡されました。

シャルトル大聖堂の外観は、天に向かって突き刺さるような2本の巨大な尖塔が特徴的です。

正面ファサードにあるこの2本の尖塔の内、向かって右側のものは西暦1194年の大火による損失を免れた初期ゴシック式の尖塔で、装飾が少ない分重厚な雰囲気を与えられます。

向かって左側の尖塔は、火事の後で再建されたため、精巧な装飾で飾られた優美なゴシック式の尖塔となっています。

シャルトル大聖堂は、その建築方法として、天井の重みを4点で支える四点リブヴォールトという方式を採用しました。

この方式を採用することによって、大聖堂は広い窓枠を持つ事が可能となっています。

この広い窓枠には大きなステンドグラスが嵌められ、聖母マリアの聖遺物を目当てに来た巡礼者に長い年月に渡って感動を与えています。

旧約聖書で神ははじめに「光あれ」と言って光を生み出すところから世界創世が始まるため、カトリック教会では伝統的に聖堂内に光を採り入れる事を非常に重視していて、シャルトル大聖堂にも大きなステンドグラスがいくつもあり、ステンドグラスを通してさまざまな色の光が聖堂内部に広がるようになっています。

現代と違い、電気がなかった当時の人々の目には広い聖堂に広がる色鮮やかな景色は身近に神の存在を感じさせるほどの美しさだったことでしょう。

各地の教会にあったステンドグラスは、16世紀のプロテスタントとカトリックの間の宗教改革を通じた戦争でその多くが失われてしまいましたが、シャルトル大聖堂のステンドグラスは宗教戦争の影響を受けず、無傷で残りました。

しかし、18世紀に一部のステンドグラスは売り払われてしまいます。

現在ではもともと186あったステンドグラスの内、152のステンドグラスが現存しています。

第二次世界大戦時には、ドイツ軍による被害を恐れ、窓枠から外したステンドグラスを田舎の教会や倉庫に避難させました。

この処置が功を奏し、難を逃れたステンドグラスは第二次世界大戦終了後、シャルトル大聖堂に戻って来て、現在に至っています。

フランス革命期には他の多くの教会や大聖堂が略奪に遇う中、シャルトル大聖堂は略奪を免れました。

この事も聖母マリアの加護があったのではないかとも言われています。

シャルトル大聖堂について

大司教座

教区 シャルトル大司教区

全長  113メートル

幅 南北32メートル、東西46メートル

身廊  高さ37メートル、幅16.4メートル

ステンドグラスの数 176枚

キリスト像の数 200体41種類

お役立ち情報

こちらではシャルトル観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ステンドグラス

大聖堂については詳しくお伝えしましたが、シャルトル一番の名物は大聖堂の中にあるステンドグラスの内、イエス=キリストの家系図を表している「エッサイの根」と呼ばれるステンドグラスです。

このステンドグラスは「シャルトルの青」といわれる青みがかったステンドグラスで13世紀のステンドグラスの到達点とも言われています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにシャルトル大聖堂に興味を持って頂けたなら幸いです。

シャルトルはフランスの首都パリから電車に乗って1時間程度で訪れる事ができるため、連日多くの観光客がパリから日帰りで訪れています。

人口約4万人程度の小さな町ですが、実はフランス国王の中にもランスのノートルダム大聖堂ではなくて、ここシャルトルのノートルダム大聖堂で戴冠式を行った王もいるほどの由緒正しい町なのです。

シャルトルだけではありませんが、農業大国のフランスではどこにいってもその土地の名物料理と出会うことが出来ます。

シャルトルにもパテ・ド・シャルトルという名物料理がありますので、シャルトルへ起こしの際には是非こちらもお試し下さい。