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フランスの世界遺産!アヴィニョン歴史地区、教皇宮殿、大司教座の建造物群およびアヴィニョン橋に行ってみよう!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、フランスの「アヴィニョン歴史地区、教皇宮殿、大司教座の建造物群およびアヴィニョン橋」です。

すごく長い名前のこの世界遺産は、もともと「アヴィニョン歴史地区」という短い名前だったのですが、登録後の西暦2006年にこの名称に変更されました。
※以下、文中ではアヴィニョン歴史地区と記載します。

皆さんはアヴィニョンという名前を聞いた事がありますか?

アヴィニョンはフランス南部の町の名前で、14世紀に約70年間だけですが、カトリックのローマ教皇がフランス国王によってこの町に連れ去られ、教皇庁が置かれていた事で有名です。

高校の世界史の授業などでは「教皇のバビロン捕囚」とも記載されています。

一時的とは言え、ローマ=カトリック教会のトップであるローマ教皇座がアヴィニョンに置かれたことにより、教皇宮殿をはじめとする、宗教上重要な建物が建設されました。

そんなアヴィニョンの魅力について歴史を踏まえながらご紹介していこうと思います。

アヴィニョンの歴史

アヴィニョンの歴史は、この地方に紀元前112年に古代ローマ帝国の属州、ガリア・ナルボネンシスが置かれたことから始まります。

イタリアに近い事から早くからローマ属州の中でも裕福な土地として知られ、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)が書いた歴史的書物、「博物誌』の中でも「属州というよりはむしろイタリアである」と書かれているそうです。

古代ローマ帝国の属州として繁栄したガリア・ナルボネンシスでしたが、西ローマ帝国が滅亡すると西ゴート族、フランク族の支配が続きます。

また、フランク族が領土を分割相続する風習を持っていたことから、この地方は西部が西フランク王国、東部が中部フランク王国に分かれてしまいます。

西暦737年には、フランク人とアラブ人の争いで、アラブ人側を支援したことから、カロリング朝フランク王国の宮宰、カール=マルテルに占領されてしまいます。

その後はブルグント王国領やアルル王国領を経て、11世紀後半にはアヴィニョンは独立都市国家の建国を宣言しますが、この体制は長くは続かず、プロヴァンス伯領、トゥールーズ伯領と、次々に統治者が変わっていきました。

アヴィニョンを含む南フランスは、帰属を転々とした事や、イスラム勢力とキリスト勢力の境に位置していた事から他のキリスト教圏とはやや異なる文化圏を形成していましたが、西暦1226年にフランス王ルイ8世が率いるアルビジョア十字軍によって町が占領された後は北フランスとの同化が進んでいきました。

西暦1309年にフランス国王フィリップ4世によって教皇のバビロン捕囚(アヴィニョン捕囚)が行われると、1377年までの約70年間教皇庁がアヴィニョンに置かれました。

この時代にアヴィニョンは大きく発展し、この頃建設された建物の多くが現在のアヴィニョン歴史地区となっているのです。

教皇庁が移された当時は、このように長期間教皇がローマに不在となるとは思われていなかったのですが、西暦1310年に神聖ローマ帝国皇帝のハインリヒ7世によってイタリアが占領されてしまった為、教皇はローマに戻りたくとも戻れない状況に陥ってしまったのです。

また、当初突如としてやってきた数千人の教皇庁関係者を受け入れるのにはアヴィニョンはあまりにも小さな町だったので、いろいろな社会問題が発生したそうです。

イタリアの学舎、ペトラルカがアヴィニョンに滞在した時には「アヴィニョンは人口密度が高く、治安も悪い、衛生面も不衛生で、このような町には嫌悪感を覚える」と語っていたと伝わっています。

教皇座がアヴィニョンに置かれていた西暦1348年に、アヴィニョンの領主だったナポリ=シチリア女王のジョヴァンナ1世から教皇庁にアヴィニョンが売却され、以降西暦1789年に起こったフランス革命で没収されるまではアヴィニョンは教皇領でした。

教皇のバビロン捕囚が終わった後は、教会大分裂(大シスマ)と呼ばれる、ローマとアヴィニョンに二人の教皇が存在している期間があり、その後西暦1417年のコンスタンツ公会議によって事態が収拾され、アヴィニョンは再びかつての静けさを取り戻したのです。

代表的建造物

教皇宮殿

教皇宮殿は、アヴィニョンに教皇庁があった時代に建設された宮殿で、ゴシック式建造物としてはヨーロッパ最大規模の建物となっています。

西暦1335年に建設が開始され、約30年後の西暦1364年に完成したこの宮殿の建設工事には当時の教皇庁の収入のほとんどがつぎ込まれたそうです。

30年に渡って続いた建設工事の結果、教皇宮殿は旧宮殿と新宮殿という、二つの区画に分かれています。

旧宮殿は、ベネディクトゥス12世の命で、ミルポワのピエール・ポワソンが手がけた。厳格なベネディクトゥスは司教宮を取り壊し、回廊や重厚な防壁を備えたより大きな宮殿を造らせた。この宮殿は四つの翼棟を持ち、それぞれから高い塔が伸びている。

新宮殿の造営時には、豪華な装飾を好んだ教皇クレメンス6世の注文によって、絵画、彫刻、フレスコ画などを含む、豪華な内装が施されました。

しかし、西暦1377年の教皇のローマ帰還後に続いた教会大分裂(大シスマ)が終結し、西暦1433年からローマ教皇庁の管理下に置かれると、ローマから遠く離れていることから管理の行き届かず、その後はフランス革命期の混乱も重なって、長年に渡り略奪が横行してしまい、現在は最盛期の豪華な内装や調度品を見る事はできなくなってしまいました。

現在は修復工事も進み、大部分が一般公開されています。
最盛期にあしらわれた調度品はなくなってしまいましたが、その壮大な建築は往事の繁栄を現在に伝えるのに十分な偉容を誇っています。

サン・ベネゼ橋

サン・ベネゼ橋は、アヴィニョンの城壁の外側、ローヌ川を渡る橋です。
17世紀以降、修復されず、現在は川の途中までしか架かっていません。

この橋が建設されたのは西暦1177年の事でした。
完成までに8年の歳月を要したこの橋は、17世紀前半に、ローヌ川の洪水で壊れてしまうまで、長い間を渡る人々に利用されました。

プティ・パレ美術館

プティ・パレは14世紀に建設されたカトリック大司教の館です。

現在は美術館になっていて、有名なボッティチェリの作品をはじめとする、13世紀から16世紀頃までの貴重な絵画や彫刻が展示されています。

絵画と彫刻の合計で約1000点の美術品が展示されていますので、美術品が好きな方は是非訪れてみてはいかがでしょうか。

アヴィニョンの城壁

アヴィニョンを囲む城壁は14世紀に作られた当時のものがほとんどそのまま残っています。

TGV(フランス高速鉄道)のアヴィニョン中央駅を出ると、すぐ目の前に城壁がある為、やはり教皇庁があった町は風格が違うな、と思わされる方もいるのだとか。

お役立ち情報

こちらではアヴィニョン観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

コート・デュ・ローヌワイン

アヴィニョン一体は広域AOCであるコート・デュ・ローヌブランドのワインが多く生産されています。

コート・デュ・ローヌの対象地域は広い為、北部と南部で異なる製法のワインを作っている傾向があります。
アヴィニョンが属する南部地域は複数のブドウのブレンドワインが多く、色と香りの強い赤ワインが特徴となっています。

アヴィニョンツーリストパス

ヨーロッパの町では観光客の為の割引パスを用意している事が多いですが、アヴィニョンも例外ではありません。
アヴィニョンのツーリストパスは無料で、観光案内所で手に入れる事ができます。

このパスを見せると美術館や博物館、観光ツアーなどで割引料金が適用されますので、大変お得なシステムです。
※一番最初の観光施設だけは通常料金で、2カ所目以降が割引料金になります。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアヴィニョン歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

フランスというとどうしてもパリが印象的かもしれませんが、南フランスにもアヴィニョンをはじめ、さまざまな観光地があります。
それぞれが長い歴史を持つ町ですし、日本ではあまり知られていない世界遺産や遺跡なども実は多いのです。

夏にはラベンダーとセミの鳴き声で溢れる南フランスには、リゾート地で有名なコートダジュールもあり、毎年夏には多くの人が南フランスでバカンスを楽しんでいます。

フランスへご旅行の際には、ぜひ南フランスにも足をお運び下さい!