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フランスの世界遺産!アミアン大聖堂へ行く前に知っておきたい事をまとめてみた!

今回ご紹介するのは世界遺産、フランスの「アミアン大聖堂」です。

皆さんはアミアン大聖堂についてご存じでしょうか。

アミアン大聖堂と呼ばれていますが、正式名称は「アミアンのノートルダム大聖堂」といいます。

ノートルダムというとパリのものが非常に有名ですが、実はこの言葉の意味は聖母マリアに捧げる、というもので、フランス中に存在する名前なのです。

全てが同じ名前になると区別ができなくなってしまい不便なことから、通称アミアン大聖堂と呼ばれています。

そんなアミアン大聖堂の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

アミアンの歴史

皆さんはアミアンという町の名前を聞いたことがありますでしょうか。

アミアンはフランス北部の町で、運河と水上庭園の美しさから「ソンムのヴェネツィア」と呼ばれることもあります。

ソンムというのはアミアンがある県の名前で、アミアンはその県庁所在地になります。

アミアンは非常に古くから集落があったことが判明しています。

ネアンデルタール人のものと思われる遺跡が見つかったのは西暦2006年のことでした。

この事からも古代から住みやすい土地だったこと覗えます。

文献資料にはっきりと名前が登場するのは西暦367年の事です。

この年に古代ローマ帝国の皇帝ヴァレンティアヌス1世が軍事施設の視察のためにアミアンに行幸したことが記録に残っています。

ゲルマン民族の大移動が始まり、ローマ軍がイタリア本国に撤退するとフランク族の軍勢によってアミアンは占領され、この後はフランク王国、そしてそれを継承したフランスの領土となります。

西暦859年と西暦882年の二回にわたるバイキングの攻撃でアミアンは陥落し、略奪によって大規模な被害が発生しました。

11世紀末からアミアンでは市民が自治組織を運営し、自治領の様相を呈していましたが、西暦1113年にはローマカトリックのアミアン司教の後ろ盾を得て、さらにフランス国王もこれを承認しました。

アミアンの例を皮切りとして、周辺諸都市も自治組織をもつ都市へと変化します。

西暦1115年にはアミアンの直接統治を志向していた領主と、自治志向の市民との間に起こった紛争ではフランス国王と司教は市民を支持し、領主に対抗しました。

その後西暦1185年からはアミアンはフランス国王の領土となりましたが、約250年後にブルゴーニュ公国の領土となりましたが、その後西暦1477年にブルゴーニュ公爵のシャルル豪胆公が死去すると再びフランス領土となりました。

国王領に復帰した後、アミアンでは一年に二回市場が開かれるようになりました。

これはフランドル地方で開催されている大市に対抗するためで、シャンパーニュでも同様に市場が開かれています。

西暦1597年にはスペイン軍によって急襲されます。

この時、スペイン軍は武装を解いて付近の農民を装い、食糧を持って城門の前に現れました。

町の人々は籠城によって食料不足となっていたため門を開いてしまいます。

そこに付近で潜伏していた部隊がなだれ込み、町を占領しました。

この時のスペインによる占領は後にアンリ4世によって解放されますが、この事件によってアミアンは自治としての地位を失い国王直轄領となりました。

産業革命以降は繊維産業の町として有名になります。

製糸業、織物業、そしてそこで使用される機械類の生産業などを中核にアミアンは発展を続け、街並みも近代化が進んでいきました。

旧市街を取り囲んでいた防壁は取り壊され、大通りや新しい建物が次々と作られ町は大きく広がりました。

19世紀から20世紀にかけて大きく発展したアミアンですが、二度の世界大戦では激しい戦いが繰り広げられ、町にも大きな戦争被害が出てしまいました。

第一次対戦中の西暦1914年から西暦1918年まではドイツとフランスとの前線にあたり、短い間ではありましたが、町が占拠されたこともあります。

第一次世界大戦の間にアミアンの町では一万棟以上の建物が全半壊し、町は荒廃してしまいました。

この時の傷が未だに残っている状態で、フランスは第二次世界大戦に突入し、再びドイツ軍がアミアンに迫ります。

西暦1940年のこの戦いではドイツ軍の電撃作戦によって町は陥落し、それからの約4年間ドイツの支配下に置かれます。

現在のアミアンは人口約14万人の中規模な町で、戦火で傷ついた建物もすっかり再建されて美しい街並みが広がっています。

大聖堂について

アミアンのノートルダム大聖堂はフランス国内で最も高い大聖堂です。

聖堂内部の空間もその分垂直方向に広くなっていて、荘厳な雰囲気を感じさせられます。

室内空間の広さもフランス国内で最大となっています。

ゴシック式のこの大聖堂は13世紀の2回の大火事で大きな被害を受け、再建されたのは西暦1266年の事でした。

この時点で大半の部分が完成していたのですが、細部まで含めた完全な再建はその後も継続し、最終的に完成したのは西暦1288年と伝わっています。

この教会には聖遺物が奉納されています。

パブテスマのヨハネの頭部とされているこの聖遺物は悪名高い第四回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略して凱旋する際に略奪したと伝えられています。

お役立ち情報

こちらではアミアン大聖堂観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

夜間のライトアップ

アミアン大聖堂は、「石造りの聖書」と呼ばれるほどに聖書の話に基づくレリーフが至る所に彫り上げられています。

正面ファサードアーチも例外ではなく、様々なシーンがレリーフで再現されています。

そんな大聖堂の最も美しい姿を見ることができるのは夏、または12月です。

毎年夏期間と12月の午後19時から約40分間大聖堂はライトアップされているのです。

教会や城塞をライトアップするのはヨーロッパでは一般的なのですが、この大聖堂のライトアップはその中でも有数の美しさで有名です。

夏よりも冬の方が周りも暗くなるため、夏場よりもより鮮やかにレリーフやステンドグラスが浮かび上がります。

現在では塗装が全て落ちてしまっている大聖堂ですが、もともとは色鮮やかに塗装されていたことが判明しており、ライトアップの時にはかつての姿が再現されます。

せっかく訪れるのでしたらライトアップが見られる季節がおすすめです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアミアン大聖堂に興味を持って頂けたなら幸いです。

アミアンはパリからもそう遠くない場所にあるため、大聖堂を見るだけでしたら日帰りで訪れることも十分可能です。

ヨーロッパへの旅行ではパリのシャルルドゴール空港を利用する方も多いと思います。

帰国の前日や、ヨーロッパ到着の1日目にアミアンを訪れるのもありなのではないでしょうか。

パリに滞在のご予定がおありでしたら、是非アミアンご訪問もご検討下さい!