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パキスタンの世界遺産!多くの謎を秘めたモヘンジョダロの遺跡群を深堀り!

今回ご紹介するのは世界遺産、パキスタンの「モヘンジョダロの遺跡群」です。

皆さんはモヘンジョダロの遺跡群についてご存じでしょうか。

モヘンジョダロの遺跡群は紀元前2500年から紀元前1800年にかけて繁栄した古代都市で、最盛期に最大4万人の住人が住んでいたと見られています。

しかしその後短い間で滅亡し、その原因が判明していないことと、遺跡から発見された人骨が自然界で発生する50倍から100倍に近い放射能を浴びていたことや、残された土壁などが強烈な熱を浴びていたため、古代世界のミステリーとして有名な遺跡です。

そんなモヘンジョダロの遺跡群の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

モヘンジョダロについて

今から約4500年前に建設されたモヘンジョダロはかつて世界四大文明とも言われていたインダス文明の最古の遺跡の一つです。

日本の世界史の授業などではハラッパー遺跡やロータル遺跡などと併せて解説されていることが多くなっています。

ハラッパー遺跡が紀元前3300年頃から紀元前1700年頃、ロータル遺跡が紀元前2600年頃から紀元前1800年頃と、同時代にはモヘンジョダロ以外にも各地でインダス文明の町が建設されていました。

モヘンジョダロというのはパキスタンの言葉で「市の丘」という意味です。

近代になって歴史学者や研究者が訪れるまでは古代の使者が眠る土地として認識され、人々は恐れてモヘンジョダロには近づこうとしませんでした。

この名前は近代になって付けられた名前で、当時は別の名前で呼ばれていたと思われるですが、インダス文明で使われていたインダス文字がまだ解読されていないため、本当の名前は明らかになっていません。

名前が明らかになっていないだけでなく、冒頭でもお話したようにモヘンジョダロ遺跡で発見された約50体の人骨から通常の範囲を大きく超える多量の放射性物質を浴びたことが判明したり、遺跡が強烈な熱量に晒されたことが判明したことで、古代インダス川流域で核兵器が使用されていたという都市伝説が生まれるきっかけともなっています。

一説によると、モヘンジョダロが突如として滅亡した理由はこの地域で発生した大洪水が原因ではないかと言われていますが、それでは放射能と熱量についての説明がつかないため、モヘンジョダロのミステリーについては答えが出ないままとなっています。

モヘンジョダロ遺跡は東西に大きく分かれていて、西側半分には聖職者や支配階級が住んでいたとみられる城塞が広がっています。

このエリアは他と比べて壁が厚いことなどから城塞と呼ばれてはいますが、軍事目的の施設だったというわけではありません。

西側は厚い城壁に囲まれ、東側を見渡せるように一段高く作られています。

西側の城塞エリアには、学問所や会議場、あるいは大広間を備えた邸宅など、個人の生活住居ではなく、公共施設として使われていたのではないかと見られる大型の建物が残っています。

また城塞エリアの中央部には縦12メートル、横7メートル、深さ2.5メートルの大浴場があります。

この大浴場は実際に入浴を行う施設ではなく、何らかの宗教的儀式を行っていた場所ではないかと見られています。

大浴場の周辺には約30個の穀物倉庫があるのですが、大浴場のように湿気の多い施設の周辺に穀物倉庫を作ることは考えにくく、また、貯蔵されていたはずの穀物も発見されていないため、実際には穀物倉庫ではなく他の目的があったと考えられています。

モヘンジョダロを含むインダス川流域地方では、非常に早い段階から小麦の栽培がおこなわれていました。

モヘンジョダロにも小麦を運ぶための広い道路や坂道が整備されていて、多くの市民を養うために周辺地域から小麦が集まっていたと見られています。

モヘンジョダロ東地区は東西2本、南北3本の大通りによって区画分けされていて、庶民の住む住居が広がっていました。

西地区の大型の邸宅とは違い、庶民の家屋、キャラバンが泊まったと思われる隊商宿、奴隷や小作農階級が住んでいたと思われる小型の家屋などが残っています。

モヘンジョダロ東地区の家屋は、中心の中庭を囲むようにいくつかの建物があり、玄関は大通りではなく路地に面して作られていることが特徴的です。

モヘンジョダロの都市計画

モヘンジョダロは古代都市としては非常に先進的な計画性を持った都市として有名です。

東西に大きく分けられた市街地は、東西南北にまっすぐ走る大通りによって碁盤目状に区画分けされ、上下水道、ごみステーション、公衆浴場、貯水槽、穀物倉庫(実際には穀物倉庫ではない可能性もありますが)、水洗トイレ、市庁舎と見られる大型の建物などがありました。

また多くの個人用の家屋には個人用の浴場が備えられていました。

モヘンジョダロの広さは約1.6キロメートル四方で、市街地の建築には一定のサイズのレンガが使われていたことから、非常に発達した文明と、強力な政治体制があったことは間違いないとされています。

しかし、モヘンジョダロ遺跡からは王や聖職者などの強力な支配者の存在を示す遺構や出土品が見つかっていないことから推測の話となってしまっているため、一刻も早いインダス文字の解読が望まれています。

お役立ち情報

こちらではモヘンジョダロ遺跡観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

モヘンジョダロへのアクセス

モヘンジョダロへのアクセスは良いとは言えません。

パキスタン南部の町カラチまたは首都のイスラマバードから飛行機でアクセスするのが一般的ですが、治安面などを考えると、日帰りのツアーで行くのが一番無難です。

鉄道やバスで訪れることも可能ですが、飛行機が一番安全です。

パキスタン料理

パキスタンはイスラム教の国ですので、豚肉は食べません。

地理的にはインドに近いことから、やはりカレー料理などのスパイスの聞いた料理が食べられています。

ティッカと呼ばれるパキスタン風のバーベキューやシークケバブなども広く食べられています。

豚肉が食べられない分、パキスタンではどこへ行っても羊肉や鶏肉を多く食べます。

辛い物が苦手な方には少しつらいかもしれませんが、そうでないのでしたら食事には困らないと思います。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにモヘンジョダロの遺跡群に興味を持って頂けたなら幸いです。

紀元前2500年前の謎に包まれた古代都市として有名なモヘンジョダロですが、実はもっと古い時代から町があった可能性もあります。

モヘンジョダロは7層に及ぶ古代遺跡で、最下層がいつの時代に造られたのかはまだはっきりとはしていないのです。

また、場合によってはさらに下層がある可能性もあります。

今から4500年以上も前に、上下水道などの計画性を持った都市を作ったほどすごい文明が、なぜ忽然と姿を消したのかが明らかになる日は来るのでしょうか。

モヘンジョダロに興味がおありでしたら、是非一度足をお運びください!