翻訳(Language Change)

ハムレットで有名?デンマークの世界遺産クロンボー城へ行ってみよう!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、デンマーク王国の「クロンボー城」です。

皆さんはクロンボー城についてご存じでしょうか。

クロンボー城はデンマークの首都コペンハーゲンの北側、約40キロメートルの位置にある城の名前です。

この城は実際の城よりも、シェイクスピアの悲劇「ハムレット」の「エルシノア城」としての方が有名かもしれません。

もともとは15世紀に築かれた城ですが、20世紀までデンマーク王国の防衛司令部が置かれていたため近年まで増改築が繰り返され、建造当初の遺構などは残っていません。

そんなクロンボー城の魅力について、シェイクスピアのハムレットについても交えつつご紹介していきたいと思います。

クロンボー城について

クロンボー城はデンマーク王国の首都コペンハーゲンの北約40キロメートルのヘルシングエアという場所にあります。

エーレスンド海峡という、幅わずか7キロメートルの海峡を挟んで反対側はスウェーデン領のヘルシングボリという土地です。

この場所に最初に軍事施設が建設されたのは西暦1420年頃の事で、当初の目的はエーレスンド海峡を航行する船舶から通行税を徴収するためでした。

西暦1574年から西暦1585年にかけて、当時のデンマーク国王フレデリック2世によって大規模な増改築が行われました。

この大改造の目的は、建設から百年以上の時が経ち、老朽化が進んでいた要塞の防衛力強化と、国王の居城としての居住環境の整備でした。

この大改造前は単純に砦と呼ばれていたクロンボー城でしたが、西暦1585年の大改造を経て、高い迎撃塔を持ち周囲を回廊に囲まれた三階建ての城塞に生まれ変わりました。

この頃からクロンボー城と呼ばれるようになります。

このクロンボーという名前ですが、デンマーク語では「ボー」が城を意味しているため、デンマークでは単に「クロンボー」と呼ばれています。

西暦1629年に火事によってクロンボー城は壊滅的な被害を被り、大部分が焼け落ちてしまいます。

残ったのは城内の礼拝堂を含むほんの一部でした。

デンマーク国王クリスチャン4世はクロンボー城の再建に否定的な意見が多かったデンマーク王国評議会を説得し、エーレスンド海峡の通行税を増税することで工事費用を捻出して、3年後の西暦1631年からクロンボー城の修復、再建工事を行いました。

この時の工事では、消失前の城塞をただ回復するのではなく、迎撃塔を高く、城壁を厚くするなどの防衛力の強化を施した他、城内も整備し、全体的にはルネサンス式の城塞だったクロンボー城はバロック式の建物へと変化しました。

クリスチャン4世は60年に渡ってデンマーク王国に君臨した国王で、長い間善政を敷き、数多くの改革を行った名君として有名です。

しかし、クリスチャン4世の時代には三十年戦争に介入して大敗し、一時期は領土の大半を奪われてしまうなど、デンマークの歴史上最大の危機も招きました。

また、スウェーデンへの対抗心からトルステンソン戦争を巻き起こし、この戦いでスウェーデンに敗れたことでデンマークは国際政治上での力を失い、北欧の小国に転落したのです。

西暦1657年、デンマーク国王フレデリック3世はスウェーデン帝国が北方戦争でポーランド=リトアニア連合王国やモスクワ大公国と戦争を続けている隙にスウェーデンを攻撃しようと企み、カール=グスタフ戦争が勃発します。

スウェーデン帝国軍はポーランドから兵を引き上げ、デンマーク王国領のユトレヒト半島に向かいました。

ユトレヒト半島の大陸側の付け根にあったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国はスウェーデン軍の無害通航を認めたため、スウェーデン軍は瞬く間にユトレヒト半島のデンマーク領を攻略します。

ユトレヒト半島を制圧したスウェーデン軍でしたが、デンマーク海軍の海戦能力はヨーロッパでも有数の強さで、首都コペンハーゲンのあるシェラン島に上陸する事ができずにいました。

しかし、ここでデンマーク王国にとって不幸な事件が起こります。

西暦1658年に史上希にみるほどの大寒波がヨーロッパに訪れ、シェラン島を大陸と隔てている海峡が凍結してしまったのです。

スウェーデン国王カール10世グスタフは凍った海を渡るように命じ、スウェーデン軍の大半が上陸に成功します。

氷上侵攻と呼ばれるこの事件によってスウェーデンの大軍がシェラン島に上陸し、クロンボー城も落城してしまいました。

西暦1660年にスウェーデン軍が撤退した後は、クロンボー城の防衛力を高めるために外殻を強化スル工事が行われました。

その後西暦1760年頃にはデンマーク国王フレデリック5世が住居として使用するために北側回廊が改装されましたが、実際にはクロンボー城に住んだデンマーク国王はいませんでした。

西暦1785年からはクロンボー城にデンマーク軍要塞司令部が置かれていましたが、西暦1924年に移転し、現在に至っています。

ハムレットとは

ハムレットは世界的に有名な作家、シェイクスピア作の悲劇で4000行からなるその戯曲はシェイクスピアの作品の中で最も長い作品となっています。

ハムレットはデンマークの王子で、父であるデンマーク王が、王弟クローディアスによって毒殺されてしまうところから物語は始まります。

その後は王弟と間違って妃候補のオフィーリアのお父さんを殺してしまったり、それによって精神を病んだオフィーリアが溺死したりと不幸な事ばかりが続きます。

この事でハムレットを憎んでいたオフィーリアの兄レアティーズはクローディアスと結託してハムレットを毒殺しようと企みますが、このときに何もしらないハムレットの母が毒入りの飲み物を飲んで死んでしまいます。

結局は毒を塗った剣を用いた剣術試合でハムレットもレアティーズも死んでしまいます。

あらすじだけをざっとご説明するとこのような感じです。

劇や小説を知らない方の中にもしかしたら、セリフは知っていると言う方も中にはいらっしゃるかもしれません。

「生きるべきか、死ぬべきか、問題はそこだ」、「弱き者、汝の名前は女なり」などの有名なセリフは全てハムレットのセリフです。

このハムレットのお話に出てくる「エルシノアの城壁」は「ヘルシンゲルの城壁」、すなわちクロンボー城の城壁を指しているのです。

お役立ち情報

こちらではクロンボー城観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

観光での見どころ

クロンボー城の大広間は北欧で一番広いとされています。

また地下牢にはデンマークに危機が訪れた時に長年の眠りから覚め、国を救うと言われている巨人ホルガー・ダンスクの像があります。

周囲を回廊で囲まれている城の中庭では、毎年夏にシェイクスピアの劇を上演していて、こちらも必見です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにクロンボー城に興味を持って頂けたなら幸いです。

クロンボー城という名前を初めて聞いたという方も多いかもしれません。

また、シェイクスピアのハムレットなんて見たことないという方も多いと思います。

クロンボー城はデンマーク王国の首都コペンハーゲンから近く、日帰りで訪れる事ができることもあって、初めてデンマークを訪れる観光客のほとんどがクロンボー城にも訪れるなど、デンマークの観光では外せないスポットの1つとなっています。

実はシェイクスピア自身はクロンボー城を訪れたことはありませんが、クロンボー城内にはシェイクスピアを記念する石版が飾られています。

シェイクスピアに興味が無くても、中世から増改築を繰り返したクロンボー城は歴史的建造物としても十分に興味深い建物ですので、景観をお楽しみ頂けると思います。

コペンハーゲンにお越しの際には、クロンボー城へも是非足をお運び下さい!