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ナンシーの美しい3大広場が世界遺産!スタニスラス広場、カリエール広場及びアリアンス広場の魅力をご紹介します!

今回ご紹介するのは世界遺産、フランスの「ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場及びアリアンス広場」です。

※以下、文中では「ナンシーの3つの広場」と記載します。

皆さんはナンシーの3つの広場についてご存じでしょうか。

ナンシーはフランスの北東部、首都パリから東へ約300キロメートルほどの場所にある町です。

日本ではあまり知られていませんが、西暦1766年まではロレーヌ公国(ロートリンゲン公国)の首都が置かれ、栄えていた町です。

そんなナンシーの3つの広場の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ナンシーの歴史

 

ナンシーの歴史はロレーヌ公国の時代に始まります。

ロレーヌ公国は959年に建国された公国で、西暦1766年まで続きました。

ロレーヌ公国はロートリンゲン公国ともいいます。

その地理的条件からフランスとドイツの間で揺れ続けたこの国の首都がナンシーなのです。

11世紀にロレーヌ公ジェラールによってナンシーに城が建設され、やがてロレーヌ公国の首都になりました。

西暦1474年からのブルゴーニュ公シャルル突進公とロレーヌ公ルネ2世との間に起こったブルゴーニュ戦争ではナンシーにも戦乱が及びました。

西暦1477年には、ナンシー郊外でブルゴーニュ戦争の最終決戦である、ナンシーの戦いが行われます。

当時、西ヨーロッパ最強と言われていたブルゴーニュ公国軍と、フランス王国、ロレーヌ公国、それにスイス盟約者団からの傭兵を加えた連合軍が激突し、熾烈な戦いを行ったナンシーの戦いではロレーヌ公国側が勝利しました。

戦場で戦死したブルゴーニュ公シャルル突進公の遺体が見つかるまで、戦いが終わってから3日を要したそうです。

この戦いで勝利したフランス王国は北方に勢力を広げ、スイス傭兵は当時のヨーロッパで最強部隊という評判を手にしました。

ロレーヌ公国が得たものは大きくはありませんでしたが、百年戦争でもイングランド側に立って戦ったブルゴーニュ公国を滅ぼすのに貢献したロレーヌ公国にフランス王国は恩義を感じたのか、その後しばらくロレーヌ公国に対して比較的穏やかな対応が行われました。

17世紀初頭、ロレーヌ公国は神聖ローマ帝国の強い影響化にありましたが、三十年戦争が勃発した事によって神聖ローマ帝国の国力が衰退します。

フランス王国の宰相、リシュリュー神聖ローマ帝国の国力が衰退する状況を好機とみて、西暦1641年にフランス王国軍をロレーヌ公国に進軍させました。

これによってナンシーを含むロレーヌ公国はフランス王国に占領されてしまいましたが、西暦1648年のヴェストファーレン条約によって、更に東のアルザス地方の一部を除く大部分が返還されました。

その後西暦1670年に再びフランス王国はロレーヌ公国を侵略し、ロレーヌ公シャルル4世をヴェネツィア共和国に追放しました。

追放されたシャルル4世は神聖ローマ皇帝を世襲していたハプスブルク家に接近し、オーストリア=ハプスブルクの将軍になります。

シャルル4世を継いだシャルル5世もハプスブルク家の将軍となり、フランス王国との戦いを続けました。

西暦1697年、大同盟戦争の講和条約であるレイスウェイク条約によって、ロレーヌ公国領はレオポール1世(ロートリンゲン公レオポルト・ヨーゼフ)に返還されます。

レオポール1世とその息子のフランソワ3世エティエンヌ(フランツ3世ステファン)の時代には神聖ローマ帝国の封土であった為、ロートリンゲン公国と言った方が分かりやすいかもしれません。

ロレーヌ公フランソワ3世エティエンヌは、ヨーロッパの歴史上でとても有名です。

彼の結婚相手はオーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王マリア・テレジア・ヴァルブルガ・アマリア・クリスティーナ・フォン・エステルライヒと言います。

そうです、あの女帝マリア・テレジアと結婚したのがフランソワ3世エティエンヌなのです。

つまりフランス革命で処刑されたあのマリー・アントワネットの父と言うことでもあります。

女帝マリア・テレジアの夫として、またその娘マリー・アントワネットの父として有名なフランソワ3世エティエンヌですが、それだけではなく、歴史学上ではハプスブルク=ロートリンゲン朝の始祖として重要な存在なのです。

フランソワ3世エティエンヌは神聖ローマ帝国皇帝としてはフランツ1世を名乗り、戴冠しました。

この婚姻によって彼は神聖ローマ皇帝位とトスカナ大公位を得ましたが、引き替えにロレーヌ公位を失う事になりました。

彼の後のロレーヌ公にはポーランド王スタニスラス・レクザンスキが就きました。

1代限りのロレーヌ公となることがわかっていましたが、彼は首都ナンシーの街の整備に努めました。

世界遺産の1つ、スタニスラス広場は彼の名前に由来しています。

彼の死後、ナンシーを含んだロレーヌ公国はフランス王国に編入されました。

その後、普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦によってアルザス=ロレーヌ地方の帰属はフランスとドイツの間で揺れ動きましたが、ナンシーは一貫してロレーヌ地方の中心地であり続けました。

代表的建造物

スタニスラス広場

最後のロレーヌ公、スタニスラスに由来するのがこのスタニスラス広場です。

「ヨーロッパで最も美しい広場」とも言われています。

市庁舎と凱旋門がこの広場に面しています。

ナンシーの駅からほぼ一本道で来る事のできるこの広場の中央にはスタニスラス象が置かれています。

夏の夜は市庁舎を使ったプロジェクションマッピングによるレーザーショーが行われていて、とても美しいです。

カリエール広場へと続く出口には凱旋門があり、それ以外の出口にはロココ式の金細工が施された鉄柵や噴水などが配置されています。

カリエール広場

スタニスラス広場から凱旋門をくぐると、ロレーヌ公宮殿までの間にある細長い広場に出ます。

これがカリエール広場です。

カリエール広場はスタニスラス広場とは違い、両端の鉄柵以外は何もありません。

両脇の街路樹の間に見えるロレーヌ公宮殿へと続くその風景が非常にシンプルですがとても美しいのです。

ナンシーはアール・ヌーヴォー様式の発祥の地とも言われており、このように装飾を排除した美しさも魅力の一つとなっています。

ロレーヌ公宮殿側からスタニスラス広場方面を見た時には、また違った印象の風景になりますので、両端から見てみるのが良いでしょう。

アリアンス広場

ロレーヌ公国とフランス王国の同盟(アライアンス)に由来する名前の広場です。

スタニスラス広場の東側にあります。

少し目立たないのですが、スタニスラス広場の市庁舎の前に立って、市庁舎を背にして右側に歩いて行くと見つけやすいです。

この広場は他の2つの広場と違って鉄柵はありません。

四方を刈り込んだ木に囲まれた広場の中には中央に噴水があるだけです。

中央の噴水はヨーロッパの噴水らしく、頂上にはラッパを持つ天使の像が建っています。どこか日本の一輪挿しのような美しさを感じさせられます。

役立つ情報&豆知識

こちらではナンシー観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

スタニスラス広場のカフェ

ナンシーで一番の名所、スタニスラス広場にはカフェが多くあります。

フランスはレストランとカフェの国と思うほど、数多くのレストラン、カフェがありますが、ここスタニスラス広場のカフェのテラス席はその中でも特上の雰囲気を味わえる場所です。

世界遺産の中でご家族やご友人、大切な人と過ごす優雅な一時は一生の思い出になるのではないでしょうか。

キッシュ

ナンシーを含むロレーヌ地方の代表的料理はキッシュ=ロレーヌです。

今ではフランス全土で広く食べられているキッシュですが、その地元はロレーヌ地方なのです。

キッシュは卵と生クリームを使った塩味のパイで、具材のアレンジが自由なのでいろいろな種類のキッシュがあります。

最近では日本でも知られるようになっていて、特に女性に人気があります。

せっかくナンシーに来たのでしたら、ぜひキッシュ=ロレーヌを味わって下さい。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにフランスの世界遺産、ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場及びアリアンス広場に興味を持って頂けたなら幸いです。

ナンシーはロココ様式、アール=ヌーヴォー様式の発祥の地とも言われており、その真髄とも言える3つの広場は本当に美しく、特にスタニスラス広場は時間の流れを忘れてしまうほどです。

フランスとドイツの狭間で揺れ動いた歴史を持つナンシーは、食文化も豊かで、キッシュ以外にも美味しい料理が沢山あります。

フランス観光開発機構のサイトで、日本語でナンシーの紹介をしていますのでそちらを参考にするのも良いと思います。

フランスの公的機関のサイトですので、情報の信頼度も高いです。

フランス観光開発機構公式HPはこちら

フランスの首都パリからTGV(フランス高速鉄道)にて、1時間半程度で訪れる事ができますので日帰り観光も十分可能です。

フランスへご旅行の際には、ぜひロレーヌ公国の旧都ナンシーへの日程もご検討下さい!