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ドイツの世界遺産!第二次世界大戦の被害が少ないバンベルクの町に迫る!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「バンベルクの町」です。

皆さんはバンベルクの町についてご存じでしょうか。

バンベルクの町はドイツ南部のバイエルン州にある町の名前です。

他にも数多くの世界遺産のあるドイツですが、その多くは時に砲撃や空爆を浴び、大きな被害を被っています。

バンベルクは奇跡的にそういった被害がほとんど無かったことから、近代以前の景観を残した町並みが世界遺産に登録されました。

そんなバンベルクの町の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

バンベルクの町の歴史

バンベルクの町がドイツの歴史上脚光を浴びるのは11世紀の初めのことです。

それまでのバンベルクについては特に目立った記述などはなく、フランケン地方の貴族たちの間での領地を巡る争いの中で名前が登場することがあったくらいでした。

もともとバンベルクの町を治めていたのは「バーベンベルガー」という名前の貴族だったことからバンベルクという名前になったと言われています。

町について最も古く書かれた資料では、バンベルクではなく、バーベンベルクと記載されています。

バーベンベルガー家は近隣の貴族と領地を巡ってたびたび争い、10世紀の後半に起こった戦争で血統が絶えてしまいました。

領主のいなくなったバンベルクは、神聖ローマ帝国皇帝オットー2世によってバイエルン公爵ハインリッヒ2世に下賜されました。

バンベルクが脚光を浴びるのはこのバイエルン公爵ハインリッヒ2世の息子の時代です。

少しわかりにくいのですが、バイエルン公爵ハインリッヒ2世の息子は、バイエルン公爵ハインリッヒ4世です。

しかし、後に神聖ローマ帝国皇帝となり、神聖ローマ帝国皇帝としてはハインリッヒ2世であることから、一般的に皇帝ハインリッヒ2世と呼ばれます。

この皇帝ハインリッヒ2世が西暦1007年にバンベルクの町にカトリックの司教座を置き、バンベルク司教領としたことから、バンベルクの町はフランケン地方のキリスト教布教と宗教文化の中心地として大きく発展しました。

中世の司教領は世俗諸侯領よりも裕福な町も多く、バンベルクもレグニッツ川の水運によって潤っていました。

しかし、潤っているというのは戦争が起こるとそれだけ狙われやすいということでもあり、17世紀に起こった三十年戦争では他の多くのドイツの町と同じく略奪が発生し、大きな被害が出てしまいました。

三十年戦争の傷が癒えると今度は18世紀の七年戦争で再び略奪に遭い、その傷が癒えると今度は18世紀末から19世紀初頭のナポレオン戦争によって大きな損害が出てしまいました。

このナポレオン戦争の講和条約であるリュネヴィルの和約で、バンベルクはバイエルン公爵に割譲されることになり、西暦1802年11月29日にバンベルクは司教領からバイエルン公領となりました。

バンベルクの町は近代以降に重要な出来事があったことでも知られています。

西暦1926年に、国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスの会議が開かれました。

バンベルク会議と呼ばれているこの党幹部会議でヒットラーのナチス内での独裁的権力が承認され、その後はドイツ第三帝国の成立に向けて突き進んでいくことになったのです。

代表的建造物

バンベルク大聖堂

バンベルク大聖堂は、11世紀初頭にバンベルクにカトリック司教座が置かれたときに建設された大聖堂です。

4本の尖塔が特徴的なバンベルク大聖堂は、ロマネスク式で建設されました。

奥行約94メートル、横幅約28メートル、高さは4つの尖塔が約81メートルあります。

もともと11世紀に建設されたのですが、その後火事によって建物の一部が消失してしまったため、12世紀から13世紀にかけて現在の建物が作り直されました。

バンベルク大聖堂には「バンベルクの騎馬像」と呼ばれている有名な像や、皇帝ハインリッヒ2世と皇后の石棺が収蔵されています。

またバンベルク大聖堂にはドイツ、というよりはアルプスよりも北で唯一、ローマ教皇が葬られていることでも有名です。

11世紀前半から半ば頃のローマ教皇であったクレメンス2世は、もともとバンベルク司教であったことから、死後、遺体がバンベルクに葬られたのです。

新宮殿

17世紀の終り頃に建設された新宮殿は、広いバラ庭園を持っていることでも知られています。

この宮殿は古い宮殿に代わってバンベルク司教の居城となりました。

その後、ギリシャ国王オソン1世が所有していたこともありました。

旧市庁舎

14世紀に建設された旧市庁舎は、リグニッツ川の中州に立っています。

バンベルクはカトリック関係の建物が多くあった山の町(ベルクシュタット)と一般市民が数多く暮らす島の町(インゼルシュタット)に大きく分かれていて、旧市庁舎はどちらにも中立的な立場であるということから、その間の中州に建てられたのです。

小ヴェネツィア

旧市庁舎の下流には「リグニッツの小ヴェネツィア」と呼ばれていた漁師たちの住む町があります。

ヴェネツィアと言っても本家とは全然似ていないのですが、住宅に直接船で出入りできるようになっていることから、このように呼ばれていたそうです。

お役立ち情報

こちらではバンベルクの町観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

魔女狩り

フランケン地方の宗教的中心地であったバンベルクでは、近代以前、大規模な魔女狩りが行われていたことで知られています。

魔女狩りは中世のヨーロッパでは広く行われていましたが、バンベルクの魔女狩りは特に大規模なもので、1年間に100人以上の人が魔女狩りによって処刑されることもありました。

バンベルクの魔女狩りでは、市長ですら魔女裁判にかけられ死亡したことでも有名です。

西暦1627年には、なんと魔女狩りのための魔女専用の監獄が建設されました。

先ほどお話した魔女狩りにあった市長は、この魔女監獄で拷問によって命を落としました。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにバンベルクの町に興味を持って頂けたなら幸いです。

バンベルクの町の最大の魅力はなんといっても、近代以前の中世オリジナルの町並みが残っていることです。

第二次世界大戦の後期に主戦場となったことで、ドイツ国内の多くの歴史的な建造物が失われてしまいました。

しかし、ヨーロッパ戦線で使用されていた爆撃機は航続距離がそれほど長くなかったことなどから、バンベルクは爆撃対象からはずされました。

これによって町への被害が少なかったことや、戦争終結後、アメリカ管理区域となったことなどが大きな要因となり、現在まで古い町並みが残され、その歴史的、文化的価値を認められて世界遺産に登録されたのです。

ドイツは鉄道網も発達しているため、他の町や地方、あるいはドイツ以外の国と旅行の日程を組み合わせることも比較的難しくありません。

ドイツへのご旅行をお考えでしたら、是非バンベルクご訪問もご検討下さい!