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ドイツの世界遺産!湖に浮かぶ僧院の島ライヒェナウにズームイン!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「僧院の島ライヒェナウ」です。

皆さんは僧院の島ライヒェナウについてご存じでしょうか。

僧院の島ライヒェナウはドイツとスイスの国境にあるボーデン湖(コンスタンツ湖)に浮かぶ島の名前です。

この島には古い時代の修道院や教会があることで有名で、ゲルマン諸侯の庇護を受けたことで一時期は大変栄えました。

そんな僧院の島ライヒェナウの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ライヒェナウの歴史

ライヒェナウ修道院は、8世紀前半にムーア人によるイベリア半島攻略から逃れて諸国を放浪していた聖ピルミニウスによって建立された修道院です。

島の名前もこの修道院の名前からライヒェナウ島となっています。

諸国を遍歴し南ドイツまでたどり着いた聖ピルミニウスは、メロヴィング朝フランク王国の宮宰カール・マルテルやボーデン湖を含む南西ドイツ地方を治めていたシュヴァーベン公などゲルマン諸侯の肥後を受けて、ボーデン湖に浮かぶ島に修道院を建立しました。

これがライヒェナウ修道院です。

初代の修道院長となった聖ピルミニウスは地元の有力者と対立したことが原因で、西暦727年に修道院長から辞任します。

後を継いで2代目の修道院長となったのはハットという人で、この人は

彼の後を継いだハットは後にプロイセン公爵、ブランデンブルク選定侯、ルーマニア国王、ドイツ国王などを輩出するホーエンツォレルン伯の親戚でした。

※このころのホーエンツォレルン家はツォレルン家と名乗る、シュヴァーベン地方の一部を治める地方貴族でした。

ツォレルン家から経済的な援助や、俗界諸侯への口利きなど多岐に渡って便宜を図ってもらえたことで、文化、学術の研究機関として南ドイツ、スイス一帯では有名な場所となりました。

カロリング朝フランク王国の庇護を受けたことも、ライヒェナウ修道院がその重要性を高めた一つの要因となっています。

現在では道路が建設され、徒歩や車でライヒェナウ島に渡れるようになりましたが、長い間ライヒェナウ島を訪れるためには船で湖を渡る必要があったのです。

そのような閉鎖的な環境にある修道院を訪れるのは熱心な修道士ばかりでした。

熱心な修道士が多く訪れたライヒェナウ修道院には神学校の他、聖書や福音書の写しである写本をつくるための写字室や工房が建てられました。

これによってライヒェナウ修道院は、飾り文字や鮮やかな装飾で飾られた写本を作成することで有名になります。

この時代の写本は庶民のものではなく、聖職者、王族、貴族などの支配階級や、一部の裕福な商人だけが手に入れることのできる高級品だったことから、美しい表装や挿絵が施されるようになり、写本を通じて宗教芸銃的に影響力のある場所となったのです。

ライヒェナウの修道院でこのころ作られた写本の一つに、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ2世のために作られた『ハインリヒ2世の典礼用福音書抄本』などがあります。

ライヒェナウの修道院は11世紀初頭から11世紀中盤にかけて最も栄えました。

この時期には当時非常に有名な学者であった聖ヘルマヌス・コントラクトゥスがライヒェナウ修道院に滞在していました。

聖ヘルマヌスは数学者、天文学者として著書を残している他、当時のヨーロッパでは最先端技術だったアストロラーベに関する著書も残しています。

また、宗教歌の作曲家としても有名で、作品の内いくつかは現在でも演奏されることがあるそうです。

この他にもキリストの誕生から11世紀までの年代記を記すなど、多才な学者であった聖ヘルマヌスは生涯をここライヒェナウ修道院で過ごしました。

11世紀中盤、聖ヘルマヌスが死去した頃からライヒェナウ修道院の宗教的、文化、芸術的な重要性は徐々に低下していきます。

西暦1540年頃、古くからライヒェナウ修道院長とシュヴァーベン地方の宗教的指導者の地位を争っていた対岸のコンスタンツ司教がライヒェナウ卿となり、代々のコンスタンツ司教にライヒェナウ卿の地位が継承されるようになったことが一因となり、ライヒェナウ修道院は衰退しました。

西暦1757年から西暦1803年にかけてライヒェナウ島の修道院の所有地は世俗化され、フランスのナポレオン軍によって修道院の聖職者は追放されました。

現在のライヒェナウ島はユネスコの世界遺産に登録されたこともあって、日本人は少ないのですが多くの観光客が訪れるスポットとなっています。

代表的建造物

ライヒェナウ修道院(聖母マリア、聖マルクス教会)

ライヒェナウ修道院はライヒェナウ島の中央部北側にあります。

聖母マリア、聖マルクス教会はもともとは修道院の付属教会だったのですが、現在ではカトリックの教区教会となっています。

この教会はライヒェナウ島で最も古い教会で、7世紀の終わりから8世紀の初めにかけて建設されました。

聖ピーター、聖パウル教会

ライヒェナウ島の最も奥地にある教会です。

2本の塔が目印となっています。

聖堂内部には十字架上のキリスト像が目立ちます。

聖ゲオルグ教会

聖ゲオルグ教会は島の一番手前にある教会です。

島への一本道でもあるピルミニウス通りをまっすぐ進むと、右側にあります。

季節によっては教会の手前が花畑になっていて、クリーム色の素朴な教会が花畑の向こうに見える風景はいかにものどかな田舎の教会といった風情です。

お役立ち情報

こちらではライヒェナウ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

地産地消

かつては湖によって外界と隔てられていたライヒェナウ島では、なるべく自給自足を行うため、農業が発達しました。

現在でもいろいろな農作物が作られていて、ライヒェナウ島の基幹産業も農業となっています。

島のパン屋さんやレストランなどでは、ライヒェナウ島産の野菜や果物が数多く使われていて、とてもおいしいと評判です。

また、ワインの生産地としても有名です。

ドイツというとビールのイメージですが、ワインも広く愛好されていて、いろいろな銘柄があるんですよ。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけに僧院の島ライヒェナウに興味を持って頂けたなら幸いです。

フランスや、ドイツ、スイスといった近隣諸国では名の知られているライヒェナウですが、日本では名前を聞いたことのある方ですらほとんどいないと思います。

場所もスイスとドイツの国境付近なので、日本からのアクセスはあまりいいとは言えないこともあるせいか、かなり旅慣れている方でも訪れたことがあるという方は少ないです。

逆に、日本人がほとんど訪れないという響きに惹かれて訪れる日本人観光客も徐々に増えているようですが、まだ多くはありません。

ただその分日常を離れてゆっくりと過ごせるため、夏の避暑地として利用している方もいるそうです。

ボーデン湖で泳いだり、のんびり釣りをして過ごしたりするのはのどかで楽しい一時となることでしょう。

長期休暇をのんびり過ごすのに、ライヒェナウ島はいかがでしょうか。