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ドイツの世界遺産!古典主義の都ヴァイマールにズームイン!

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「古典主義の都ヴァイマール」です。

皆さんは古典主義の都ヴァイマールについてご存じでしょうか。

ヴァイマールはドイツ中央部の比較的小さな町で、ドイツの歴史的には非常に重要な意味を持っている町の1つです。

そんな古典主義の都ヴァイマールの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ヴァイマールについて

ヴァイマールはドイツの中央部、やや東に位置しており、より東のドレスデンほどではありませんが、チェコからも比較的近い場所にある町です。

最も近い大都市はライプツィヒで、直線距離で120キロメートルほど、自動車で約1時間半の距離にあります。

ドイツに神聖ローマ帝国が君臨していた時代には、世俗諸侯の一人ザクセン=ヴァイマール公爵の治める領土の都として栄えていました。(神聖ローマ帝国崩壊後はザクセン=ヴァイマール=アイゼナッハ大公国になりました)

ザクセン=ヴァイマール公国の時代には「大バッハ」、「J・S・バッハ」とも呼ばれるヨハン=セバスティアン=バッハが宮廷音楽家としてこの国に仕えていたことでもよく知られています。

ヨハン=セバスティアン=バッハはバロック音楽の最後期に登場し、その後のヨーロッパの音楽の本流を作ったとも言われるほどの大作曲家でピアノやオルガンなどの鍵盤楽器の演奏家でもありました。

彼の生まれたのは近隣のザクセン=アイゼナッハ公国のアイゼナッハです。

後世ではオルガニスト(オルガン奏者)、また作曲家として名を残すヨハン=セバスティアン=バッハですが、宮廷楽団では当初ヴァイオリンを担当していました。

その後、アルンシュタットに新しく建設された教会のオルガニスト、また聖歌隊の指導者となり、やがて再びヴァイマールに戻って今度は宮廷楽団のオルガニストとなります。

もともと音楽家の一族の出身ということもあり、音楽の才能に溢れていたヨハン=セバスティアン=バッハは宮廷楽団の楽士長となりますが、ザクセン=ヴァイマール公とソリが合わなかったのか、大幅な昇給にも関わらずやがて別の宮廷楽団へと移って行きました。

この他にも「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」で有名な文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテも宰相としてザクセン=ヴァイマール公国に仕えていました。

ゲーテが西暦1749年生まれなのに対して、バッハは西暦1750年に亡くなっていますのでこの二人が顔を合わせたことはありませんが、このようなビッグネームが宮廷に仕えていたということからも、当時のザクセン=ヴァイマール公国の文化水準の高さが覗われます。

後ほどご紹介いたしますが、この二人が暮らした家も世界遺産の登録構成資産となっています。

またヴァイマールは別のユネスコ世界遺産、「ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」とも存在しており、中世の末期から近代以降のドイツの文化史においては外すことのできない重要な町となっているのです。

第一次世界大戦が終わった西暦1919年にドイツの新しい憲法を作るための会議が開かれたのもこのヴァイマールです。

学生時代に世界史を選択した方なら覚えているかもしれませんが、この時に成立した憲法が「ヴァイマール憲法(ワイマール憲法)」です。

西暦1919年からナチスが政権を握ってアドルフ=ヒットラーが独裁に走る西暦1933年までの間のドイツを「ヴァイマール共和国(ワイマール共和国)」と呼ぶ場合もあります。

代表的建造物

ゲーテの家

ヴァイマールにゆかりのある文化人の中で最もよく知られているヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが人生の大半を過ごしたのがこのゲーテの家です。

西暦1710年頃に建設されたこの建物はバロック式のクリーム色の外壁を持つ住宅で、現在ではゲーテの家として一般公開されています。

建物の内部は彼が暮らしていた当時のままの状態で保存されていて、事務仕事や小説の執筆を行っていた書斎や図書室の他、居住スペースだった居間、台所、寝室などが残っています。

「もっと光を・・・」という言葉を聞いたことがある方はいらっしゃるかと思いますが、この言葉は彼が最期の時を迎えたベッドの上でのつぶやいた一言です。

またすぐ近くにはゲーテ国立博物館があり、ゆかりの品々を展示しています。

世界遺産ではありませんが、興味がある方はこちらも是非ご覧ください。

シラーの家

ゲーテと並ぶドイツ古典文学の大家である文豪フリードリヒ・フォン・シラーもヴァイマールに暮らしていました。

劇作家として有名なフリードリヒ・フォン・シラーは自由を求める作品を数多く生み出し、ドイツ国民の精神生活に大きな影響を与えたと言われています。

シラーの家は彼が西暦1802年から西暦1805年に亡くなるまでの晩年の3年間を過ごした家で、現在はシラー記念館となっています。

寡婦宮殿

この宮殿の寡婦というのはザクセン=ヴァイマール=アイゼナッハ大公妃のアンナ=アマーリア=フォン=ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルのことを指しています。

彼女はザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公エルンスト・アウグスト2世の妃で、結婚からわずか2年で夫が亡くなった後は幼い長男の代わりに摂政として国政を仕切りました。

この時代のドイツでは七年戦争が勃発するなど国際的に不安定な状況が続きましたが、幼い息子が成人するまでの間、うまく国を導いた才女として知られています。

彼女は文化への関心も高く、ゲーテやシラーを招いたこともその業績の1つです。

この宮殿は夫の死後に彼女が住んだ建物で、現在はヴィーラント記念館となっています。

お役立ち情報

こちらでは古典主義の都ヴァイマール観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

玉ねぎ

いきなり玉ねぎと言われて、なぜ?と思った方もいらっしゃるかもしれません。

実はヴァイマールは玉ねぎが名物なのです。

玉ねぎを使った料理は地元の方だけでなく観光客にも人気で、毎年10月には玉ねぎ祭りも開催されています。

玉ねぎを使った料理で有名なのは、「ツヴィーベルブラーテン」で、こちらはもともとはウィーンで考えられた料理と伝わっていますが、飴色になるまで炒めた玉ねぎのソースがかかった肉料理です。

ウィーンでも非常によく似た名物料理があるのですが、そちらは玉ねぎが揚げてあって、こちらの料理は炒めてあるのが特徴です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけに古典主義の都ヴァイマールに興味を持って頂けたなら幸いです。

ヴァイマールというとヴァイマール憲法を連想する方が大変多く、ドイツの町であることはよく知られているのですが、ではどんな町かというと、ほとんど知られていないのが実情です。

しかし今回ご紹介したように、ドイツの文化史上は非常に重要な役割を果たした町でもあります。

ドイツは鉄道網が発達していて、都市間の移動も楽にできますのでドイツへのご旅行の際には是非ヴァイマールへのご訪問もご検討下さい!