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ドイツの世界遺産!ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群を徹底解剖!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」です。

皆さんはポツダムとベルリンの宮殿群と公園群についてご存じでしょうか。

ポツダムとベルリンに点在するこの世界遺産は、歴代のプロイセン国王によって建設された宮殿とその庭園を利用した公園で構成されています。

現在ドイツ連邦の首都であるベルリンはもともとプロイセン王国の首都で、ポツダムはベルリンの隣町です。

そんなドイツの世界遺産、ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

プロイセン王国の歴史

プロイセン王国は、現在のロシア連邦カリーニングラード周辺を本拠地とするプロイセン公国と現在のドイツ連邦ベルリン周辺を本拠地とするブランデンブルク辺境伯国が西暦1618年に同君連合を構成した事に始まります。

もともとプロイセン公国はポーランド王の臣下であり、ブランデンブルク辺境伯は神聖ローマ皇帝の臣下であることから非常に不安定な立場だったブランデンブルク=プロイセン公国でしたが、西暦1655年に勃発した北方戦争をきっかけにポーランド王国、スウェーデン王国からプロイセン王国として独立を勝ち取ります。

この時にはもう一方の主君である神聖ローマ皇帝の認可を得てはいませんでしたが、それから45年後の西暦1700年、フランス王国とのスペイン継承戦争を控えている神聖ローマ帝国に援軍を送る事を条件に「プロイセンにおける王」の称号を公式に認められました。

この時認められた王号は「プロイセン国王」ではなく「神聖ローマ帝国の領外、プロイセンにおける王」という曖昧な称号でしたが、王号を認められた事による政治的効果は大きく、ブランデンブルク=プロイセンの諸侯は王の下に1つにまとまりました。

この時に即位したプロイセン王国初代国王フリードリヒ1世によって世界遺産構成資産の1つ、シャルロッテンブルク宮殿が建設されました。

フリードリヒ1世は奢侈を好んだ為、ベルリンは文化と芸術が花開き、「シュプレー河畔のアテネ」と呼ばれるようになりました。

この頃のプロイセンの領土はプロイセン公国領とブランデンブルク辺境伯領が分断されていた他、神聖ローマ帝国内にも小さな領土が点在していた為、国防上非常に不利な状況に置かれていました。

これを解消する為には散らばった領土をひと繋がりの領土とする他無く、この後のプロイセン王国は戦争と相続によって次々と領土を拡大していきました。

西暦1713年にフリードリヒ1世の後を継いだフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は奢侈を嫌い、浮いた宮廷費を元手に産業を育成し、軍備を増強しました。

この時代には宗教改革によって起こった争いで多くの新教徒が住む土地を追われました。

プロイセン王国はそういった新教徒を数多く受け入れ、国力が増大していきます。

西暦1740年にはプロイセンの中興の祖とも言われている大王フリードリヒ2世が即位しました。

フリードリヒ2世はフリードリヒ・ヴィルヘルム1世から引き継いだ8万人規模の常備軍を更に増強し、神聖ローマ帝国とポーランド=リトアニア連合王国を初めとする諸侯の領土を奪い取り、ヨーロッパの強国としての地位を確立しました。

フリードリヒ2世はポツダムに世界遺産の構成資産の1つであるサンスーシ宮殿を建設しました。

「憂いが無い」という意味の名前を持つこの宮殿は、日本や中国では「無憂宮」と訳されることもあります。

フリードリヒ2世の時代にプロイセン王国の領土は2倍となり、常備軍も20万を超える巨大な軍隊となりました。

また、彼は「君主は国家第一の僕である」といい、さまざまな改革を行いました。

この政治姿勢は「啓蒙主義」と言い、その後のヨーロッパ政治に大きな影響を与えました。

フリードリヒ2世の時代にオーストリア=ハンガリー二重帝国と肩を並べる程になったプロイセン王国でしたが、次のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の時代になるとフランスのナポレオンによる侵攻によって多くの領土を失ってしまいました。

ナポレオンによるモスクワ侵攻作戦では最左翼の一軍として従軍したプロイセン王国軍でしたが、終始消極的な戦いを行い、消耗を避けました。

プロイセン軍は西暦1815年のワーテルローの戦いでもウェリントン公爵率いるイギリス・オランダ連合軍と共に対ナポレオン戦争の一角を担いました。

この時代のプロイセン王国では参謀本部というシステムが構築され、優秀な軍人を多数輩出していたのです。

ワーテルローの戦いのプロイセン王国軍指揮官ブリュッヘルもその一人です。

ワーテルローの戦いに勝利したプロイセンは、ナポレオン侵攻以前の領土を回復したばかりではなく、ザクセンやラインラントなどの新領土も獲得し、その国力は長い間ドイツ諸侯の盟主だったオーストリア帝国を超えるほどの巨大なものになりました。

西暦1860年に即位したヴィルヘルム1世の時代にプロイセン王国は絶頂期を迎えます。

西暦1866年の普墺戦争、西暦1870年の普仏戦争に勝利したプロイセン国王ヴィルヘルム1世は西暦1871年にフランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の建国を宣言し、ドイツ皇帝となりました。

ドイツ帝国の建国によってプロイセン王国は事実上消滅し、これによってプロイセン王国の歴史は終わりを告げたのでした。

代表的建造物

サンスーシ宮殿

西暦1747年にわずか2年の工期で完成したフリードリヒ2世の宮殿です。

当時の国王の居城としては小さなこの宮殿は、もともとフリードリヒ2世の夏の離宮として建設されましたが、実際には夏だけではなく通年をこの宮殿で過ごすことになります。

規模や外観は過度の奢侈に走ること無く設計されましたが、その内部はフリードリヒ・ロココスタイルと呼ばれる華やかな装飾、調度品で彩られています。

本来フリードリヒ2世は争い事を好まない文化的な性格だったとも伝わっており、自らも設計に携わったこの宮殿では、君主としての陰鬱な時間を一時でも忘れる為にこのような華やかな内装にしたのではないかと言われています。

フリードリヒ2世はポツダムのこの宮殿でフルートを好んで演奏し、哲学を愛したそうです。

遺言状も「プロイセン王」ではなく、「サンスーシ宮殿の哲学者」と記されています。

ツェツィーリエンホーフ宮殿

サンスーシ宮殿の北東、ユンガフェルン湖の畔に築かれた宮殿です。

森の中にある小さな宮殿は、西暦1917年に最後のドイツ帝国皇太子、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴィクトール・アウグスト・エルンスト・フォン・プロイセンの為に作られましたが、彼が皇帝となる事はありませんでした。

第二次世界大戦の戦後処理について連合国が話し合ったポツダム会談はこの宮殿で開かれています。

バーベルスベルク宮殿

西暦1833年に建設された、ネオゴシック式とロマネスク式の混交様式の宮殿です。

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が建設を命じたこの宮殿は、次男のヴィルヘルム1世の「イングランドのウィンザー城のような宮殿」という願いを採り入れて設計されました。

シャルロッテンブルク宮殿

ベルリン市内に唯一残っているプロイセン王国の宮殿がシャルロッテンブルク宮殿です。

建設当時のプロイセン国王フリードリヒ1世はフランスの太陽王ルイ14世に憧れていた為、ヴェルサイユ宮殿のような華やかな宮殿を作るように命じました。

建設当時は「リーツェンブルク宮殿」という名前でしたが、最愛の妻ゾフィー・シャルロッテが若くして亡くなったことを悲しみ、彼女を偲ぶ為にシャルロッテンブルク宮殿と改名しました。

博物館や美術館としても使用されているこの宮殿の一番の見どころは「陶磁器の間」と呼ばれる、当時非常に高価だった東洋の陶器が壁に埋め込まれている部屋で、壁一面に埋め込まれた陶器は当時のプロイセン王国の国力を物語っています。

役立つ情報&豆知識

こちらではポツダムとベルリン観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ポツダムへのアクセス

ポツダムはベルリンのすぐ隣の町なので、電車で簡単に訪れる事ができます。

Sバーン7号線に乗って行く場合は約40分~45分でポツダムに到着します。

Regio 1(Re 1)を利用した場合には、約25分でポツダムに到着します。

個人的にはSバーン7号線の方が分かりやすいですし、本数も多いのでお勧めです。

アンペルマングッズ

ちょっとベタですが、ベルリンのお土産として有名なのはアンペルマングッズです。

アンペルマンとはもともと旧東ドイツの信号機のデザインで、進めと止まれの2種類のデザインがあります。

このアンペルマンをデザインした雑貨やお菓子、Tシャツなどが売っているアンペルマンショップがベルリン市内にあります。

種類が豊富なので、相手に合わせたお土産を選ぶ事ができてとても便利です。

アンペルマンショップの公式サイトです。残念ながら英語またはドイツ語になります。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにポツダムとベルリンの宮殿群と公園群に興味を持って頂けたなら幸いです。

ドイツというと神聖ローマ帝国を主とした中世のイメージが先行するのか、重厚な建築様式やちょっと暗い雰囲気のドイツ文学に代表される文化を想像する方が多く、プロイセン王国が残した宮殿と庭園をご覧になると、その軽やかで優雅な雰囲気に驚かれる方もいらっしゃいます。

この頃のプロイセンは小国でありながら、大国であるスウェーデン王国、ポーランド=リトアニア王国、オーストリア帝国、フランス第二帝国などの周辺の大国を次々に破り大国の地位を獲得していた頃です。

そのような国を統治していた歴代プロイセン王は激務の疲れを癒やす為に、華麗な宮殿を次々と建設していたのかもしれません。

今回お話した以外にも多くの宮殿や庭園があり、とても1日で全てを見て回る事はできません。

ベルリンは博物館の町とも呼ばれていますので、ベルリン観光と合わせ、3~4日程度の日程で回るのが良いのではないでしょうか。

ドイツの首都ベルリンは日本からの直通便はありませんが、ヨーロッパ各地からのアクセスは非常に良好です。

ベルリン=ポツダム間もお伝えしたように非常にアクセスしやすい環境にありますので、ドイツへご旅行の際には是非ベルリン、ポツダムへも足をお運び下さい!