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ドイツの世界遺産!ケルン大聖堂にズームイン!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「ケルン大聖堂」です。

皆さんはケルン大聖堂についてご存じでしょうか。

ケルン大聖堂はドイツで4番目に大きい町、ケルンにあるローマ=カトリックの大聖堂です。

中世以降はケルン大司教は神聖ローマ皇帝を選出する選帝侯の1人として、宗教的権威だけではなく、世俗でも権力を振るいました。

その大司教座が置かれていたのがこのケルン大聖堂です。

そんなドイツの世界遺産、ケルン大聖堂の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

 

ケルンの歴史

ケルンの歴史は古代ローマ帝国にさかのぼります。

1世紀に植民市として築かれたコロニア・アグリッピネンシスがその起源となっています。

この町は古代ローマ帝国の戦略上重要な意味を持っていた町で、西暦462年にフランク王国軍によって占領されるまで、ゲルマニア・インフェリオル地方の軍司令部が置かれていました。

ケルンには西暦313年のコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令によって早くからキリスト教が伝来し、最初の聖堂は早くも4世紀には建設されていました。

4世紀のキリスト教伝来からほどなくして司教座が置かれたケルンでしたが、西暦795年には大司教座へと格上げされます。

ケルンに赴任した初代大司教によって最初の大聖堂が建設されました。

西暦818年に完成した大聖堂には、12世紀後半にキリスト誕生時に東方からやってきてこれを拝んだとされる、東方三賢人(東方三賢者、東方三博士とも言います)の聖遺物が安置された事によって数多くの巡礼者が訪れるようになり、ケルンは大きく発展しました。

ケルンはもともとライン川を通じてスイスや南ドイツ、オーストリア方面と繋がっている他、西にあるマース川流域圏やフランドル地方からの商人も訪れ、交易が盛んに行われる土地だったので巡礼者まで訪れるようになると経済的に大きな力を付け、中世にはハンザ同盟にも加盟しより一層繁栄するようになります。

西暦1248年には9世紀に建設された大聖堂が火災で失われ、現在の大聖堂の建設が始まりました。

この大聖堂は途中宗教改革によるプロテスタントとカトリックの争いの影響で、16世紀から19世紀まで約300年もの長期に渡って建設が中断し、西暦1880年に完成した時には着工から600年以上の年月が流れていました。

西暦1288年には神聖ローマ帝国の帝国自由都市の地位を獲得しました。

これによって自治意識が高まったケルン市民とケルン大司教の間には緊張が高まり、やがてケルン大司教は約30キロ南にあるボンへと居城を移し、西暦1821年までケルンには戻りませんでした。

西暦1618年から西暦1648年まで続いた三十年戦争はドイツ圏の多くの都市に深刻な損害を与えました。

ケルンもこの三十年戦争の影響で一時期は衰退しましたが、もともと交易に有利な条件が整っている町だったので戦争が終ると徐々に回復していきました。

フランス革命中の西暦1794年にケルンはフランス共和国軍の攻撃を受け、西暦1803年にカンポ・フォルミオの和約を補完する形のリュネヴィルの和約が成立するとラインラント地方がフランスに割譲された為、神聖ローマ帝国領からフランス共和国領になりました。

その後、フランス革命戦争(ナポレオン戦争)が終結すると、西暦1815年の第二次パリ講和条約によってプロイセン王国に帰属することになりました。

第一次世界大戦が終結した西暦1918年から西暦1926年までの8年間はイギリス陸軍ライン軍団によって占領統治され、また第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約によってラインラントの非武装化が定められていた為、軍事費を社会インフラ建設と産業育成に充て、ケルンはドイツ最大の経済都市となりました。

第二次世界大戦時にはケルンは連合軍によって激しい攻撃にさらされ、ほとんどの建物が破壊されましたが大聖堂は奇跡的に崩落しませんでした。

戦後、損傷部分を修復、再建されて現在に至っています。

ケルン大聖堂について

ケルン最初の聖堂は4世紀に建設された正方形の小さな聖堂です。

その後、西暦818年に大司教座が置かれる大聖堂が建設されました。

現在の大聖堂は西暦1248年に着工し、西暦1880年に完成した三代目の建物です。

ケルン大聖堂は2つの大きな尖塔を持つ、ゴシック様式の大聖堂で、ゴシック式の建造物としては世界最大級の建物です。

この大聖堂は横幅約86メートル、縦幅約145メートル、高さ約157メートルもあり、完成当時は世界で最も高い建造物でした。

宗教改革の影響で16世紀から約300年間工事が中断していましたが、中断前には既に尖塔の片方は出来ていたそうですので、もしかしたら300年以上に渡って世界で一番高い建造物だったのかもしれません。

ケルン大聖堂の正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂と言います。

英語風に言えばセント・ピーター・アンドマリア大聖堂、聖ペテロとマリアに捧げられた大聖堂という意味です。

ローマ=カトリック教会のケルン大司教座が置かれている大聖堂ですが、維持管理は全て超党派のケルン大聖堂中央建築協会が行っており、カトリック教会は建物の管理を行っていません。

維持管理、補修費用もカトリック教会ではなく中央建築協会が大半を負担している為、ケルン大聖堂はカトリック教会の枠を超えた公共施設として扱われています。

二つの巨大な尖塔を持つ事で有名なケルン大聖堂ですが、実はもう1つ非常に特徴的なものがあります。

大聖堂内部の南側側廊にあるステンドグラスがそれにあたるのですが、現代ドイツの芸術家ゲルハルト・リヒターの手によるこのステンドグラスは市松模様となっており、聖人や聖者のモチーフは描かれていません。

こういったデザインは他の教会では見られない為、ケルン大聖堂のもう1つの特徴となっています。

宗教画が描かれているステンドグラスもあります。

このステンドグラスは西ファサードから入って右側にあり、「バイエルンの窓」と呼ばれています。

聖書の内容が描かれたこの美しいステンドグラスは西暦1842年にバイエルン王ルードヴィッヒ1世が寄贈したものです。

役立つ情報&豆知識

こちらではケルン観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ケルシュ

ケルシュとはケルンで醸造されている独特のビールで、上面発酵酵母を低温熟成させることで作られます。

上面発酵とはいわゆるエールビールの事で、下面発酵は普段私達が飲み慣れている日本のビールを含むラガービールの事を指します。

ケルシュはエールビールなので芳醇な香りがあるのですが、低温熟成させることでラガーのような飲みやすさも実現させているのです。

ケルンでケルシュを味わうときの注意点は、ケルシュを出すお店ではコースターで蓋をするまで半永久的にケルシュが出てくる点ですね。

コースターで蓋をしない限りはクランツという手提げのお盆の中に専用のタンブラーをたくさん入れたボーイさんがどんどん運んできてくれますので、飲み過ぎには注意しましょう。

また、このコースターは伝票代わりにもなっていますので、なくさないように気をつけてくださいね

香水

ケルンの名物といえばケルシュともう1つが香水です。

香水の中でもオーデコロンがケルン名物となります。

そもそもこのオーデコロンとは、「ケルンの水」と言う意味の言葉で、ナポレオン戦争時にこのオーデコロンをフランスに持ち帰ったところ大流行した事がきっかけでフランスで多くの香水が作られたのだそうです。

最古のオーデコロンが購入できるお店はこちら

ケルン中央駅から徒歩10~15分ほどです。

地下鉄Appellhofplatz駅からでは徒歩2~3分です。

地下鉄駅を出て、目の前にある横長の建物の下をくぐる形で南に進んで下さい。

3つめの交差点の右手前角にある「4711」という看板が目印です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにケルン大聖堂に興味を持って頂けたなら幸いです。

ケルンはフランクフルトから電車で1~2時間で訪れる事ができるため、その気になれば日帰りも可能です。

しかし、ケルシュと夜景を楽しむ為にはやはり1泊はする必要があるでしょう。

また、フランクフルト-ケルン間は内陸部を走る路線とライン川添いを走る路線があるのですが、これはライン川添いを走る路線の方がいいと思います。

時間自体は内陸部が約1時間、ライン川添いの路線は約2時間かかるのですが、ライン川流域の景色を楽しむのにはもってこいです。

少なくとも往復のどちらかはライン川添いの路線を使う事をおすすめします!

ケルンは大きな町ですので、ドイツとしては少し治安が良くないです。

特に女性の夜間の一人歩きは避けた方が無難でしょう。

男性と一緒であっても人が少ない通りは避けて、大通りを歩くようにしましょう。

今回ご紹介した大聖堂以外にも観光スポットはたくさんあります。

ドイツへご旅行の際には是非ケルンへも足をお運び下さい!