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ドイツの世界遺産!アーヘン大聖堂の魅力に迫る!

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「アーヘン大聖堂」です。

皆さんはアーヘン大聖堂についてご存じでしょうか。

アーヘン大聖堂はドイツの南西部にあるユネスコの世界遺産第一号で、フランク王国のカール大帝によって建設された宮殿教会を中心とした大聖堂で、カール大帝が最初の神聖ローマ帝国皇帝とされていることから、歴代の神聖ローマ帝国皇帝がこの大聖堂で戴冠式を行いました。

そんなアーヘン大聖堂の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

アーヘンの歴史

アーヘン周辺地域からは紀元前3000年頃の新石器時代、紀元前1500年頃の青銅器時代の遺跡が発見されていて、この辺り一帯には古くから人類が定住していたことを示しています。

古代ローマ時代にも広さ約25ヘクタールにも及ぶ温泉リゾート地、アクアエ・グラニが建設され、多くのローマ人を癒やしてきました。

この浴場の遺跡は現在でもアーヘンに残っています。

このアクアエ・グラニの名前は各言語でのアーヘンの名前に引き継がれています。

アーヘンという名前はドイツ語ですが、古語で鉱泉を意味しています。

ラテン語のアクアは水や泉、グラニは鉱物を意味しています。

タリア語のアクイスグラナやスペイン語のアキスグランはそのままアクアエ・グラニと同じ言葉で、フランス語のエクス・ラ・シャペルの場合は鉱物という単語の部分が大聖堂という単語に変ったものです。

アーヘンは温泉リゾート施設を中心に徐々に大きな町となっていきましたが、4世紀後半にゲルマン民族大移動が起こるとローマ軍はイタリアに撤退し、町は放棄されました。

西暦470年頃までにはアーヘンはフランク王国の支配下に入りました。

フランスからドイツへ抜ける主要な道の途中にあるアーヘンは、その戦略的重要性から小ピピンの時代に既に軍事拠点が築かれていました。

小ピピンの子で、最初の神聖ローマ帝国皇帝と考えられているカール大帝は西暦768年に小ピピンからアウストラシアとネウストリシアを相続して即位すると、アーヘンで多くの時を過ごすようになりました。

西暦786年にはアーヘンに宮殿教会の建設を開始します。

この宮殿教会がアーヘン大聖堂の起源です。

これ以降、アーヘンはカール大帝在位中のフランク王国の政治的中心地となります。

ヨーロッパの文化史上重要な意味を持っている、カロリング・ルネッサンスの中心地となったのもこのアーヘンです。

西暦814年にカール大帝が死亡すると、遺体は宮殿教会の大聖堂に葬られました。

12世紀の神聖ローマ帝国皇帝、フリードリヒ1世によってアーヘンは帝国自由都市としての権利を認められました。

これによって周辺諸侯の支配から自由となり、皇帝直轄地となったアーヘンでしたが、アーヘン自体の経済力は小さかったため、軍事力、政治力も弱く、周辺に影響を与えるようなことはありませんでした。

アーヘンを帝国自由都市としたフリードリヒ1世はバルバロッサ(赤ひげ王)のイタリア風の愛称でよく知られている皇帝です。

後の多くの神聖ローマ帝国皇帝がそうだったように、ドイツ政策よりもイタリア政策に注力し、一応の成功を収めたとみられているため歴代の神聖ローマ皇帝の中でも有能な皇帝として有名です。

第三回十字軍の総大将でもあったフリードリヒ1世は十字軍遠征中、アイユーブ朝アラブ=エジプト王国軍を破るなど、大きな戦果を挙げましたが、アナトリア半島南部のキリキアにあるサレフ川で溺死してしまいました。

この溺死はあまりにも突然の事件だったため、さまざまな疑惑や憶測を呼び、中世のドイツではフリードリヒ1世は存命していて、神聖ローマ帝国に危機が起こったときに再び現れるという都市伝説が広まりました。

アーヘンはカール大帝にあやかって歴代の数多くの神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われた場所でしたが、西暦1531年にローマ王として戴冠式を行ったフェルディナント1世を最後に、神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式の場はフランクフルトに移っていきました。

もともと経済的な重要度の低かったアーヘンは、皇帝戴冠式開催地でなくなるとともに政治的にも衰退していき、西暦1618年から西暦1648年の三十年戦争によって略奪、破壊が行われ、町は荒廃してしまいました。

三十年戦争が終わると町は徐々に復興していきましたが、西暦1656年には大規模な火災が発生し、町を焼いてしまいます。

この火災によって、それ以前の古い建物が数多く失われてしまいました。

第一次世界大戦でドイツが敗北した後、アーヘンはラインラントの非武装地帯に組み込まれ、連合国によって統治されました。

アーヘン大聖堂

アーヘン大聖堂はヨーロッパ北部で最古の大聖堂です。

西暦786年にフランク王国のカール大帝によって建設された宮殿教会が起源となっているこの大聖堂は、「皇帝の大聖堂」(カイゼルドーム)と呼ばれることもあります。

西暦814年にカール大帝が亡くなった時にはこの大聖堂に葬られ、その後カール大帝のために建設された神殿に移されました。

カール大帝の建設した宮殿教会は、後世に建設された大聖堂と比較すると小規模なものですが、当時はアルプスより北側のヨーロッパでは最大の教会建築物でした。

大聖堂はこの宮殿教会建築後、1000年以上の時をかけて増改築が繰り返され、フランク式からバロック式までさまざまな建築様式を見る事ができます。

カール大帝の没後600年を記念して建設されたガラスの家と呼ばれる礼拝堂は、増大する巡礼者を収容するために、約60年もの建設期間をかけて建設されました。

アーヘン大聖堂にある宝物殿にはフランク王国時代から各時代の教会美術品などが展示されています。

この宝物殿はアルプス以北のヨーロッパでは最も重要な教会美術が収蔵されているそうです。

有名な収蔵品は「カール大帝の胸像」、「ペルセポネの石棺」などが知られています。

11世紀に神聖ローマ帝国皇帝のオットー3世がカール大帝の遺体が収められている部屋を開いたところ、カール大帝の遺体の保存状態は非常に良く、玉座に座った大帝は皇帝用のローブを身につけ、皇帝の冠を戴き、膝には開かれたままの福音書があったと伝わっています。

お役立ち情報

こちらではアーヘン観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

アーヘナープリンテン

アーヘンの名物と言えば、スパイスとはちみつをたっぷり使った焼き菓子のアーヘナープリンテンです。

クリスマスの時期によく見られる「レープクーヘン」と味も形も似ていますが、実はプリンテンの方が古く、レープクーヘンはプリンテンを元に作られたと言われています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアーヘン大聖堂に興味を持って頂けたなら幸いです。

アーヘン大聖堂は歴代の神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われるなど、歴史的重要性とともに、多くの教会美術品や聖遺物が収蔵されているというキリスト教の宗教的重要性、また長い年月をかけた増改築によってさまざまな建築用法を使用しているという点でも非常に重要な意味をもつ建築物です。

しかし、そのような学術的な価値をたとえ知らなかったとしても、巨大なステンドグラスや金色に輝くモザイクなど、訪れる人々はさまざまなものから荘厳な雰囲気を感じずにはいられない場所となっています。

一時期パワースポット巡りが流行っていた頃にはヨーロッパ有数のパワースポットとも言われていたこともあります。

アーヘンはドイツですがベルギー国境に近い町ですので、ベルギーやルクセンブルクと組み合わせて訪れる方もいらっしゃいます。

ドイツ東部やベルギー、ルクセンブルクへのご旅行をお考えでしたら、是非アーヘン大聖堂へも足をお運び下さい!