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ドイツの世界遺産〜フェルクリンゲン製鉄所〜へ行くなら前知識にどうぞ!

フェルクリンゲン製鉄所とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、ドイツの「フェルクリンゲン製鉄所」です。

皆さんはフェルクリンゲン製鉄所についてご存じでしょうか。

フェルクリンゲン製鉄所はドイツ西部のフランスとの国境に近い町、フェルクリンゲンにある古い製鉄所の跡地のことです。

ザール川流域はドイツの中でも古くから人が定住を始めていた地域でもあり、近代以降はヨーロッパの産業革命の中心地の1つにもなりました。

また数あるユネスコの世界遺産の中でも、産業遺産というカテゴリーで世界で初めて登録された世界遺産としてもよく知られています。

現在では「世界一美しい廃墟」、「産業遺産の大聖堂」などと呼ばれることもありますが最盛期は1万5千人以上の労働者が毎日働き、人類の長年の夢だった鉄の大量生産を実現させました。

そんなフェルクリンゲン製鉄所の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

フェルクリンゲン製鉄所の歴史

この製鉄所の歴史は、西暦1873年に始まります。

もともと一人の製鉄技術者がこの場所に製鋼所を作ったのですが、経済的な事情により10年もしない内に倒産してしまいました。

この時のドイツは鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクの下で軍事力の強化と国全体の近代化、産業化に邁進しており、鉄、合金の需要は高く、時代の流れに乗った開業だったのですが、ズクとも呼ばれていた銑鉄に対する税金が値上がりしたため、経営難に陥ってしまったのです。

しかしやはり鉄、合金の需要は依然として高く、また当時のドイツの国家政策も大量の鉄を必要としていたため、工場が閉鎖されてから2年後の西暦1881年には工場に買い手が付き、新たな製鋼所が作られました。

閉鎖されていた施設の増改築を行い、さらに2年後の死歴1883年には溶鉱炉が本格的に稼働を始めました。

この工場の名前は「レヒリンク製鉄所」といい、稼働から約7年後の西暦1890年にはドイツ国内で最大級の製鉄所の1つとなっていました。

この年の鉄製ねじの生産高ではドイツで一位となっています。

この製鉄所が大躍進した要因の1つに、トーマス転炉の採用があります。

トーマス転炉というのは、西暦1878年にイギリス人のシドニー・ギルクリスト・トーマスが、親戚の製鉄技術者であるパーシー・カーライル・ギルクリストとの共同研究の結果、開発した転炉です。

技術的な説明は省略しますが、この転炉はそれ以前の転炉と比較して転炉内部の材料が異なるため、リンを多く含む鉄鉱石(リン鉱石)を使用して製鋼を行うことが出来る点で非常に画期的な発明となりました。

このトーマス転炉が発明されたことによって、世界の鉄鉱石の産出高は瞬く間に塗り替えられていきました。

トーマス転炉の発明以前から、ドイツフランス国境地域のアルザス・ロートリンゲンやルクセンブルクでリン鉱石の豊富な鉱脈があることは判明していましたが、リンを除去するのに適した転炉がないために製鉄、製鋼には不向きであるとみなされていたのです。

しかしトーマス転炉の発明により、リン鉱石が使用できるようになったためこの地方に埋蔵されていた大量のミネット鋼と呼ばれるリン鉱石が採掘されるようになりました。

リン鉱石の産地から近かったこともあり、レヒリンク製鉄所を含むドイツのルール工業地帯、またフランスのロレーヌ工業地帯は急激に発展を遂げたのです。

近接地域であるロートリンゲンのリン鉱石はその後長年に渡って原料として用いられます。

この地域からのリン鉱石は西暦1963年まで、約70年もの間使用されました。

原料の産地から近く、ザール川から大量の工業用水を取水することもできるため、急激に発展を遂げたレヒリンク製鉄所では、溶鉱炉を加熱するためのコークスが不足し始めました。

製鋼を行うためには溶鉱炉を高温にする必要があり、石炭を燃焼させただけでは純度が低く熱量が不足するため、より純度の高いコークスを用いて加熱しなければなりません。

コークスというのは石炭を蒸し焼きにして作られる物質で、この工程で硫黄、コールタール、硫酸、アンモニアなどの不純物が抜けて炭素純度が高まるため、燃焼時により多くの熱量を得ることが可能になり、現代でも製鉄、製鋼などの際にはコークスを燃やしています。

西暦1897年には製鉄所のコークス需要に対応するためコークスの生産プラントが建設されました。

その後もガス式のコンプレッサーや鉄鉱石やコークスなどを運搬するためのクレーンなどの近代的な設備が次々と設置されていきました。

西暦1928年には大規模な改修が行われ、ヨーロッパでも最大の製鉄所となるとともに、最新の技術を用いた装置も導入されました。

これによって鉄鋼精製時の産業廃棄物を再利用することが可能になり、ますます生産効率は高まりました。

第二次世界大戦時にはナチスドイツの武器、兵器の建造に膨大な鉄鋼が必要だったため、この製鉄所もフル稼働となりました。

ナチスの占領地域であるバルカン半島やポーランド、北フランス、ベルギー、オランダなどから多くの人々が連行され、製鉄所を含むこの地域一帯の工場で強制労働を強いられたという暗い歴史も持っています。

大戦末期になると連合軍の航空機による爆撃がドイツ各地を襲い、軍事工場、機械工場、製鉄所などの兵器生産に関わる施設を次々に攻撃しました。

しかしこの製鉄所はほとんど攻撃を受けることのないままドイツが降伏し、ヨーロッパ戦線は終わりを迎えました。

なぜ各地の工場が爆撃される中、この工場が攻撃対象とならなかったのは現在でも明らかになってはいませんが、結果としてはこの工場が無傷で残ったおかげで戦争終結後の復興需要に対して応えることができ、ヨーロッパ各地へと鉄鋼が送られました。

第二次世界大戦の終結から7年後の西暦1952年には鉄鋼生産がピークを迎えます。

製鉄所はその後も成長を続け、西暦1965年には17,000人もの従業員を抱えるヨーロッパ最大の製鉄所となりました。

しかし西暦1975年頃からの鉄鋼危機によって業績は悪化し、いくつかの製鉄所、鉄工所などとの合併を経た後の西暦1986年には操業を停止しました。

操業停止後は施設の修復が行われ、産業博物館として運営され、西暦1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。

お役立ち情報

こちらではフェルクリンゲン製鉄所観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

入場料など

フェルクリンゲン製鉄所は産業博物館でもあるため、入場は有料となっています。

入場料は大人1人15ユーロとかなり割高です。

18歳未満と学生は無料で、ユーロ圏以外の学生にもこれは適用されます。

構内は当時の設備がほぼそのまま残されていて見ごたえはありますが、英語がダメという場合には予め予備知識を持っていくか、スマートホンの翻訳機能を利用した方がよいと思います。

パンフレットも英語またはフランス語の二か国語だけとなっています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにフェルクリンゲン製鉄所に興味を持って頂けたなら幸いです。

産業世界遺産はちょっと通好みという印象もあり、あまり積極的に訪れる方は多くはないのが実際の所ですが、製鉄所の施設を隅から隅まで見学できる機会というのはそうそうないのではないでしょうか。

もちろん現役の製鉄所ではありませんので、最新の設備というわけには行きませんが、つい30年ほど前までは第一線で稼働していた巨大な工場は迫力も満点です。

ヨーロッパ旅行では、城、教会、美術館を訪れる機会が多くなると思いますので、ちょっとした気分転換としてもよいのではないかと思います。