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ドイツの美しい港湾都市リューベック!世界遺産のハンザ同盟都市の魅力とは!?

今回ご紹介する世界遺産は、ドイツのハンザ同盟都市リューベックです。
ハンザ同盟というのは、ドイツの都市国家間で結ばれた政治・経済・軍事の緩い連合体の事です。

もともとは都市国家間を往来する商人の連合体だったと言われています。
北ヨーロッパで大きな勢力を持っていた、ハンザ同盟の中心的都市リューベックとハンザ同盟そのものの歴史を踏まえ、ご紹介していいきます。

ハンザ同盟とは?

先程も少しお話しましたが、ハンザ同盟について改めてご説明します。
ハンザ同盟は元々都市国家間を往来する「遍歴商人」の相互扶助を目的とした緩い連合体として発祥しました。
当初はドイツ系遍歴商人の拠点として発展していたヴィスビューがその中心的存在となっていました。

やがて13世紀頃になると、遍歴商人の中から実務は使用人に行わせ、自らは特定の都市に定住して指示を出す、「定住商人」が頭角を現します。

そしてこの頃までにリューベックは封建領主の支配下から独立し、高度な自治権を有する神聖ローマ帝国内の帝国自由都市の地位を確立していました。

頭角を現しはじめた定住商人達は、遍歴商人のネットワークであった商人ハンザを利用し、それぞれの定住地である都市国家間にネットワークを構築します。
この都市国家間のネットワークによって商人ハンザは都市国家ハンザへとその性格を変えていきました。

この過程で、遍歴商人の根拠地であるヴィスビューと、定住商人勢力の根拠地であるリューベックはハンザ同盟の主導権を巡って対立します。
この争いは13世紀末まで続きましたが、最終的にはリューベックに軍配が上がりました。

リューベックを根拠地とする遍歴商人の団体は廃止され、各地の商館も都市国家ハンザの支配下に入ることになりました。
リューベックは多くのハンザ都市からリーダーとして認められ、都市国家ハンザの主導権を握ったことにより、繁栄の時を迎えました。

14世紀には台頭してきたデンマークと争い、これを撃破します。
その後15世紀にかけてはイングランドの勢力との争いが発生しましたが、ハンザ同盟側が妥協した事もあり、大きな被害は出ませんでした。

しかし、15世紀に入るとヨーロッパの政治情勢が大きく変わり、ハンザ同盟の勢力も衰え始めます。

ヤゲウォ朝(ポーランド・リトアニア連合王国)とドイツ騎士団の争いは、敵の敵は味方とばかりにポーランド側を支援したハンザ同盟でしたが、ヤゲウォ朝がドイツ騎士団に勝利し西方に勢力を拡大すると、東方のハンザ都市はヤゲウォ朝の勢力下に組み込まれてしまい、脱落していきました。

生き残った都市も西方のハンザ都市とは違い、強大なヤゲウォ朝と折り合いをつける必要性があった為、ハンザ同盟内部には亀裂が入っていったのです。

また北欧三カ国(デンマーク・スウェーデン・ノルウェー)もカルマル同盟を結んで一大勢力となりハンザ同盟に対抗しました。
ハンザ同盟はカルマル同盟に破れバルト海での商業特権を失います。

神聖ローマ帝国でも、皇帝の権力が弱体化し、北ドイツでは諸侯の勢力が伸張します。
勢力を拡大した領邦国家が近隣の都市国家に圧力を加えた為、ハンザ同盟の弱体化が更に加速していきました。

16世紀の宗教改革ではハンザ同盟都市の間だけでなく、都市国家内部でも新教・旧教に分かれて争いが発生し、更に弱体化が進みます。

最終的にハンザ同盟に終止符を打つ事になったのは、西暦1618年に発生した三十年戦争でした。

この頃には既に多くの都市国家は力を失っていましたが、リューベック、ブレーメン、ハンブルクにはまだ国力があったので、この3都市でハンザ同盟を代表して行動することになりました。
しかし、1648年に三十年戦争が終結すると、ヴェストファーレン条約によって多くの都市国家が周辺の領邦国家に併合され、消滅しました。

1669年に最後のハンザ会議が開かれた時には、最盛期100を超えた参加都市の数が、1桁にまで減っており、この会議を最後にハンザ同盟は事実上消滅しました。

ハンザ同盟を最後まで代表したリューベック、ブレーメン、ハンブルクの軍事同盟は数回の中断を含みながらも20世紀まで継続し、その間もハンザ同盟を名乗っていました。

現在でもリューベック、ブレーメン、ハンブルクの正式名称は「ハンザ都市リューベック」、「自由ハンザ都市ブレーメン」、「自由ハンザ都市ハンブルク」となっており、ハンザ同盟の名残を留めています。

代表的建造物

ホルステン門

リューベック旧市街の入り口にあたるのがホルステン門です。
門の両脇に立つとんがり屋根の尖塔が非常に特徴的なので、写真で見たことのある方もいらっしゃるかもしれません。

旧50マルクのデザインでもあった為、ドイツ国内でも知名度が高い建造物です。
門の上部には「内に結束を、外に平和を」という意味の文章がラテン語で書かれています。

ホルステン門は自重によって地面が陥没し、傾いてしまっているそうです。

写真でもよく見ると傾いているのが見てとれます。

ちなみにホルステン門の後ろに見える尖塔は聖ペトリ教会といいます。
ここの展望台からはリューベックの街を一望できます。

市庁舎

リューベック旧市街のマルクト広場にある市庁舎は、緑のとんがり屋根の尖塔、黒レンガ、丸い穴が空いた壁が非常に特徴的な建物です。

13世紀前半に建設されたゴシック式の重厚な雰囲気の建物に、後にルネッサンス式の軽やかな白いアーチが増築され、独特の外観を持っているのがこの市庁舎です。

ハンザ同盟の盟主、「ハンザの女王」と呼ばれていたリューベックの往事の権勢を今に伝える市庁舎の内部にはロココ風の謁見の間や、議会ホールがあり、見学することも可能です。

マリエン教会

聖マリエン教会
市庁舎の隣にある大きな教会は,商人の為の教会、聖マリエン教会です。
1250年から1350年にかけて建設されたゴシック式の教会はドイツで3番目に大きくいそうです。

また、レンガ造りの教会としてはドイツ最大の教会でもあるそうです。

この教会には音楽家のバッハが若い頃に訪れたことでも知られています。
バッハはオルガン演奏者の演奏に感動し、仕事を休んでまで通っていたそうです。

聖マリエン教会には面白い伝説があります。

聖マリエン教会の建設が始まったとき,どこからか悪魔が現れて教会の建設を手伝ったそうです。
悪魔のおかげで教会の建設は非常に素早く進んでいましたが、悪魔は教会ではなく酒場が出来ると勘違いして手伝っていた為、自分が作っているのが実は教会だったと気付くと逆に教会を壊し始めました。

リューベックの人々が悪魔をなだめる為に教会のすぐそばに酒場を作る事を約束すると、それに気を良くした悪魔は早く酒場を作って欲しいあまりに再び教会の建設を手伝い、聖マリエン教会は当初の予定よりも早く完成したのだそうです。

その後、リューベックの人々は約束を守って隣の市庁舎に酒場を作ったのだとか。

このエピソードを元にした悪魔の像が聖マリエン教会のすぐそばに今でもあるそうです。
悪魔が教会建設を手伝うなんて面白いエピソードですよね。

シッファーゲゼルシャフト

階段上になっている特徴的な建物は、シッファーゲゼルシャフトといって、船員ギルドの商館として使われていた建物です。
1535年に建設されたこの建物は、現在ではレストランとして利用されています。

内装は船の中のような雰囲気になっていて、ガイドブックでも紹介されている人気のお店です。
天井から吊るされている帆船模型もいい雰囲気を醸し出しています。

聖霊病院

5本の尖塔を持つ大きな建物は聖霊病院です。
裕福な商人によって運営費が賄われていた聖霊病院は、リューベック周辺の病人を収容していたそうです。

初期は個室ではなく、広い空間にベッドを並べていたそうですが19世紀に個室が作られ、狭いながらも全員が個室を持っていたそうです。
病院としてスタートした施設でしたが、やがては養老院へと変化していき、1970年まで実際に使用されていました。

建物の入り口を入ると教会になっています。
教会内部は非常に美しい装飾が施されていて、さすがハンザの女王と思わせる雰囲気です。

教会部分から病院部分へと入ると一転してシンプルな作りになっています。
普段このようなシンプルな作りの建物に収容されている方が、教会の聖堂に入った時は天国のように美しい空間と感じていたのかもしれません。

クリスマスの時期にはクリスマスマーケットが開かれ、非常に多くの方が訪れるそうです。
12月のリューベックを訪れるのでしたら、是非足を運びたいイベントですね。

代表的建造物をご紹介しましたが、この他にも見どころはたくさんあります。
気になる方は「リューベック 観光」や「リューベック 旧市街」で検索すると詳しい情報が手に入ります。

ちょこっとメモ

リューベックの観光に役立つ情報や豆知識をお話します。

リューベックへのアクセス
リューベックは主要都市からは少し離れていますが、意外に簡単に電車で訪れることができます。

ハンブルクから 50分程度
フランクフルトから 5時間程度
ベルリンから 3時間程度

2ユーロ硬貨
EUの共通通貨になっているユーロですが、硬貨のデザインは各国で変更して良いことになっています。
その為、いろいろなデザインの硬貨があるのですが、2ユーロ硬貨の中にはリューベックのホルステン門がデザインされたものもあります。

お買い物などで硬貨を受け取ったときに、デザインを見てみるのも楽しいです。

リューベック名物
リューベックの名物と言えば、赤ワインとマジパンです。
リューベックではブドウが採れないのですが、ロートシュポンという赤ワインが名物となっていてとても有名です。

伝説によれば、リューベックから塩を輸出した帰りに、空き樽に赤ワインを入れて持ち帰り、そのまま熟成させたところ非常に良い味になった為有名になったそうです。

ナポレオンがロートシュポンを飲んだ時のエピソードなどもありますので、気になる方は「ロートシュポン ナポレオン」で検索して見て下さい。

マジパンもまた名物の一つです。
念の為お話しますが、マジパンはパンではなくお菓子です。

アーモンドと砂糖でできたお菓子で粘土のように加工ができ、いろいろなものを作ることができます。
リューベックにはとても有名なマジパンの老舗のお店があります。
カフェスペースもありますので、休憩がてら寄ってみるのはいかがでしょうか。

店名 ニーダーエッガー(Niederegger)
住所 Breite Str. 89 23552 Lübeck

最後に

いかがでしたか?
これをきっかけにハンザ都市リューベックに興味を持っていただけたなら幸いです。

リューベックは比較的小さな町ですので、2日間滞在すれば一通りのスポットは見て回る事ができます。
主要な場所だけでしたら1日でも可能と思います。

ハンブルクやベルリンと組み合わせての旅行計画はいかがでしょう。
同じドイツでありながらリューベックは独特の街並みを持っていますので、比較してみるのも楽しいのでは、と思います。