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トルコの世界遺産!ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、トルコの「ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地」です。

皆さんはブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地についてご存じでしょうか。

ブルサとジュマルクズックは世界遺産名からもわかるかと思いますが、オスマン帝国発祥の地としてよく知られている場所です。

ブルサはオスマン帝国の最初の首都が置かれていた町で、ジュマルクズックは当時の庶民の生活の様子がわかる農村です。

そんなブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ブルサ時代のオスマン帝国の歴史

オスマン帝国はもともと13世紀の終わり頃に東ローマ帝国とセルジューク=トルコ帝国の国境付近を根拠地とするトルコ人の遊牧集団から始まりました。

この集団の性格について、実は歴史学会でも明確な答えが出ておらず、聖戦のために集まったムスリム戦士がオスマン1世を中心に軍団を形成したという説と、小アジア出身の遊牧民の集団だったという説があり、どちらも決定的な根拠が見つかっていないため、この議論はいまだに結論が出ていない。

このオスマン1世を頂点とするトルコ人の軍団は、オスマン1世の父エルトグルルの時代に小アジアの北西部に勢力を築き始め、オスマン1世の時代にはキリスト教系、イスラム教系を問わず、周辺の小領主を征服し、オスマン帝国の前身となるオスマン君公国を建国しました。

14世紀の初めにオスマン1世の息子オルハンは2代目のスルタンとなります。

スルタンとなった直後、オルハンは東ローマ帝国の町ブロウサを攻略し、ここがオスマン帝国の最初の首都、ブルサとなりました。

ブルサに首都を置いた後もオスマン帝国の膨張は留まらず、マルマラ海東海岸部まで勢力を伸ばし、ボスポラス海峡を挟んで東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスまで目前に迫りました。

西暦1346年には東ローマ帝国の内紛に乗じてダーダネルス海峡を渡ってバルカン半島に進出し、ヨーロッパ側での勢力を拡大します。

西暦1352年から西暦1357年のビザンチン内戦中にはガリポリを占領し、海軍の重要拠点としました。

このオスマン帝国のヨーロッパ進出によって東ローマ帝国の領土は次々と占領されていきます。

第三代スルタンのムラト1世の時代には西ヨーロッパとコンスタンティノポリスを結ぶ重要都市、ハドリアーノポリスを攻略しここを第二首都としました。

攻略したハドリアーノポリスはエディルネと呼ばれ、スルタンの宮廷もおかれましたが、依然としてブルサはオスマン帝国の首都として行政上の中心的役割を果たしていました。

ブルサが完全に首都としての役割を終えるのは更に100年後、スルタンメフメト2世の時代に東ローマ帝国の首都、コンスタンティノポリスを陥落させた時です。

千年の都と言われたコンスタンティノポリスを占領すると、メフメト2世はこの町に新たな宮殿を築き、遷都しました。

これによって首都機能は全て、コンスタンティノポリスから改名されたイスタンブールへと移り、ブルサ時代は終わりを告げました。

代表的建造物

大モスク ウルジャミイ

ブルサ中心部のジェムフリエト広場から見て西側に大モスク、ウルジャミイがあります。

ウルジャミイは西暦1396年から西暦1399年にかけてバヤジット1世によって建設されました。

長方形の建物正面には両端にミナレットがあり、屋根には縦五列、横四列のドームが置かれています。

住所:Atatürk Caddesi, Bursa Türkiye, Merkez, 16010 Osmangazi/Bursa

営業時間・開場時間:5:30〜19:00

利用料金や入場料:無料

オルハン・ガジ・ジャミイ

ブルサで最も古いモスクがこのオルハンガジ・ジャミイです。

このモスクは西暦1339年に建設されました。

オスマン帝国の中で一番最初にスルタンの名前を付けられたモスクとしても知られています。

15世紀の初めにオスマン帝国がモンゴル帝国によって攻撃され、離散してしまった時代に周辺の諸侯によって壊され、また西暦1855年には震災によって大きな被害が出ましたが、そのたびに修復が行われてきたため、現在でも当時の姿を保っています。

住所:Osmangazi, Nalbantoğlu, Bursa

営業時間・開場時間:8:00〜17:00

利用料金や入場料:無料

イエシル・テュルベ

イエシル・テュルべはメフメト1世によって建設された墓廟です。

青い外観はもともとターコイズブルーのタイルで覆われていたそうですが、西暦1855年の震災でイエシル・テュルべのタイルも壊れてしまったため、現在は人工物のタイルで覆われています。

この墓廟は青い外見も非常に美しいのですが、その内部も繊細な彫刻がそこかしこに施されており、また内壁はタイルで覆われています。

安置されているメフメト1世と王族の棺、墓碑はやはり青地で、金の文字でコーランの一節が書かれています。

住所:Yeşil, 1. Yeşil Cd. 66-1, 16360 Yıldırım/Bursa

営業時間・開場時間:7:00〜24:00

利用料金や入場料:無料

バザール

トルコ、アラブ、エジプトなどのイスラム圏ではバザールは一般的な施設で、各地に迷路のように広がったバザールがありますが、ブルサも例外ではありません。

オスマン帝国よりも以前より、ブルサは特産品の絹製品の名産地としてよく知られていました。

バザールでは今でも絹などのほか、黄金などの貴金属、宝飾品、食料品など、いろいろなものが販売されています。

住所:Nalbantoğlu Mah, Kapalı Çarşı Cad., 16010 Osmangazi/Bursa

営業時間・開場時間:店舗による

利用料金や入場料:店舗による

お役立ち情報

こちらではブルサとジュマルクズック観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

両都市へのアクセス

ブルサへ行くのに一般的な方法は、トルコの首都イスタンブールからフェリーに乗るか、または長距離バスにのることです。

フェリーの場合にはその後、バスに乗り、地下鉄に乗りかえる必要がありますが、2時間ほどで到着します。

直行の長距離バスの場合には途中でバスごとフェリーに乗り、4時間以上をかけて到着します。

バスは日中だと1時間に2、3本程度、フェリーは曜日によりますが2時間に1便程度が運行しています。

ジュマルクズックはブルサの東10キロ程度の場所にありますので、バス、またはタクシーで簡単に訪れることができます。

ブルサに宿泊する予定なら歩いて行くのも可能です。

ジュマルクズックにはオスマン帝国時代の古い民家や町並みが保存されています。

ここは町全体が観光地のようになっていますので、散策してみるのも面白いでしょう。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地に興味を持って頂けたなら幸いです。

オスマン帝国というとやはりイスタンブールとエディルネの印象が強いのですが、大帝国になる以前のもともとのトルコ気質というような、遊牧民の軍事集団としての性格は、ブルサの時代の方が色濃く持っていました。

モスクなどの雰囲気もイスタンブールとはまた違った雰囲気がありますので、興味のある方は是非訪れてみてください!