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チュニジアの世界遺産!カルタゴ遺跡の魅力とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、チュニジアの「カルタゴ遺跡」です。

皆さんはカルタゴ遺跡についてご存じでしょうか。

カルタゴ遺跡はチュニジアの首都チュニスの北東約12キロメートルの位置にある古代遺跡ですが、実はフェニキア人の国家カルタゴの時代の遺跡はほとんど現存していません。

これは、ポエニ戦争で勝利した古代ローマ帝国がカルタゴの復活を恐れ、徹底的に町を破壊し尽くしたからだと言われています。

現存する遺跡のほとんどは、古代ローマ帝国がアフリカを治めるようになった後に、アフリカ準州の首都をカルタゴに置くようになってからもので、古代ローマ帝国の植民市時代に建造物が遺跡となっています。

そんなチュニジアの世界遺産、カルタゴ遺跡の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

カルタゴの歴史

カルタゴは非常に古い歴史を持つ国です。

あまりにも古い為、正確な建国年度は特定できてはいませんが、チュニジア政府の公式見解としては紀元前814年ということになっています。

カルタゴ周辺からの出土品も紀元前8世紀後半のものが最も多くなっていますので、いずれにしてもその辺りの時代に大規模な集落が形成されていたのは間違いないと思われます。

現代に生きる私達は北アフリカというとどうしてもサハラ砂漠のイメージが先行し、灼熱の不毛地帯を想像しがちですが、当時のサハラ砂漠は現在よりも遙かに小さく、またこれは現在でも変りません。

しかしチュニジア、アルジェリア、モロッコといった、北西アフリカ諸国の地中海沿岸部分には緑地も多く存在しています。

当時のカルタゴ周辺は、緑も多く、実り豊かな土地だったようです。

紀元前3世紀頃までにはカルタゴは西地中海の制海権を手中にし、北アフリカの地中海沿岸、イベリア半島、サルデーニャ島、バレアレス諸島、マルタ島などに植民地を建設しました。

この当時の地中海は、ギリシャ人、ローマ人、カルタゴ人(フェニキア人)が覇権を争っており、勢力が均衡していたことと、フロンティアが多かった事から全面戦争のような事態にはなりにくい状況でした。

しかし、時代が下り、ギリシャ人の勢力が衰退すると地中海を挟んで古代共和制ローマとカルタゴがにらみ合う形となります。

イタリア半島のローマと北アフリカのカルタゴの中間地点に位置するシチリア島の支配権を巡る両者の戦争をポエニ戦争といいます。

このポエニ戦争は紀元前264年から紀元前261年までの第一次ポエニ戦争と、紀元前218年から紀元前202年までの第二次ポエニ戦争、そして紀元前149年から紀元前146年までの第三次ポエニ戦争の、都合三回に渡る一連のポエニ戦争によってカルタゴは古代共和制ローマに滅ぼされてしまいました。

ポエニ戦争の「ポエニ」とは、ローマでの「フェニキア人」の呼び名から名付けられたもので、「フェニキア」の「フェニ」の部分をローマ風に読んだものです。

ポエニ戦争の第二期、第二次ポエニ戦争では、カルタゴの名将ハンニバル・バルカとローマの将軍大スキピオによる数々の戦闘が有名です。

第二次ポエニ戦争の前半はハンニバル率いるカルタゴ軍の連戦連勝が続きました。

この当時の状況は、ハンニバル率いるカルタゴ軍がガリアを経由してアルプス越えルートで北イタリアに侵入し、ローマ軍は本拠地であるイタリア半島でこれを迎え撃つという状況です。

カルタゴ側はガリア傭兵、イベリア歩兵、北アフリカのヌミディア騎兵、象騎兵から編成されていて、ローマ軍は地中海最強と言われたローマ市民歩兵と、逆に地中海最弱と言われたローマ貴族騎兵から編成されていました。

ローマ軍は市民兵で構成されていたため、戦場から逃がした場合でも根拠地で再編成され、次回の戦闘では戦力として復帰する可能性が高かったため、ハンニバル率いるカルタゴ軍はそれまでの陣形破壊戦術ではなく、ヌミディア騎兵の機動力を生かした包囲殲滅戦術を採りました。

ローマ軍は決して弱いわけではなく、むしろ地中海世界でも有数の武力を持ち、戦闘経験も豊富だった事が逆に災いし、包囲網が完成するまで敗走することなく勇敢に戦い続けたため、何人もの優秀な将軍が包囲殲滅戦術によって討ち取られました。

この危機を受けローマでは、「武器を取れる男子は全て戦場に送った」とも言われるほどの戦力を動員し、カルタゴとの戦いに望みました。

ハンニバルはローマ市民とローマ同盟市民とで捕虜の扱いに差を付け、カルタゴに反抗しないのであれば安全を保証すると約束したため、ローマは戦力を大動員してその離反を防ぐ必要に迫られてもいたのです。

連戦連勝のハンニバルでしたが、カルタゴ国内ではハンニバルの政治的影響力は限定的で、議会は反ハンニバル派が多かったため、本国からの増援や補給を得られず次第に勢力が衰えていきました。

市民を限界まで動員し、イタリア半島で持久戦の構えを見せたローマ軍はイベリア半島に軍を派遣し、ハンニバルの本拠地、カルタゴ・ノヴァを陥落させます。

ハスバルドスやマゴといったハンニバルの弟達も討ち死にし、ローマを攻めあぐねていた所に、イベリア半島攻略の勢いに乗じたローマ軍によるカルタゴ本国への逆侵攻が行われ、狼狽したカルタゴ議会はハンニバルを本国へと召還しました。

その後、第二次ポエニ戦争の最終決戦となったザマの戦いでハンニバル率いるカルタゴ軍は大スキピオ率いるローマ軍に敗れました。

この時はカルタゴを滅ぼすところまではいきませんでしたが、「ローマ史上最大の災厄」、「悪魔の化身」とも言われたハンニバルと、彼が率いたカルタゴ軍へのローマ人の憎しみは深く、第三次ポエニ戦争では大スキピオの息子の小スキピオがカルタゴを攻略し、15万人の市民を虐殺し、5万人の市民を奴隷にした上、町を完全に破壊して塩をまいて引き上げました。

その後、アフリカ準州の首都となったカルタゴは、ローマの植民市として生まれ変わり、ローマ帝国の西側地域ではローマに次ぐ第二の都市となりました。

世界遺産カルタゴ遺跡のほとんどの建造物もこの時期に建設されたものです。

西ローマ滅亡後はヴァンダル王国、次いで東ローマ帝国の領土となりましたが、後世アラブ人のウマイヤ朝によって占領されるとカルタゴは放棄され、その後復活することはありませんでした。

カルタゴ遺跡について

チュニジアの首都チュニスの北東にあるカルタゴ遺跡は、小高い丘の上に位置しており、チュニス湾を一望できます。

残念ながら建物として原型を留めているものはなく、古代の廃墟といった様相ですが、それでもここを訪れる観光客は多く、チュニジアで最も人気のスポットとなっています。

カルタゴ遺跡観光の最大の見どころは「アントニウスの大浴場跡」です。

ローマ人にとって浴場は社交場でもあり、レジャースポットでもあり、家族の団らんの場でもあった非常に重要な施設で、このアントニウスの大浴場もそのようなローマ人の文化を反映して、非常に大きな遺跡となっています。

当時は3階建てだったこの大浴場は1階がボイラー室、2階が玄関で、湯風呂、水風呂、低温サウナ、マッサージルーム、食堂などを兼ね備えていました。

現在はアーチや柱、建築基礎部分が残っています。

遺跡の丘から海に向かって南に進むと、カルタゴ時代の港があり、現在も漁港として使われています。

この港は上から見るとドーナツのような形になっていて、中心部にある陸地を丸い形の湾囲んでいます。

この中心部の陸地にもカルタゴ時代、ローマ時代の遺跡があります。

役立つ情報&豆知識

こちらではカルタゴ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

チュニジアについて

チュニジアの公用語はアラビア語です。

独立前はフランス植民地だった事から、英語よりもフランス語が通じます。

英語とフランス語は義務教育課程で必修科目なので、若い人々にはどちらでも通じます。

伝統的にイスラム教の国ですが、サウジアラビアやイランなどの厳格なイスラム国家ではなく、トルコやエジプトなどのソフトイスラム国家と呼ばれる国です。

そのため、イスラム国家でありながらチュニジアではワインも製造されています。

チュニジアではオリーブも栽培されていて、オリーブオイルを使った石けんや、オリーブの木で作った工芸品などが人気のお土産となっている他、ベルベル文化を採り入れたデザインのじゅうたんや、スカーフ、クッションなども人気です。

アフリカ国家としても、アラブ国家としても優等生の部類に入るチュニジアには、ヨーロッパ諸国からもフランスを中心に数多くの観光客が訪れ、高級リゾート地もあります。

日本とは西暦1956年依頼良好な関係が続いていて、東日本大震災の時にはチュニジアからもツナ缶60,000個を含む支援物資と救援金が届いた他、在日本チュニジア大使館が主催した被災地域でのボランティア活動も行われました。

日本人はチュニジアとの外交取極によって、パスポートの有効期間が3ヶ月以上ある場合にはビザが不要となっています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにカルタゴ遺跡に興味を持って頂けたなら幸いです。

北アフリカは日本から遠く想像がつかない場所のような印象もありますが、チュニジアは歴史的にもヨーロッパとの関係が深いです。

イスラム国家ではありますがイスラム主義政党や、公共の場でのスカーフの着用は禁止されているなど穏健な政策をとっており、またビザも不要なことから日本人が比較的訪れやすい国でもあります。

現在、日本からの直通便は運行していない為、ヨーロッパまたは中東を経由しての渡航となりますが、カルタゴ、ローマ時代からの遺跡意外にも、その長旅をするだけの価値のある観光スポットが数多くあります。

次回の旅行先がまだお決まりで内容でしたら、是非チュニジアへのご旅行もご検討下さい!