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チェコの世界遺産!チェスキー・クルムロフ歴史地区とは?

 

今回ご紹介するのは世界遺産、チェコの「チェスキー・クルムロフ歴史地区」です。

皆さんはチェスキー・クルムロフ歴史地区についてご存じでしょうか。

チェスキー・クルムロフはチェコ共和国の南西部、オーストリアとドイツの国境に近い位置にある町の名前です。

この町の名前の「チェスキー」とはチェック語で「ボヘミアの」を意味する単語で、チェコ共和国にあるもう1つのクルムロフ、モラヴスキー・クルムロフと区別する為にこのような名前になっています。

そんなチェスキー・クルムロフ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

チェスキー・クルムロフの歴史

「ボヘミアのシエナ」とも言われているチェスキークルムロフはチェコで最も美しい町の一つとも言われています。

S字形に蛇行するブルタヴァ川沿いに町が造られたのは13世紀後半の事でした。

その後、14世紀の初頭にはチェスキー・クルムロフは有力なボヘミア貴族だったロジュンベルク家の領地となりました。

これ以降、チェスキー・クルムロフでは手工業と交易によって町が栄えていきます。

ロジュンベルク家はチェスキー・クルムロフを統治した300年間で、当時流行の様式であったルネッサンス式の建物が数多く建設し、チェスキー・クルムロフ城を増改築してプラハ城に匹敵する程の豪勢な城にしました。

ロジュンベルク家がチェスキー・クルムロフを統治していた時代に、聖ヴィオス教会や聖ジョルジュ教会が建設された他、病院なども建設されました。

ボヘミアでは大きな力を持った貴族であったロジュンベルク家でしたが、その華麗な暮らしぶりを維持するには莫大な費用がかかったため、やがてその財政は破綻してしまいます。

破綻直前まで豪華な建築物を建設し、錬金術に莫大な財産を投じたロジュンベルク家は破産し、チェスキー・クルムロフは西暦1601年に神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世に買い取られ、神聖ローマ帝国領になりました。

西暦1622年、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世は三十年戦争で多大な功績のあったエッゲンベルク家をチェスキー・クルムロフの領主に封じました。

エッゲンベルク家の統治下ではバロック式の新しい建物が建設されました。

西暦1648年にチェスキー・クルムロフは一時期スウェーデン軍に占拠され、大きな被害が出ました。

エッゲンベルク家が断絶すると、西暦1719年にボヘミア貴族のシュヴァルツェンベルク家がチェスキー・クルムロフを相続しました。

チェスキー・クルムロフの領主となったシュヴァルツェンベルク家によってクルムロフ城はバロック様式を用いて増改築されます。

この時代にバロック式の城内劇場も建設されました。

19世紀以降は町の成長は停滞し、これ以降重要な建築などは造られていません。

これ以前にはチェコ系住民とドイツ系住民の間に民族的な争いはありませんでしたが、チェコスロヴァキア共和国が成立すると両者の間には溝が出来てしまいました。

後にナチスドイツはチェコスロヴァキアのドイツ系住民(ズデーテンドイツ人)の保護という名目でチェコスロヴァキアに侵攻し、最終的にチェコスロヴァキアを併合してしまいます。

その後西暦1945年にアメリカ軍を主体とした連合国軍によってチェスキー・クルムロフが解放されるとドイツ系住民はドイツ国内へと去って行きました。

代表的建造物

ブディヨヴィツェ門

ブディヨヴィツェ門はチェスキー・クルムロフ旧市街の北側にある門です。

レンガ造りのこの門は黄色い外壁が特徴となっています。

北からの橋を渡り、この門をくぐるとチェスキー・クルムロフ旧市街が広がっているため、まるで魔法の門のような印象を受けます。

旧市街側からこの門を見ると、門上部に4つの小さな窓があって、上2つの窓の間に描かれている半円状の帯がまるでニヤっと笑っている口元のように見えるのもユーモラスです。

クルムロフ城

城下町に対して不釣り合いに大きい城はチェスキー・クルムロフ城です。

この城は歴代のチェスキー・クルムロフの領主がプラハ城に対抗して増改築を繰り返した為に、このように巨大な城となったと伝わっています。

チェスキー・クルムロフの町並みと同じように、クルムロフ城の外壁にもだまし絵の装飾が施されています。

外壁に聖人像の絵が描いてあったり、花柄の装飾の絵が描いてあったりして、遠目に見るとあたかもそこに彫刻が置かれているように見えますが、近づいてみると平らな壁面に絵が描かれているのがわかります。

町のどこからでも見える、クルムロフ城の塔には、上部の回廊部分まで登ることができます。

チェスキー・クルムロフは小さな町で、視界を遮るような高い建物も全くないため、ここからは360℃の大パノラマを楽しむことが出来ます。

おそらくかつての領主もこの塔の上から町の様子を見たり、遠くの景色を眺めたりして過ごしていたことでしょう。

クルムロフ城は高い塔も持っていますが、実は地下室も持っています。

洞窟ギャラリーとして公開されている城の地下室は、西暦1394年にはロジュンベルク家によって当時のチェコ国王ヴァーツラフ4世が幽閉されていたそうです。

18世紀に当時流行のバロック様式で建設された城内劇場では現在でも音楽や演劇に使用されています。

毎年7月の初めには、城内劇場を利用した室内音楽のイベントも行われています。

第4の中庭と第5の中庭の間に架かる橋はブラーシュティ橋と言います。

三層アーチ構造の橋でこの橋の上の通路から旧市街をバックに記念撮影をする形も多く、観光スポットの1つにもなっています。

聖ヴィート教会

チェスキー・クルムロフの町の南東に位置する教会で、尖塔が目印となっています。

この教会は西暦1309年に建設されました。

この最初の教会はごく小規模なもので、その後15世紀の中頃に増築され、現在と同程度の規模のゴシック式の教会が建設されました。

19世紀に大規模な改修工事が行われ、現在の建物となりました。

夜になってライトアップされた教会は非常に美しく、ブルタヴァ川の水面に映し出された教会の姿を見ながら川添いを散策する人々も多いです。

この教会は18世紀のパイプオルガンと聖母マリアと聖ヴィートのフラスコ画が有名です。

お役立ち情報

こちらではチェスキー・クルムロフ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

観光シーズン

チェスキー・クルムロフ観光は、夏がハイシーズンとなっています。

冬のライトアップは非常に美しく幻想的なのですが、城内や塔が閉鎖されてしまう為、多くの観光客は夏に訪れるのです。

ホットワイン

冬にチェスキー・クルムロフを訪れたのでしたら、是非ホットワインをお楽しみ下さい。

これはチェコ共和国で広く飲まれている飲み物で、赤ワインにシナモンと砂糖を加えて加熱した飲み物です。

レモンやオレンジのような柑橘類やリンゴを加えることもあります。

チェコは年間の国民一人当りビール消費量が世界一の国ですが、冬のホットワインはビールと同じくらい人気があります。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにチェスキー・クルムロフ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

チェスキー・クルムロフは日本では知る人ぞ知る観光地といった感じで、非常に知名度が低い場所ですが、年間100万人を超える観光客が訪れる人気のスポットです。

町中のレストランでは、日本語のメニューが置いてあるお店もあります。

観光地ですので英語も通じますし、田舎ですので治安も悪くありません。

チェコは物価も安く、大人2人でレストランに入って食事をしても2000円程度でお釣りが出る事が多いです。

次回のご旅行先がまだお決まりでないようでしたら、是非チェスキー・クルムロフへのご旅行もご検討下さい!