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スロバキアの世界遺産!レヴォチャ歴史地区の魅力をクローズアップ!

今回ご紹介するのは世界遺産、スロバキアの「レヴォチャ歴史地区、スピシュスキー城及びその関連する文化財」です。
※以下、文中ではレヴォチャ歴史地区と記載します。

皆さんはレヴォチャ歴史地区についてご存じでしょうか。
レヴォチャ歴史地区はスロバキア共和国の東部、プレショウ県というところにある、人口15000人程度の小さな町です。

この町が世界遺産に選ばれた理由の1つは、中世の建築物が数多く残されていて、東ヨーロッパにおける中世の集落の様子を知ることができるというものがあります。

そんなスロバキアの世界遺産、レヴォチャ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

レヴォチャの歴史

現在のレヴォチャの地域には、石器時代から人間が生活していたことがわかっていますが、歴史にその名前が記されるのは、11世紀頃の事となります。

11世紀頃、ハンガリー王国軍によってこの一帯が領国に組み込まれた事で初めて歴史にその名前が登場したのでした。
当時の町の名前はレヴォチャではなく、レウチャと記されています。

西暦1241年から翌1242年にかけてのモンゴル族のヨーロッパ侵攻の際には、レヴォチャも大きな被害が受けましたが、ポーランド方面とハンガリー方面を結ぶ南北交易路と、ウィーン方面とキエフ方面を結ぶ東西交易路の交差点となっていたレヴォチャはその後大きく発展していきます。

西暦1317年にレヴォチャはハンガリー王立都市となり町には多くの職人や商人、鉱山労働者達が移り住んできました。
15世紀までには東スロバキアで最も裕福な町となっていたそうです。

交易拠点となっただけではなく、鉱山から取れる鉄や銅、周辺の森で捕らえた動物の毛皮やワインなど、レヴォチャ産の商品の輸出から上がる利益もあり、大いに町は栄えました。

この頃のレヴォチャは大変豊かで、いくつもの教会、学校、図書館、病院などが建設されましたが16世紀に起こった2回の大きな火災によって、失われたものも多くありました。

宗教改革の時代には、レヴォチャはプロテスタント派の拠点となった為、カトリックを奉じるハプスブルク家に対する反乱が起こり、それをきっかけに町は衰退していきました。

西暦1871年に建設されたコシツェ – ボーメン鉄道の駅がレヴォチャに作られなかった事で、レヴォチャの経済事情はさらに悪化しました。

第一次世界大戦で敗れたハンガリーは連合国とトリアノン条約を結び、王国は解体され、領土の大半を失ってしまいます。
この時に北部ハンガリーであったスロバキアもチェコスロバキア共和国に編入された為、レヴォチャもチェコスロバキア共和国領になりました。

第二次世界大戦ではチェコスロバキアはナチスドイツに占領された為、レヴォチャもその占領下におかれました。
これは西暦1945年1月27日にソビエト連邦軍によって町が奪還されるまで続きます。

現在のレヴォチャは小さな町で、大きな事件はなかなか起こりません。
そんなレヴォチャでしたが、西暦1995年に20世紀最後のローマ法王、ヨハネ=パウロ2世が町を訪れた時には、65万人もの人々が集まったそうです。

代表的建造物

スピシュスキー城

スピシュスキー城はタタール人の侵攻からスロバキア地方を防衛する為に、13世紀前半に建設されました。

建設当初はロマネスク式の城塞だったが、後世、何世代にもわたって増改築が行われた結果、ロマネスク式に加え、バロック式、ルネッサンス式、ゴシック式の城郭が混ざる混合様式と城塞になりました。

西暦1780年の火事の後はこの城は放棄され、一時期は廃墟となっていましたが、第二次世界大戦後の西暦1961年にチェコスロバキアの国家文化財に認定されました。

レヴォチャ中心部から東に約20キロメートルほどの場所にあります。

真偽は定かではありませんが、この城の様子や、城からの風景がジブリアニメの「天空の城ラピュタ」の雰囲気と似ていることから、モデルとなったのではないかとも言われています。

スピシュスケー・ポドフラジエ

スピシュスキー城の城下町として16世紀中頃まで栄えていた町です。

スピシュスキー城から見ると、ちょうど道を下りていった麓にある町で、ロマネスク式の聖堂が残されています。

また、16世紀の火事で多くの建物が焼け落ちましたが、このときにルネッサンス式の建築用法で再建された建物が数多く残されていることでも有名です。

スピシュスカー・カピトゥラ

スピシュスカ-・カピトゥラは現在ではスピシュスケー・ポドフラジエと1つの町となっていますが、元々スピシュスケー・ポドフラジエは一般市民が住む町だったのに対し、スピシュスカ-・カピトゥラは聖職者やスピシュスキー城の城主が住む町だったことで知られています。

ここには2本の尖塔と高い城壁を持つ聖マルティヌス大聖堂があります。

この大聖堂もスピシュスキー城と同じく、当初はロマネスク式の大聖堂でしたが、後世の増改築によって様々な建築様式が入り交じった建物となっています。

この大聖堂はスピシュ地方の司教座が置かれていたことから、現在でも宗教的に重要な施設となっています。

ジェフラ

スピシュスキー城を破産でスピシュスケー・ポドフラジエと反対側にあるジェフラは、スピシュ地方のスロバキア人集落として最古の集落と言われています。

ここには13世紀に建設された聖霊聖堂が残っており、その修復工事中に見つかったフレスコ画とともに、教会美術として非常に見どころのあるものとなっています。

彫刻家パヴォルの作品

歴史的建造物と並んで世界遺産に登録されているのは、この地方出身の彫刻家パヴォルの作品群です。

レヴォチャの聖ヤコブ大聖堂にはパヴォルの代表的作品の1つである木造の祭壇が残されています。
聖ヤコブ大聖堂はスロバキア国内でも1、2を争う大規模な聖堂で、このパヴォル昨の木造祭壇以外の装飾も美しい大聖堂です。

その白い外壁からはまるで白鳥のような優美さを感じさせられます。

また、聖ヤコブ大聖堂のすぐ近くにはマイステル・パヴォルの家(スピシュ博物館)もあり、こちらでもパヴォルの作品を多くご覧頂けます。

役立つ情報&豆知識

こちらではレヴォチャ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

宿泊はぜひスピシュスケー・ポドフラジエで
スピシュスキー城は夜になるとライトアップされ、本当に幻想的な風景になります。

この姿を見るためには、レヴォチャではなく、スピシュスケー・ポドフラジエに宿泊した方がいいと思います。
この辺りは田舎なので、夜になるとあまりタクシーもいないため捕まえるのが大変な場合もあるからです。

スピシュスケー・ポドフラジエにはこのライトアップ目当ての観光客も多く、また田舎の為治安も良いほうですので、安心して夜景を楽しむ事ができます。
この幻想的な城の夜景を眺めながらのディナーなんて最高ですね。
※スピシュスキー城には冬期は入場できませんのでご注意を!

レヴォチャへのアクセス

主にバスになります。
首都プラチスラヴァから 7~8時間程度
プレショフから     2時間程度
ポプラドから      1時間程度

これらの町にも日本からの直通便はありませんので、レヴォチャ・スピシュ地方を訪れるには余裕を持った日程が必要となります。

しかし、レヴォチャは東ヨーロッパで一番保存状態の良い町とも言われており、十分その苦労に見合うだけの価値がある町です。

最後に

いかがでしたか。
これをきっかけに世界遺産レヴォチャ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

日本にいるとなかなか接点のないスロバキアですが、ハンガリー王国領としての歴史は長く、またポーランドやロシア方面への出入り口でもあった為に文化交流も盛んです。

ヨーロッパの他の地域と違い、長い戦争を経験することも少なかった為、レヴォチャほどではありませんが、保存状態の良い古い建物が残されている町が他にもあります。

自然も多く残されており、国土の3分の1以上が森と言われています。
スロバキアの食料自給率は100%を超えており、食の豊かさがここからも覗い知ることができます。

伝統的なスロバキア料理は、パプリカとニンニクとジャガイモを多く使うほか、森が多いせいなのか、きのこもふんだんに使われていて、日本人の口にも合いやすい味になっています。

地理的条件から短期での旅行は難しいスロバキアですが、もし長期休暇などで東ヨーロッパへのご旅行をお考えでしたら、ぜひスロバキアへの日程もご検討下さい。