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スペインの世界遺産!サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)」です。

皆さんはサンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)についてご存じでしょうか。

サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペイン北西部の大西洋に近い町で、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教の三大巡礼地の1つです。

また、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路自体も別件でユネスコ世界遺産に登録されています。

そんなサンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

サンティアゴ・デ・コンポステーラとその歴史

サンティアゴ・デ・コンポステーラは9世紀にキリスト十二使徒の一人である聖ヤコブの遺体が発見されたことによってキリスト教の三大巡礼地となりました。

町の名前の「サンティアゴ」とはスペイン語で「聖ヤコブ」という意味です。

聖ヤコブは聖ヨハネと兄弟で初期からイエス・キリストに従った十二使徒の一人です。

マルコによる福音書によれば、兄弟二人はガリラヤ湖畔で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、そのまま家族を残してヨハネと共に弟子になったとされています。

イエスがゴルゴダの丘で処刑された後、聖ヤコブはイスパニア(イベリア半島)でキリスト教の伝道を行い、エルサレムに戻った時にユダヤの王ヘロデ・アグリッパ1世によって処刑されました。

聖ヤコブが処刑された後、遺体を引き取った弟子は聖ヤコブの遺体を船に乗せ、あてもなく海をさまよった末にサンティアゴにたどり着き、この地にヤコブを埋葬したと伝わっています。

1世紀後半に埋葬された聖ヤコブの墓が発見されたのは9世紀のことで、隠者ペラギウスが星に導かれてサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れて発見したとされています。

発見した遺骨を祀るための納骨堂が建てられ、そこに教会が作られたことがサンティアゴ・デ・コンポステーラの起源とされています。

この町の名前、「サンティアゴ」というのは聖ヤコブという意味で、「デ・コンポステーラ」というのは「良い場所」という意味の言葉です。

つまり、サンティアゴ・デ・コンポステーラというのは聖ヤコブにとって良い場所という名前の町なのです。

中世のヨーロッパでは、現在では想像できないほどの熱意を持って多くの人々が巡礼を行っていました。

当時はテレビやビデオなどといったものは一切ないため、イエス、マリアや聖人の遺品である聖遺物を直接目にするための巡礼は非常に人気があり、ヨーロッパ各地に聖遺物を収めた大聖堂がありました。

そのような巡礼地でもサンティアゴ・デ・コンポステーラは別格で、ヨーロッパではバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ重要な巡礼地とみなされていました。

聖ヤコブの墓が発見された当時の9世紀は、まだイベリア半島の大半はウマイヤ朝などのイスラム教国によって統治されていたこともサンティアゴ・デ・コンポステーラが重要な巡礼地とされた要因の1つかもしれません。

遠い道のりを経て、異教徒に襲撃される危険もある巡礼路を行くことが神に対する信仰心の証の1つとなっていたのです。

現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラは人口10万人ほどの大きな町で、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学はスペインの名門大学の1つです。

この大学は非常に大きな大学で、3万人近い学生がここで学んでいます。

代表的建造物

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

観光客、巡礼者のほとんどは他の旧市街の建物よりも、まずはサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を訪れます。

巡礼路の終点でもあるこの大聖堂は西暦1075年に建設が開始されました。

もともとは西暦814年に、隠者ペラギウスに導かれた司教テオドミーロによって聖ヤコブの墓が発見され、納骨堂と教会が建設された事がこの大聖堂のはじまりです。

建設を命じたのは「ヒスパニア皇帝」の異名を持つ、レオン王アルフォンソ6世で、完成したのは1211年の事でした。

アルフォンソ6世はカスティーリャ王としてはアルフォンソ1世と記述されることもあります。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の建設を命じたアルフォンソ6世でしたが、敬虔なカトリック教徒かというとそうでもなく、聖職者叙任権闘争を通じて神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世にカノッサの屈辱と呼ばれる謝罪を行わせたことで有名な、ローマ教皇グレゴリウス7世が、イベリア半島の全世俗諸侯に対して行った臣従と徴税の要求を拒否し、西ゴート王国の直径子孫としてヒスパニア皇帝を名乗ったのでした。

その後もローマ教皇に対しては一定の距離を置き、レコンキスタ(国土回復運動)に対しても消極的で、逆にイスラム教徒の王国であるタイファ諸国からはパリアと呼ばれる貢納金を受け取り、融和政策に努めていました。

この頃のイベリア半島ではキリスト教徒とイスラム教徒の間で一定の協定が結ばれたり、雇われたりすることが珍しくなかったので、アルフォンソ6世としては闇雲にイスラム教徒を全面的に排除する気はなかったのではなないかと言われています。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂はもともとロマネスク式の大聖堂ですが、長年に渉って増改築が行われたため、現在の大聖堂はロマネスク式、ゴシック式、バロック式、ネオクラシック式が混在する、非常にユニークな大聖堂となっています。

オブラドイロ広場

旧市街の中心地に位置するオブラドイロ広場はスペインのガリシア州では最大の広さを持つ広場です。

この広場の周りには数多くの歴史的建造物が建っています。

それぞれがサンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街を代表する有名な建物です。

広場の東側には最も重要な建物であるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が聳えています。

広場の西側、大聖堂の反対側にはラショイ宮殿があります。

この宮殿はもともとキリスト教の神学校として建設されました。

左右対称のネオクラシック式のこの建物は、現在では自治体の庁舎として使用されています。

広場の北側には現在はパラドール(国営ホテル)となっている旧王立病院があります。

この建物はもともとサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れる巡礼者のための病院と旅館を兼ねた施設でした。

現在はパラドールとなっていますが、宿泊客以外でも有料で内部を見学することができます。

お役立ち情報

こちらではサンティアゴ・デ・コンポステーラ観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

聖ヤコブ祭

7月25日の聖ヤコブの日はサンティアゴ・デ・コンポステーラにとって一年で最も重要な日です。

聖ヤコブはサンティアゴ・デ・コンポステーラだけでなくスペインの守護聖人でもあります。

毎年7月15日から7月30日には聖ヤコブ祭が開催され、市内はお祭りムードになります。

野外コンサートや夜のプロジェクションマッピングなどが行われ、また伝統衣装に身を包んだ人々の姿も数多く見られます。

7月25日にはスペイン国王が列席するミサも行われ、多くの人々で賑わいます。

7月25日が日曜日に当たる年は聖年と言われ、聖年の聖ヤコブの日には、大聖堂の聖門が開かれ、この日に主祭壇の聖ヤコブ像に抱きついて門を出ると罪が許されるという伝説があるため、聖年の7月25日には例年よりも多くの人々が集まります。

この聖年は6年、5年、6年、11年・・・というサイクルがあり、次回の聖年は2021年となっています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにサンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)に興味を持って頂けたなら幸いです。

三大巡礼地といっても、エルサレムとバチカンはわかるけど、サンティアゴ・デ・コンポステーラは初めて聞いたという方も多いかと思います。

日本ではキリスト教人口が少ないこともあり、知名度の低いサンティアゴ・デ・コンポステーラですが、欧米、特にヨーロッパでは非常に人気のある巡礼地です。

夏にヨーロッパを旅した方の中には聖ヤコブのシンボルの帆立貝を背負い、杖を持って歩く人の姿を見た方も多いのではないでしょうか。

何日も、何ヶ月もかけて人々がたどり着く先が、ここサンティアゴ・デ・コンポステーラなのです。

次回のご旅行先がお決まりでないようでしたら、是非サンティアゴ・デ・コンポステーラへのご旅行もご検討下さい!