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スペインの世界遺産!オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群へ行こう!

今回ご紹介するのは世界遺産、スペインの「オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群」です。

皆さんはオビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群についてご存じでしょうか。

オビエドはスペイン北西部の町の名前で、7世紀に建国されたアストゥリアス王国の王宮が置かれていた町です。

アストゥリアス王国はやがてレオン王国、カスティーリャ王国となり、現在のスペイン王国まで繋がっています。

イベリア半島のレコンキスタ(国土回復運動)はここから始まったという方もいて、スペインのルーツとも言える町なのです。

そんなオビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の歴史

西暦711年、イベリア半島にあった西ゴート王国が滅ぼされ、イスラム教徒のムーア人によるイベリア半島征服が完了しました。

しかし、イベリア半島北部のアストゥリアス地方は中央部や南部と比べると貧しく、人口も少ないためムーア人達はこの地域については完全に征服しませんでした。

西暦718年に滅亡した西ゴート王国の貴族だったペラーヨがイベリア半島北西部でムーア人に対して立ち上がります。

ペラーヨが建国したアストゥリアス王国は西暦722年にはコバドンガの戦いでウマイヤ朝の軍隊に勝利して、カンガス・デ・オニスを首都としました。

一方、このころにはオビエドは無人の荒野で住む者は誰もいませんでした。

ムーア人が統治にこだわらなかった理由でもありますが、このころのアストゥリアス地方は人口も少なかったのです。

オビエドの町を大きく発展させたアストゥリアス王アルフォンソ2世は西暦760年にオビエドで生まれました。

アルフォンソ2世の時代に聖ヤコブの墓が見つかり、サンティアゴ・デ・コンポステーラが聖地とされると巡礼路の確保のために各地に修道院や教会が整備されました。

またアルフォンソ2世は生まれ育ったオビエドに首都を移しました。

9世紀頃には世界遺産に登録されている教会が建設され、数多くの人々が巡礼の中継地としてオビエドに滞在しました。

現在の私達から見ると華麗でもなく荘厳でもない古い教会のように見えますが、当時としては最先端の建築様式で、またアストゥリアス地方は貧しい地方だったため当時としては大きな建物でした。

巡礼に向かう人々にとっては、これらプレ・ロマネスク式の教会の存在は大変ありがたいものだったそうです。

西暦914年に首都がレオンに移転するまでの間、オビエドには数多くの教会や修道院が建設されました。

レオンに首都が移ったあとはアストゥリアス王国ではなくレオン王国と呼ばれるようになりますが、オビエドの町はアルフォンソ2世が発見したサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にあたっていたため、順調に発展しました。

世界遺産を構成している教会の一部は近代以降の戦争や内紛によって破損したものもありますが、現存するスペインのプレ・ロマネスク式建築の教会としては最高の保存状態となっています。

代表的建造物

サン・ミゲル・デ・リーリョ教会

サン・ミゲル・デ・リーリョ教会は西暦842年にアストゥリアス王ラミーロ1世によって建設されました。

プレ・ロマネスク式の古い教会は、後の教会のような華やかさや目を引くような装飾はあまりありませんが、イスラム教との宗教戦争を繰り広げていた当時は、多くのキリスト教徒の心の拠り所となっていました。

この教会はオビエドの北にあるナランコ山に作られていて、森の中にひっそりと佇んでいる姿はとても印象的です。

ナランコにあるもう1つの教会、サンタ・マリーア・デル・ナランコ教会が長方形でスッキリしている印象なのに対して、サン・ミゲル・デ・リーリョ教会の方はずんぐりむっくりした印象です。

サンタ・マリーア・デル・ナランコ教会よりも奥にあり、周囲があまり開けていないため、より神秘的な雰囲気を醸し出しています。

サンタ・マリーア・デル・ナランコ教会

オビエドの北にあるナランコ山に作られた、もう1つの教会がサンタ・マリーア・デル・ナランコ教会です。

西暦848年にアストゥリアス王ラミロー1世によって離宮の一部として作られたこの教会は、10世紀から11世紀にかけては離宮ではなく教会として利用されました。

この教会もサン・ミゲル・デ・リーリョ教会などと同じく、プレ・ロマネスク式の教会で、外観は単調な印象を与えられます。

縦20メートル、横10メートルの長方形の建物のファサードには上中下の3層のアーチが施されています。

建物内部は2階建てになっていますが、下の階から直接上の階に移動することはできません。

下の階には浴室として使われていたとみられる小部屋があります。

上の階ではバルコニーに出てオビエドの町を一望することができます。

サンタ・クリスティナ・デ・レーナ教会

西暦852年に建てられた教会で、サンタ・マリーア・デル・ナランコ教会と同じくアストゥリアス王ラミロー1世によって建設されました。

この教会を上から見ると十字架の形をしていますが、縦長のラテン十字架ではなく、縦横の長さが均等のギリシャ十字架の形をしているのが特徴です。

一般的にはこの時代のアストゥリアスのプレ・ロマネスク建築ではギリシャ十字は用いられていません。

カマラ・サンタ・デ・オビエド

9世紀にアストゥリアス王アルフォンソ2世が王宮の礼拝堂として建設したこの建物は、現在ではサン・サルバドル大聖堂の一部となっています。

世界遺産を構成している他の建築物同様プレ・ロマネスク様式で建設されましたが、その後12世紀頃ロマネスク様式で改装されました。

現在の建物は、西暦1934年に爆破された後、再建されたものです。

もともと聖遺物やその他の宝物を保管するために使われており、現在でもクルス・デ・ビクトリア(勝利の十字架)などの宝物が展示されています。

サン・フリアン・デ・ロス・プラードス教会

9世紀頃にアストゥリアス王アルフォンソ2世によって建設された教会です。

スペインに残るプレ・ロマネスク式の建造物としては最も大きいこの教会は、他のプレ・ロマネスク式の教会と比較すると洗練された印象の外観を持っています。

建物の上部には鐘楼と十字架があり、建物内部の壁と天井はフレスコ画で飾られています。

フォンカラーダの泉

フォンカラーダの泉はアルフォンソ3世によって建設されたオビエドの町の水汲み場です。

この泉もまたプレ・ロマネスク様式で作られていて、近代以降まで使用されていた唯一のものとなります。

僅かではありますが現在でも水が流れ出しているのを見ることが出来ます。

お役立ち情報

こちらではオビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

名物料理

オビエドの名物料理は、白いんげん豆とチョリソー(辛味ソーセージ)、モルシージャ(豚の血が入ったソーセージ)、ベーコンをニンニク、ローリエ、オリーブオイルを加えて煮込んだ「ファバダ」という料理です。

オビエドだけでなくアストゥリアス地方では広く食べられている料理で、どこのレストランでも注文することができます。

シードラ

英語ではサイダー、フランス語ではシードルと言います。

りんごからつくったお酒で、オビエドのレストランでは飲み放題のところが多いです。

そのまま飲んだのでは強すぎるので、ボトルを頭よりも上の位置から傾けて空気と混ぜて注ぐのがオビエド式の注ぎ方です。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにオビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群に興味を持って頂けたなら幸いです。

オビエドやアストゥリアス王国と聞いても、どこにあるのか全くわからないという方が多いと思います。

アストゥリアス王国自体は聞いた事があったとしても、町の名前までわかる方はいないのではないでしょうか。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の途中の町、と言った方がわかりやすいかもしれませんね。

観光目的の場合でもオビエド単体ではなくサンティアゴ・デ・コンポステーラとセットで訪れる方が多いです。

日本では知名度の低いオビエドですが、世界遺産を構成しているアストゥリアス王国時代の教会群は、見た目の単調さとは裏腹に、非常に神秘的な雰囲気を醸し出していて、訪れる価値は十分にあります。

次回のご旅行先がお決まりでないようでしたら、是非オビエドへのご訪問もご検討下さい!