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スイスの世界遺産!ラ・ショー・ド・フォンとル・ロクル、時計製造の町についてまとめてみた!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、スイスの「ラ・ショー・ド・フォンとル・ロクル、時計製造の町」です。

皆さんはラ・ショー・ド・フォンとル・ロクル、時計製造の町についてご存じでしょうか。

ラ・ショー・ド・フォンとル・ロクルはスイスのフランス国境地帯の町で、時計の製造が盛んなことでその名を知られています。

この2つの町は隣り合っていて、時計製造業を基軸とした都市計画が行われたことでも有名です。

最盛期には世界で生産される時の半数以上がこのラ・ショー・ド・フォンとル・ロクルで製造されていました。

そんなラ・ショー・ド・フォンとル・ロクル、時計製造の町の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

スイスの時計製造業について

現在では世界一とも言われているスイスの時計製造業ですが、当初から時計製造の本場だったわけではありません。

もともと時計の製造はフランスやドイツといったヨーロッパの先進国で行われていました。

特にフランスの時計製造業は最も優れていたと言われています。

しかし西暦1562年から西暦1598年にかけて発生したプロテスタントとカトリックの宗教闘争「ユグノー戦争」によって、ユグノーは弾圧され、国外へ追放されます。

フランスの時計職人にはユグノーが多かったため、この事件をきっかけにフランスの時計製造業は衰退してしまいました。

またドイツでも西暦1618年から西暦1648年にかけて三十年戦争と呼ばれるプロテスタントとカトリックの宗教戦争が発生します。

三十年戦争は複数の国家を巻き込んだ非常に激しい戦争だったので、ドイツは全域にわたって荒廃し、産業が衰退してしまいました。

三十年戦争が勃発する前は、ドイツのニュルンベルクとアウグスブルクにあった時計工房は世界最高水準の時計を生産していましたが、戦争によって町が破壊され、時計職人が逃げ出してしまったため、その後は衰退の一途をたどりました。

フランスを追放されたり、迫害を避けて逃げ出したユグノーはカトリック教会ではないイングランドや、カルヴァン派の本拠地であるスイス、新教徒を受け入れていたドイツの自由都市などに向かいました。

このうち、ドイツに向かったユグノーの一部は逃げた先で三十年戦争に巻き込まれ、再び安楽の地を求めて避難することになります。

結局、新教徒の多くの職人達はスイスやイングランドに避難する人々が多かったそうです。

スイスに逃げた人々はジュネーブ近郊の他、ジュラ山脈の麓のル・ロクルやラ・ショー・ド・フォンに逃げ込んだ人々も多く、これらの地で時計産業が興る余地はありましたが、スイスにはもともと腕のいい職人が数多く住んでいて、かれらはもっぱら宝飾品や豪華調度品などの作成に力を注いでいたため、時計のような実用品はあまり作成されていませんでした。

また、逃げ込んだユグノーの時計職人は奢侈に走るカトリック教会のあり方に批判的で、質実剛健をモットーとしていたため、宝飾時計を作る気が無く、当時のスイスは貧しい片田舎だったため、一般時計の需要が少なかったことから時計製造が本格的に行われるようになるには時間がかかりました。

17世紀には時計産業の本場はイングランドに移りました。

18世紀に入った頃、一般大衆の生活水準が向上し、一般時計の需要が旺盛になりました。

この頃になるとスイスのでも数多くの時計が作られるようになります。

この頃のスイスの時計生産の方法は、手工業者を時計部品ごとにまとめ、各部品を担当業者から集めた部品を組み立て専門の職人がチェックして組み立てるという体制を取っていました。

19世紀にはこのようなライン化されたシステムに加え、薄型化、軽量化などの実用性を向上させることや、それまで手作業で行っていた工程を機械化するなどの改善を行い、ヨーロッパ全体やイギリスに販売網を広げていきました。

この時代にはスイスは現在のように裕福な地域ではなく、職人に支払う賃金も安く抑えることができたため、価格競争力にも優れていました。

この価格競争力をもとに19世紀中盤にはスイスの時計産業は世界一の実力を持つようになりました。

しかし19世紀後半に開かれたフィラデルフィア世界博覧会で、より高度な機械化作業を取り入れたアメリカの時計産業に敗れたスイス時計産業は、アメリカ市場を失ってしまいました。

その後、アメリカと同じような機械化を採用したスイスは20世紀には再び世界一の時計産業を持つようになります。

20世紀中盤以降は時計の基本的な性能に改善の余地が無くなり、実用的な安い時計と、高級時計の二極化が進みましたが、その状況化でスイスの時計産業は高級時計路線を歩み、現在まで成功を続けています。

ラ・ショー・ド・フォンについて

ラ・ショー・ド・フォンはフランスとスイスの国境地帯にあるジュラ山脈の麓の町の名前です。

ユグノー戦争で故郷を追われたユグノーが数多く逃げ込んだのがこの町です。

現在ではスイス時計産業の中心的な町としてその名を知られており、世界的に有名な時計メーカーのタグ・ホイヤーやジラール・ペルコの本社がある町でもあります。

ル・ロクルについて

ル・ロクルはラ・ショー・ド・フォンに隣接する町で、やはりスイス時計産業の中心地の一つです。

西暦1679年に初めてこの町に持ち込まれたロンドン製の懐中時計が壊れたとき、手先が器用なことで有名だったジャンリシャールという人が修理を行いました。

ジャンリシャールは懐中時計を分解し、独学で時計製造が行えるようになるまでの知識と実力を身につけました。

時計職人となったジャンリシャールはル・ロクルに定住し、後継者の育成に力を注いだといわれています。

お役立ち情報

こちらではジュラ地方の時計産業中心地の観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

国際時計博物館

ラ・ショー・ド・フォンにあるこの博物館には、欧米だけでなく東洋の時計も含む約3000点の時計が展示されています。

この国際時計博物館はル・ロクルにあるル・ロクル時計博物館と相互補完的なコレクションとなっており、国際時計博物館のコレクションに少ない自動巻や振り子の時計はル・ロクル時計博物館が専門的に展示しています。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにラ・ショー・ド・フォンとル・ロクル、時計製造の町に興味を持って頂けたなら幸いです。

ラ・ショー・ド・フォンとル・ロクル、時計製造の町は産業遺産ということもあり、目を見張るような壮麗な建物や華麗な美術品、壮大な風景という性質の遺産ではありません。

しかし、長い年月をかけて世界の時計産業の最高峰にたどり着いたスイスの時計産業の歴史と、その膨大なコレクションを存分に楽しむ事ができるのはここだけです。

時計の根本的な技術が頭打ちとなり、需要のある時計の二極化が進んだとき、高級時計路線に進んだスイス製の時計は世界中で人気があります。

富裕層を中心に、美術品とも言える精巧なデザインのスイス製時計はコレクターも多く、1本持っているだけでも自慢できると言われるほどのステータスにもなっています。

スイスを訪れるのでしたら、少し趣向を変え、時計産業の町まで足を運んでみるのはいかがでしょうか。

普段高級時計に興味の無い方でも、きっと楽しんで頂けると思います。