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絵に描いたように美しい世界遺産の街!スイスが誇るベルン旧市街を歩いてみよう!

今回ご紹介するのは世界遺産、スイスの「ベルン旧市街」です。

ベルン市はチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼルに次ぐスイスで4番目に大きい町です。
大きいと言ってもスイスは小さい国ですのでベルンも人口150000人程度の規模となっています。

日本ではなかなか話題に出ることの少ないベルンですが、中世の街並みを残しつつも現代的な都市機能を持っている事で有名です。
そんなスイスの首都ベルンを、歴史を踏まえご紹介していこうと思います。

ベルンの歴史

「ヨーロッパの回廊」とも呼ばれているスイスの首都ベルンは、西暦1191年に、ツェーリンゲン公兼ブルグント総監のベルトルト5世によって建設されました。
同じ頃、フライブルクという町が建設され、チューリッヒ市街地の拡張、整備も行われました。

ツェーリンゲン公爵家は後には一時期オーストリア公爵も排出した名家ですが、この自体は神聖ローマ皇帝ロタール3世の代官職、ブルグント総監として旧ブルグント王国の領土だったスイスに勢力を伸ばしていました。

ブルグントという響きは耳慣れないかもしれませんが、フランス語風に言えばブルゴーニュとなります。

ベルトルト5世は、アーレ側に囲まれたニィデックという丘の上に町を作り、砦を築きました。
これがベルンの始まりです。

建設当初より砦にアーレ川と砦による高い防御力を持っていたベルンは、その後も市街が拡張する度に新しい城壁を作り順調に成長していくのです。

また、西暦1218年に相続人がいないままベルトルト5世が死亡した後、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって帝国自由都市となったのをきっかけに、周辺に市域、領土を拡大しました。

西暦1339年には領土拡大に反発した西スイス貴族層の集団、フライブルク同盟とベルンを中心としたスイス盟約者団の間に「ラウペンの戦い」が起こります。
フライブルク同盟軍にはサヴォイア辺境伯やブルゴーニュ公の支援を受けており、スイス盟約者団は苦戦を強いられたがこれを撃退しました。

この戦いの時に、スイス盟約者団は敵味方を識別するために、服に白い十時を縫い付けていて、これが現在のスイス国旗のルーツとなっているそうです。

フライブルク同盟との争いに勝利した後の西暦1353年には、現在のスイス連邦の元ともなった八邦同盟に傘下し、指導的な役割を果たします。

その後は西暦1415年にアールガウ地方に、西暦1536年にはローザンヌ地方に進出し、北アルプス最大の都市国家となりました。

スイスは元々目立った産業も無く、天然資源が豊富なわけでもなかった為、ツェーリンゲン家の断絶や、神聖ローマ帝国の大空位時代の影響によって混乱が生じた事や、ペストの大流行によって人口が減少するなどして小さな町は力を失っていたため、ベルンは瞬く間に勢力を伸ばすことが出来たのです。

そんなスイスでしたが政情も安定し、ペストの流行も収まると16世紀に入る頃からは人口が増大し、食糧不足に陥ります。
元々が牧畜を主体としていた為、収穫が多いわけでもなく、増えすぎた人口を支えられなくなってしまったのです。

食料が不足したスイスからは周辺諸国に傭兵として出稼ぎに出る者が現れます。
これがスイス傭兵です。

山岳で育ったためか足腰が強く、精強なスイス傭兵の需要は高く、職に困ることはありませんでした。
スイス傭兵の特徴的なところは、他の国での傭兵というのは民間の契約がほとんどであるところ、スイスの場合には国家事業として傭兵の派遣を行っていました。

早くから発達したスイスの金融ネットワークも、元は傭兵の賃金支払いの必要から生まれたとも言われています。

西暦1798年にフランス革命が起こると、ベルンにもフランス兵が押し寄せます。
フランス総裁政府によってスイスにヘルヴェティア共和国の建国が宣言されますが、人心を得られず短命に終わります。

西暦1815年のウィーン会議において、スイスの独立と永世中立が宣言されました。
このウィーン会議の結果、スイスの諸邦は領土を失いましたがこの時確定した国境が現在の国境となっています。

西暦1848年には連邦制度が採択され、それまで数多くあった小国家が一つにまとまったスイス連邦が結成されました。
この時からベルンはスイス連邦の首都となっています。

20世紀には第一次世界大戦、第二次世界大戦を通して中立を維持していましたが、第二次世界大戦後はナチスドイツ寄りの姿勢を責められ、西暦1952年には連合国に中立違反を理由による賠償金を支払っています。

21世紀に入ると、西暦2002年に国民投票を経て国連に加盟しました。
西暦2004年にはシェンゲン協定にも加盟しましたが、EUには加盟していません。

永世中立国であるスイスは、EUには加盟しない方針であるそうです。
しかし、昔は国連にも加盟反対派が多数を占めていましたので、今後スイスがEU加盟を検討する日が来るかもしれません。

代表的建造物

ツィットグロッゲ(時計塔)

13世紀にベルン外壁の西門として建てられたスイス最古の時計塔です。
1530年にからくり式の天文時計がつけられました。

一目で月の位置、時間、曜日、黄道十二宮の星座がわかるようになっている時計と鐘は全て1つの動力で動いているそうです。
スイスは高級時計が有名ですが、こういった天文時計にそのルーツがあるのかもしれませんね。

毎時0分にはベルンのシンボルでもある熊の兵隊の仕掛けを見る事ができます。

ベルン大聖堂

12世紀頃に作られた教会の上に、西暦1421年に新たに作られたゴシック式の教会です。
正面扉のレリーフ「最後の審判」が有名で、大聖堂内部は無駄な装飾を控えた厳かな雰囲気になっています。

またここのパイプオルガンはパイプが5000本以上あり、素晴らしい音色だそうです。
大聖堂の尖塔は高さ約100メートルあり、尖塔の上からは旧市街を含むベルン市内を一望できます。

アーケード

ラウベンと呼ばれる石造りのアーケードは全長6キロメートルもあり、ヨーロッパ最大のショッピングアーケードとなっています。

アーケードと言っても日本で想像するような商店街のアーケードとは違い、道の両脇にあるアーチの中にお店が入っていて、雨の日でも濡れないで済むようになっています。

噴水群

ベルン市内に100箇所以上あると言われている噴水は、中央に立つ像に名前が付いていたりして非常にユニークなものになっています。
中でも16世紀に作られた11箇所の噴水は有名な観光スポットにもなっています。

「サムソンの噴水」、「アンナ・ザイラーの噴水」、「子供喰いの噴水」など、一つ一つがエピソードを持っていますので、調べながら噴水を巡るのも楽しい事でしょう。

役立つ情報&豆知識

こちらではベルン旧市街の観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

熊はベルンのシンボルで、紋章にも取り入れられています。
もともとは人間よりも熊が先に住んでいて、ベルン郊外には多くの熊が住む森があったそうです。
ベルンの名前も「熊」のベルンから来ています。

ベルン市ではこのエピソードを記念して、熊公園を運営し、観光スポットの一つになっています。

アインシュタインハウス

有名な物理学者、アインシュタインが相対性理論を発見した当時の家が残っています。
2005年からは一般公開されていて、家具など当時のままで展示されています。

ローゼンガルテン(薔薇公園)

200種類を超える薔薇が育てられている公園です。
ここからの景色はとても美しく、雰囲気の良い公園となっています。

薔薇公園というくらいなので薔薇園のような場所を想像していたのですが、そこまで薔薇は多くはありません。
でも、薔薇と同じくらい綺麗な景色を見ることが出来ますので、晴れていれば訪れたいスポットです。

最後に

いかがでしたか?

これをきっかけにベルンに興味を持って頂けたなら幸いです。

日本から見るとなんだか地味なベルンですが、スイスの歴史の中ではわりと活躍していた都市なのです。
美しいアルプスと、中世の街並みを楽しめる町、それが現在のベルンです。

ベルンに限ったことではありませんが、スイスは実はグルメ大国として有名です。
国民一人当りのミシュランの星の数は世界で一番多いそうです。

実際にフランス、ドイツ、イタリア、オーストリアなどから多くの料理を取り入れたスイスでは、さまざまな料理を楽しむ事ができます。

旅先の楽しみの一つに、その土地の食事をあげる方は多いと思います。
スイスにご旅行の際はぜひスイス料理もお召し上がり下さい。