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ジンバブウェの世界遺産!〜大ジンバブウェ国立記念物〜の実態とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、「大ジンバブウェ国立記念物」です。

皆さんは大ジンバブウェ国立記念物についてご存じでしょうか。

大ジンバブウェ国立記念物、別名をグレートジンバブウェ遺跡とも呼ばれているこの巨大な石造りの建物は、首都ハラレから約300キロメートル南にあるジンバブウェ高原にある遺跡です。

この遺跡はナイル川以南で最大の石造建築物となっており、旧約聖書に登場するシバの女王の国ではないかとも言われています。

国の名前もこの遺跡に由来していて、まさにジンバブウェを象徴する世界遺産といえるでしょう。

そんな大ジンバブウェ国立記念物の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

大ジンバブウェについて

この世界遺産の名称を見たとき、大ジンバブウェってなぜ「大」が付いているんだろう?

そう疑問に思う方がいらっしゃるかもしれませんね。

実は「ジンバブウェ」は、現地の言葉で支配者、権力者の住居を指す「石の家」という単語です。

そのため、ジンバブウェ国内で最大級のこの遺跡については「大」をつけて大ジンバブウェ国立記念物と呼んでいるのです。

最近ではこの遺跡を建設したショナ族の共同体自体を「大ジンバブウェ」と呼ぶようになっています。

この遺跡は非常に広大で東西約2キロメートル、南北約2キロメートルにも及ぶ範囲に巨石建造物が点在しています。

この遺跡は遅くとも紀元前2500年頃には建設され始めたとみられています。

一番最初に建設された集落は「アクロポリス」西側の集落です。

この頃には大ジンバブウェは大きな勢力ではなく、むしろより南で形成されたマブンギュエ王国という国の方が大きな力を持っていました。

この国は人口1.5万人から最大2万人程度の規模で、周辺地域も従えて大きな勢力となっていました。

西暦650年頃、大ジンバブウェでは多数の巨石建造物が建設され始めました。

この頃を境に大ジンバブウェとマブンギュエ王国の勢力図が塗り替わります。

マブンギュエ王国はリンポポ川の流域を根拠地としていたのですが、この頃悪天候によって十分な食料が得られない年が続いたことと、アラブ商人の交易路が北側のサビ川を利用したルートへと移ったことによって急激に衰えていきました。

変わってアラブ商人の交易ルート上にあった大ジンバブウェはこれをきっかけとして大きく栄えていくこととなります。

大ジンバブウェは金鉱山とインド洋のちょうど中間地点にあるというだけでなく、牧畜、農産に適していたこともあり、人口爆発ともいえる大成長を遂げました。

現在まで残っている遺跡の多くは西暦900年から950年頃に建設されたと見られています。

この頃には大ジンバブウェの人口は3.5万人から4万人に達していました。

大ジンバブウェは金細工と交易によって周辺国にその名を知られており、遺跡の発掘調査では鉄製の農具や食器類、また粗鉄、儀礼用に用いていた祭具類、金細工やガラス細工、また遠く東アジアの陶磁器なども発見されています。

発掘された遺留品のうち、銅製の十字はこの地域で通貨として利用されていたもので、鉄製の二股ゴングは王の神権を示す祭具です。

大ジンバブウェで作られたこれらの金属製品は遠く、西アフリカまでも伝わっていることが確認されており、大ジンバブウェがいかに強大な勢力を誇っていたかがわかります。

このようにわずか200年程度の間に急激に発展した大ジンバブウェでしたが、この人工爆発によって過密化、都市化が進むと燃料や建材の不足と土壌の疲弊が目立つようになりました。

都市化が進むことによって国力は増大したのですが、皮肉にもそれが大ジンバブウェの衰退のきっかけとなってしまったのです。

そしてかつてマブンギュエ王国に起こったことがここでも起きました。

アラブ商人の交易路がさらに北のザンブウェヂ川流域へと移ってしまったのです。

交易によって繁栄していた大ジンバブウェの国力はこれ以降衰退の一途をたどり、西暦1450年頃から西暦1500年頃にかけて人の住まない廃墟となったのです。

巨石建造物について

アクロポリス

遺跡の高台に位置している建造物はアクロポリスと呼ばれています。

ここでは歴代の王が執務を執っていたと考えられており、古代世界で最大の権力の象徴でもある、食料と武力を司る穀物庫と武器庫が備えられていたのではないかともいわれています。

この遺構は大きく東と西に分かれていて、西側からは青銅製の武具や金細工などが出土しています。

東側には鳥のような彫刻を施された石柱が立っていたことが判明しており、鳥を神聖な生き物としてみるショナ族の文化的背景から、大ジンバブウェの王は祭政一致の神権政治を執っていたと予想されています。

大囲壁

大囲壁は遺跡の中でも最も大型の遺構で、もともとはアクロポリスに住んでいた王が宗教的権威としての地位を捨て、ふもとに移り住んだ住居なのではないかと言われています。

また、別の説によればアクロポリスが王の宮殿で、こちらは神殿のような空間だったとされています。

また、この空間は有力者の子弟を教育するための学校のような役割を果たしていたのではないかという説もあり、実際にどういった目的の建物だったのかはまだ判明していません。

谷の遺跡

この遺構はアクロポリスから見て南側に500メートルほどの場所にあります。

王族の私的な宮殿だったのではないかと考えられていて、ここからの出土品には東アジアの陶磁器、西アジアのガラス器、銅、鉄、金などの金属製の装飾品、象牙や貝殻などの工芸品が見つかっています。

これらの工芸品が大量に発見されていることから、宝物庫の役割も果たしていたのではないかいう説もあります。

お役立ち情報

こちらでは大ジンバブウェ国立記念物観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

大ジンバブウェへのアクセス

日本からはドバイ経由でジンバブウェまで空路で訪れます。

首都ハラレからは約300キロメートルで、まずはバスにのりマシンゴという町を目指します。

ハラレからマシンゴまでは5時間で到着します。

さらにそこからミニバスに乗って30分ほどで大ジンバブウェホテルです。

ホテルから徒歩30分ほどで遺跡に到着します、歩くのが苦手な方はタクシーを使えば5分ほどで到着します。

タクシーを利用する場合は帰りの手配も忘れないようにしましょう。

広い遺跡を歩き回るのにも2、3時間はかかるかと思いますので、熱中症対策もしっかり行いたいところです。

旧約聖書とジンバブウェ

実はこの遺跡が発見された当初、ヨーロッパの探検家や学者は、これはショナ族が建設した遺跡ではなく、旧約聖書に登場するオフィール国の遺跡であると考えていました。

これにはいろいろな理由があるのですが、当時のヨーロッパは黒人に対する差別感が広く浸透しており、このような巨石建造物を黒人が作れるはずがないと考えていたのです。

そのため、ヨーロッパ人はこの遺跡は旧約聖書でソロモン大王が金と香木を手に入れたシバの女王の国、オフィール国であるとみなしたのです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけに大ジンバブウェ国立記念物に興味を持って頂けたなら幸いです。

大ジンバブウェ国立記念物はジンバブウェのコインのデザインにも採用されているほど、国全体に広く浸透しています。

国名もこの遺跡に由来していますし、まさにジンバブウェを代表する観光スポットと言えます。

この世界遺産では長い、悠久の歴史の流れと、かつてここに栄えた王国の繁栄を壮大な巨石建造物群を通して感じとることができるでしょう。

この世界遺産がジンバブウェでは一番有名な世界遺産ですが、ジンバブウェには他にも世界遺産がいくつかあります。

その中でも世界最大級の大瀑布、ヴィクトリアの大滝は見どころです。

せっかく遠路はるばる訪れるのですから、こちらも訪れた方が良いかと思います。

大自然の雄大さと、巨石建造物群の壮大さを肌で感じることは、なかなか日本ではできない貴重な体験かと思います。

次回のご旅行先がお決まりでないようでしたら、ジンバブウェへのご旅行はいかがでしょうか!