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ギリシャ正教最大の聖地!世界遺産アトス山へ行ってみよう!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ギリシャの「アトス山」です。

皆さんはアトス山についてご存じでしょうか。

アトス山はギリシャ正教の聖地とも言われている場所で、地理的にはギリシャの北西部、エーゲ海に突き出した半島にある山の名前です。

一般的にアトス山と言った場合には、山そのものではなくアトス山周辺にあるギリシャ正教の修道院共同体全体を指しています。

アトス山を中心としたギリシャ正教の修道院共同体は「アトス自治修道士共和国」といって、ギリシャの国内でありながら独自の法律を持つ宗教国家なのです。

そんなアトス山の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

アトス山の歴史

アトス山付近は険しい地形となっていて、古代に起こったペルシャ戦争ではアケメネス朝ペルシャの遠征軍が遭難したとも伝わっています。

現在でも当時と変わらず峻嶮な地域は、外界からのアクセスを遮断する役割も果たしており、アトス山に修道士が集まった理由の1つともなっています。

古代ギリシャの歴史書によると、アトス山にはいくつかの町があったと記載されています。

しかし、8世紀から9世紀頃にかけてギリシャ正教の修道士がこの地に移り住み始めた時にはすでに人の姿はなく、その険しい地形が原因で放棄されたとみられています。

いつごろからアトス山にキリスト教修道士が住み始めたかは明らかとなっていませんが、文献にアトス山のことが記されたのは9世紀以降のことです。

9世紀中盤までは修道士の共同体組織はなく、ばらばらに住んでいた修道士でしたが、西暦862年にテッサロニケの修道士、エフシミオスがアトス山の修道士の代表となって、このころから修道士の共同体が形成され始めました。

西暦870年にはアトス半島の付け根部分、イエリッソスに最初の修道院が建設されました。

西暦961年に東ローマ帝国皇帝の許可を得て、アトス山の麓にも修道院が作られました。

この時作られた修道院が、世界遺産にも含まれているメギスティ・ラヴラ修道院です。

メギスティ・ラヴラ修道院が先例となって、アトス山付近では数多くの修道院が作られるようになり、11世紀初頭には46の修道院が存在していました。

この頃の修道院はアトス半島の外に荘園を持ち、聖界領主のような存在でした。

西暦1204年には第四回十字軍が東ローマ帝国を攻略し、ラテン帝国を建国したことが原因で、アトス山の修道院は荘園を失ってしまいます。

その後、東ローマ帝国の再興に伴って荘園は返還されましたが、西暦1274年に東ローマ帝国皇帝ミカエル8世パレオロゴスが提唱した東西両教会統一に反対したため東ローマ帝国からの庇護を失い、西暦1305年には東ローマ帝国が雇ったイベリア傭兵がアトス山を襲撃し、略奪を行ったため修道院にも被害が出ました。

14世紀にはイスラム教勢力の1つであるオスマントルコ帝国がギリシャ、マケドニアに進出し、当初はオスマントルコ軍による略奪行為も横行していました。

この略奪行為はオスマントルコ帝国の統治が安定するとやがて行われなくなり、またオスマントルコ帝国のスルタンは宗教的には寛容な姿勢を示していたのですが、一部の修道士はムスリムであるオスマントルコのスルタンの支配を嫌い、メテオラなどに移り住みました。

東ローマ帝国の影響下から抜け出したアトス山には、東欧のキリスト教国家から寄進が行われるようになります。

西暦1382年からはアトス半島もオスマントルコ帝国の領土に組み込まれ、西暦1453年には千年続いた東ローマ帝国が滅亡しました。

オスマントルコ帝国のスルタンは、東ローマ帝国皇帝の継承者であることを自認し、キリスト教の保護者を名乗り、アトス山にも半島内の荘園の維持、宗教活動、自治を認めました。

東欧のキリスト教国家にはオスマントルコ帝国に臣従した国も数多くあり、このような経緯からオスマントルコ帝国の領土であった間にも、アトス山の信仰と修道院は守られていきます。

西暦1406年からは女人の入山を禁止し、男性だけが住むようになりました。

異教徒のオスマントルコ帝国の支配下でも安定していたアトス山修道院でしたが、西暦1923年、ギリシャとトルコの間に起こった希土戦争の講和条約であるローザンヌ条約によって、トルコの支配地域から移住してきたギリシャ系住民の居住地確保のため、ギリシャ政府によってアトス山修道院に土地が没収されます。

また第二次世界大戦中には侵攻してきたソヴィエト連邦軍によって弾圧され、壊滅的な被害が出ました。

共産主義の政権は一般的に宗教の存在を認めなかったため、アトス山は最大の危機を迎えたのです。

その後はヨーロッパ各地から支援を受けてアトス山修道院は再建され、現在はギリシャの国内法によってアトス山自治修道士共和国として存続しています。

アトス自治修道士共和国

アトス自治修道士共和国(Autonomous Monastic State of the Holy Mountain)はギリシャ国内の治外法権が認められた宗教国家です。

ギリシャ正教最大の聖地でもあるアトス山を中心として、各国正教会の修道院の共同体によって自治が行われています。

アトス自治修道士共和国の首都はカリエスという町で、教会組織上はギリシャ正教会ではなく、コンスタンティノープル総主教庁に属します。

これはコンスタンティノープル総主教庁は東方正教会で最上の格式を持つとされているためです。

アトス自治修道士共和国には現在も約2000人の修道士が修行生活を送っています。

代表的建造物

メギスティス・ラヴラ修道院

ギスティス・ラヴラ修道院はアトス山で最初に開かれた修道院です。

アトスのアサナシオスによって西暦961年に創建されたこの修道院がきっかけとなり、他の数多くの修道院が建設されました。

シモノス・ペトラ修道院

シモノス・ペトラ修道院はアトス山修道院の階級において第13位とされている修道院です。

アトス半島の南岸にあるこの修道院は巨大な岩の上に建てられています。

アトス半島の南側は特に峻嶮な地形が多いことでも有名で、この修道院の下も切り立った崖となっています。

聖パンテレイモン修道院

聖パンテレイモン修道院はロシア正教会の修道院です。

この修道院では主にロシア人修道士が共同生活を送っています。

もともと11世紀に同じ場所にギリシャ正教の修道院があり、西暦1765年に現在の聖パンテレイモン修道院が建設されました。

20世紀の初めには約1500人の修道士がいましたが、その後共産主義の弾圧を受けたこともあってその数は激減し、現在は35人の修道士がこの修道院で生活をしています。

お役立ち情報

こちらではアトス山観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

女人禁制

アトス山自治修道士共和国は、女人の入境を完全に禁止しています。

これはEUなどから性差別であると批判されてもいるのですが、西暦1406年から続く宗教的伝統ですので、すぐに変わることはないと思います。

その禁止範囲は徹底的で、人間の女性だけでなく動物の雌も禁止されています。

唯一の例外はねずみを捕まえるための雌猫と言われています。

残念ながら女性はこの世界遺産を直接訪れることはできません。

なんと女性を乗せている船も500メートル以内には近づけないそうです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアトス山に興味を持って頂けたなら幸いです。

アトス山はギリシャ正教最大の聖地で、たとえ男性であっても観光目的の入境には非常に長い手続きを経る必要があります。

観光目的ではなく、修道生活を目的として入山する場合には初心者または修道士として認定され、自動的にギリシャの市民権も付与されます。

いずれにしてもギリシャ入国後にギリシャ外務省宗教課の審査が必要で、申込から査証の交付まで早くとも1か月を必要とします。

そのため観光目的の場合にはクルーズ船で船の上から修道院や修道士の様子を眺めるのが一般的です。

現代の秘境ともいえるアトス自治修道士共和国へのアクセスは簡単ではありませんが、クルーズ船での見学でしたら難しくはありませんので、もし興味がおありでしたらテッサロニケ等の町から乗船することができます。

遠目から眺めるだけでも貴重な体験となるのではないかと思います。