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ギリシャの世界遺産!アテネのアクロポリスに迫る!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、ギリシャの「アテネのアクロポリス」です。

皆さんはアテネのアクロポリスについてご存じでしょうか。

アテネのアクロポリスはギリシャの首都アテネの小高い丘の上にある古代の遺跡を指します。

「アクロポリス」という言葉自体の意味が「小高い丘の上の町」という意味で、ギリシャには数多くのアクロポリスがあるのですが、単純に「アクロポリス」と言った場合にはこのアテネのアクロポリスを指す言葉となります。

パルテノン神殿と言った方がイメージの沸く方が多いのかもしれません。

そんなアテネのアクロポリスの魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

アテネのアクロポリスの歴史

最初期のアクロポリスは紀元前6世紀中盤に建設されました。

この時に建設されたのは、アテナイ(アテネの古名)の町の守護者でもある、戦女神アテナに捧げられた神殿と言われています。

後の紀元前6世紀後半に別の神殿が建設されると、初期の神殿は青ひげ神殿と呼ばれました。

紀元前5世紀初頭には、マラトンの戦いの勝利を祝うためにパルテノン神殿の建設が始まります。

大理石で造られたこの神殿は現在でも多くの部分が残存しており、「ギリシャ神殿」と言われた時に私たちがイメージする建物がこのパルテノン神殿です。

アテネのアクロポリス中心部にあるこの神殿は、もともと青ひげ神殿があった場所に建設されました。(異説もあります)

現在は真っ白なパルテノン神殿ですが、当時は鮮やかに塗装されていて、遠くからでも目を引くほどだったとされています。

紀元前480年にアケメネス朝ペルシャの軍勢がアテネに迫ったとき、パルテノン神殿はまだ建設中でした。

ペルシャ軍はアクロポリスの古い神殿を略奪すると、パルテノン神殿を焼き払いました。

ペルシャ軍が撤退した後、彫刻や生け贄などのオリンポスの神々への捧げ物と、修復を諦めた建物の資材がアクロポリスの丘の造成に使われました。

この時造られた地層からは考古学的資料が多く見つかるため、非常に重要な地層となっています。

紀元前5世紀にペリクレスの下でアテネが黄金時代を迎えると、アクロポリスにも新しい建物が次々と建設されるようになります。

紀元前466年のエウリュメドン川の戦いに勝った後、テミストクレスはアクロポリス南北に城壁を再建するように命令し、ペリクレスはパルテノン神殿を完成させるように命令しました。

こうしてアテネの有名な建築家、イクティノスとカリクラテスによって神殿は再建されました。

紀元前437年に、ムネシクレスはペイシストラトスが建設したプロピュライアの増改築を命じました。

プロピュライアというのは門となる建物の事で、南北に1つずつ建設されました。

プロピュライアの特徴は、中央の円柱を持った建物を正門として左右に両翼を持っている点です。

アクロポリスの門として建設されたプロピュライアでしたが、防衛施設としての機能は持っておらず、もっぱら宗教的意味合いからのデザインとなっています。

これは、不浄なものを神聖な空間であるアクロポリスに入れないという考え方から来ています。

南のプロピュライアにはアテナ・ニケ神殿が併設されています。

この頃に、アテナとポセイドン、その他の神々への神殿を複合した宗教的施設、エレクテイオンも建設されました。

紀元前407年に完成したエレクテイオンはアクロポリスの神殿群では最も新しい建造物です。

この場所でアテネの守護神の座をアテナとポセイドンが争い、勝利したアテナが町の守護神となったという伝説があります。

プロピュライアの内側には、巨匠ペイディアス作の巨大ブロンズ像、アテナ・プロマコスが聳え立っていたと言われています。

このブロンズ像は台座と併せて10メートル以上の高さがあり、金の槍と盾を持っていたと伝わっています。

アクロポリスはギリシャの都市国家が没落し、東ローマ帝国が統治するようになるとキリスト教の教会として利用され、その後のオスマントルコ帝国の時代には火薬庫、防御施設、総督のプライベートな空間として利用されました。

ヴェネツィア軍による砲撃で、火薬庫として使われていたパルテノン神殿は大爆発を起こし、崩落してしましたがその後再建し、現在も再建、修復作業が続いています。

代表的建造物

パルテノン神殿

パルテノン神殿は建築技法に特徴があって、一見垂直に見える円柱は、実は中央部に膨らみを持たせています。

この建築技法はエンタシスといい、法隆寺の五重塔などでも同じ技法が用いられています。

これは余談ですが、アテネのアクロポリスのパルテノン神殿、奈良の法隆寺、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を世界三大宗教空間という場合もあるそうです。

パルテノン神殿内部には、かつては巨大なアテナ像が設置されていたそうです。

この像は象牙と純金から造られていたため、略奪に遇ってなくなってしまいました。

エレクテイオン

古代にはエレクテイオンでヘビが飼われていて、ハチミツ入りのケーキを与える役人がいて、ヘビが与えられたケーキを食べない事は凶事と考えられていました。

エレクテイオンにはカリアティード・バルコニーと呼ばれている少女像の形をした柱で支えられている部分があります。

6本ある現在の少女柱像は全て後世のレプリカで、オリジナルは5本がギリシャの新アクロポリス美術館にあり、1本は大英帝国によって持ち去られ、現在は大英博物館で展示されています。

アテナ・ニケ神殿

もともと同じ場所にあったアテナ神殿が、紀元前480年にアケメネス朝の略奪によって消失し、後に再建した神殿です。

アテナ・ニケ神殿は4本の円柱を両端に持つ、イオニア式の神殿で、かつでは内陣にニケ像が置かれていたそうです。

本来のニケは翼を持った勝利の女神なのですが、ここに置かれていたニケ像には翼がなかったため、「翼の無い勝利」と呼び、どこかに飛んでいかないように翼を奪われたという都市伝説が生まれました。

ディオニュソスの劇場

紀元前325年頃建設された円形劇場で、酒と豊穣の神、ディオニュソスに捧げられたことからこの名前が付いています。

ディオニュソス祭が開催された時にはアイスキュロスやソフォクレスなどの劇作家の手による演劇が行われていたこの劇場には15000人以上を収容することが可能だったそうです。

直接民主制を採用していたアテネの民会が開かれていたのもこの円形劇場です。

現在の建物は西暦61年に古代ローマ皇帝のネロ帝が再建を命じた時のものです。

お役立ち情報

こちらではアテネのアクロポリス観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

アテネの景観

実はアテネではアクロポリスを中心とした景観を守るため、市内ではアクロポリスよりも高い建物を建設することが禁止されています。(海抜150メートル)

アテネのどこよりも高い建物となっているアクロポリスは町のシンボルとして非常に多くの観光客が訪れるスポットとなっています。

ユネスコのエムブレム

ユネスコのエムブレムを見たことはあるでしょうか。

実はユネスコのエムブレムはアクロポリスのパルテノン神殿をモチーフにしています。

もともと西洋の考え方では、全ての文化はローマ、そしてギリシャから始まったとされており、アクロポリスのパルテノン神殿は文化の象徴だったのです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにアテネのアクロポリスに興味を持って頂けたなら幸いです。

パルテノン神殿を含むアクロポリスの映像や写真は、いろいろな場面で使用されているため、見たことのある方は多いかと思います。

また、ギリシャ神話やローマ神話について書かれた本を読んだことや、モチーフにした劇、小説、漫画などで知識を持っている方も多いのでは無いかと思います。

今回ご紹介した建造物の他にも、非常に多くの遺跡が残されており、またアクロポリスの丘の外側にもゼウス神殿などのローマ時代の建築物が数多く残されています。

キリスト教と共にヨーロッパの原点の1つとも言えるギリシャ文明の栄華を思わせるアクロポリスは、多くの観光客を引きつけるスポットでもあり、ギリシャの人にとっては国を象徴する大切な場所でもあります。

残念ながら日本からギリシャへの直通便はありませんので、ヨーロッパの他の都市経由で16時間程度の長旅が必要ですが、それだけの時間をかけてでも行く価値のあるスポットです。

次回ご旅行先がお決まりで無いようでしたら、是非アテネへのご旅行もご検討下さい!