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ウィーンと肩を並べる世界遺産の音楽の街!オーストリアのザルツブルク市街歴史地区を徹底解剖!

 

今回ご紹介するのは世界遺産、オーストリアの「ザルツブルク市街の歴史地区」です。
皆さんはオーストリアの町、ザルツブルクについてご存じでしょうか。

ザルツブルクはオーストリアの中央北部にある人口15万人ほどの町です。
この町のすぐ西側はドイツとの国境になっていて、オーストリアの首都ウィーンとの距離300キロメートルに対して、ドイツのミュンヘンとの距離は140キロメートル、歴史的にもオーストリアに属していなかった期間の方が長いので、現在でもドイツとの文化的、経済的結びつきが強い町です。

この町はウィーンと並ぶ音楽の町としても有名です。
神童と謳われたクラシックの天才作曲家モーツァルトや、20世紀最高と言われた指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの出身地でもあります。

そんなオーストリアの世界遺産、ザルツブルク市街の歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ザルツブルクの歴史

現在のザルツブルクの周辺は非常に早い段階から集落が作られていた形跡があります。
紀元前19世紀以前の新石器時代、既にこの辺りに人類が住んでいた跡が発見されています。

鉄器時代にはザルツブルクの人々が岩塩の採掘を行っていたそうです。
ザルツブルクという名前も塩の砦という意味で、岩塩に由来しています。

紀元前14年に古代ローマ帝国の軍勢がアルプスを越え、侵入してきました。
古代ローマ帝国のクラウディウス帝の時代には属州ノリクム(オーストリア)の各地に都市が建設され、現在のザルツブルクの原型である古いケルト人の町、ユリクム(ユヴァウムとも)もローマ文化の影響を受けました。

西暦476年に西ローマ帝国は東ゴート族に敗れ、属州ノリクムから撤退します。
防衛する軍隊のいなくなったユリクム(ザルツブルク)は侵入してきたゲルマン民族によって略奪されました。

西暦696年バイエルン公テオドは、カトリックの司教ルーペルトの才覚を聞き及んで、ザルツブルク周辺の領地を寄進し、ザルツブルク周辺は司教領となりました。
初代ザルツブルク司教領主となったルーペルトはこの地にサンクト・ペーター修道院を建設しました。

その後ザルツブルクは西暦798年に司教座から大司教座に昇格します。
スラブ人地域への宣教に成功し、歴代バイエルン公や諸貴族による土地寄進合戦によって、大司教領はイン川からハンガリーまで拡大しました。

キリスト教の布教とワンセットになった東方への勢力拡大は、西暦907年にマジャール人との戦いで大司教テオトゥマール1世が戦死するまで続きました。

ザルツブルクは司教領有地の岩塩採掘とタウエルンの金採鉱からの収入が多く、早くから発展していました。
聖職者叙任権闘争中の西暦1077年にはザルツブルク大司教ケープハルト1世が、皇帝派に対抗する為の防御施設としてホーエンザルツブルク城を建設しました。

その後、16世紀初頭には大司教レオンハルト・フォン・コイチャッハによって大規模な改修工事が行われ、城の防御力は大幅に強化されました。

西暦1147年には大司教区の叙任権争いでザルツブルク大司教が教皇側に就いた為、皇帝側であるバイエルン公国はザルツブルクへの影響力を失います。
その後西暦1167年に皇帝派のプライン伯がザルツブルクを攻撃しましたが、占領するには至らず町に放火し撤退しました。

西暦1200年に新しい大司教となったエーバーハルト2世は教皇派から皇帝派に鞍替えします。
エーバーハルト2世は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の元で内政、外交など様々な麺での国制改革に加わり、神聖ローマ帝国内の聖俗領主権を拡大する帝国法の起草に参画しました。

内政では俗界貴族のお家断絶に乗じ教会守護職権を回収、世俗支配権を強化した他、皇帝からルンガウ、ヴィンディシュ・マトライなどの領主権を与えられた為、ザルツブルクの領土は急激に拡大しました。
この時代以降のザルツブルクは「大司教区」という規模ではなく、「領邦国家」となったのです。

西暦1525年にドイツ農民戦争が起こるとホーエンザルツブルク城は農民によって包囲されましたが、神聖ローマ帝国の官房長官だったマテウス・ランク大司教はシュヴァーベン同盟軍を使ってザルツブルクを解放しました。

16世紀の終わりの大司教、ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウはユダヤ人の美女との間に15人の子供を設け、彼女と子供達の為にアルテナウ小城を建設しました。

晩年にはザルツブルク地方の特産品の塩をめぐったバイエルン公マクシミリアンとの争いに敗れ、ホーエンザルツブルク城に幽閉されたまま一生を終えました。

西暦1613年には夏の離宮、ヘルブルン宮殿が着工され、6年後の西暦1619年に完成します。
この頃に現在のザルツブルクの街並みも整備されました。
三位一体教会やミラベル宮殿などの現在も残る建造物もこの頃から18世紀にかけて建設されています。

西暦1623年にはザルツブルク大学が開校されました。
神聖ローマ帝国で長く続いた三十年戦争では、多くの難民が発生しましたが、ザルツブルクは幸運にもこの戦争に巻き込まれなかった為、数多くの難民を受け入れました。

17世紀の神聖ローマ帝国の都市としては例外的な事ですが、17世紀を通してザルツブルクの人口は増加しました。

18世紀に入ると新教徒の迫害と追放を行った為、ザルツブルクの人口は急激に減少しました。
逆にこの難民を大量に受け入れたプロイセン王国は大国へと成長し、その後ドイツ帝国を建国する事になります。

フランス革命後のヨーロッパの混乱期にザルツブルクにとって大きな事件が起こります。
共和制フランスはハプスブルク家と密約し、ハプスブルク家がイタリアの領土を放棄する代わりにザルツブルク大司教を世俗化し、これを吸収することを認めていたのです。

西暦1803年2月11日に、ザルツブルク大司教は統治権を放棄し、領土を持たない大司教になりました。
こうして大司教を頂点とする領邦国家ザルツブルクは終わりを迎えました。

その後はナポレオン戦争期に一時期バイエルン公国領となりましたが、ナポレオン戦争後のウィーン会議によってオーストリアに帰属し、現在に至ります。

代表的建造物

ザルツブルク大聖堂

ザルツブルク大聖堂は、西暦774年に一番最初の聖堂が建設されました。
この聖堂は前期ロマネスク式の聖堂で、西暦1181年まで使用されていました。

西暦1181年には2番目の聖堂が建設され、西暦1628年には現在まで続くバロック式の大聖堂が建設されます。
1万人が収容可能な大聖堂は、ヨーロッパ最大のパイプオルガンと、ドイツ語圏最大の鐘を備えていることでも有名です。

聖ペーター僧院教会

初代ザルツブルク司教ルーペルトが西暦696年に開いた教会です。
ドイツ語圏の男子修道院としては最も古いと言われています。

建設当初はロマネスク式と初期ゴシック式の混合様式で建てられ、ロマネスク式の西回廊や初期ゴシック式のマリア礼拝堂が残っています。

18世紀後半に改装された時には、バロック式の贅沢な装飾が数多く施され、建築史学者にはロココ式の片鱗を見る事ができると評価されています。

ホーエンザルツブルク城

西暦1077年、聖職者叙任権闘争での皇帝派に対抗して作られた城です。
この城はザルツブルクのどこからでも見る事ができます。

この城は外敵による占領や略奪を1回も経験していないため、中世の城としては最高の保存状態を保っていることでもよく知られています。

現在は博物館として利用されている他、西暦1498年に作られた「聖ゲオルグ礼拝堂」、西暦1502年製造の大オルガン、「ザルツブルクの雄牛」があります。
また、毎年夏にはコンサート会場としても利用されています。

モーツァルト生家

ゲトライデガッセ9番地には、神童ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが生まれた家があります。
現在は博物館になっていて、モーツァルトにちなんだお土産も売っています。

ミラベル宮殿

西暦1606年に当時の大司教が愛人の為に建設した宮殿です。
この宮殿の2階にはモーツァルトも演奏したという「大理石の間」があり、そこに続く階段は「天使の階段」と言われています。

また、この宮殿の庭園にはギリシャ神話にちなんだ彫刻が並んでいて、「ペガサスの噴水」の周りは英語「サウンドオブミュージック」でマリア先生と子供達がドレミの歌を歌っていたシーンのロケ地です。

ヘルブルン宮殿

ザルツブルク大司教の夏の離宮として建設された宮殿がヘルブルン宮殿です。
噴水によって王冠を浮かび上がらせる「王冠の噴水」が有名です。

大司教はこの宮殿でパーティーを開き、酔いが回ってくると水を降らせて客が濡れている姿を見て悦に入っていたと言われています。

役立つ情報&豆知識

こちらではオーストリア ザルツブルク市街の歴史地区観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ザルツブルク音楽祭

毎年7月の下旬から8月末まで開催されているお祭りです。
日本では音楽祭と訳されていますが、【Salzburger Festspiele ザルツブルガー・フェストシュピーレ】、直訳すれば「ザルツブルクの祝祭上演」となり、音楽だけではなく演劇のお祭りでもあります。

モーツァルトを記念して開かれるこのお祭りには、世界中の音楽家、演劇家が集まるこのお祭りの期間中、ザルツブルクには非常に多くの人が訪れ、ヨーロッパのちょうど中心にあたる場所にあるこの町は、まるで世界の中心であるかのように華やかな町となるのです。

モーツァルトクーゲル

モーツァルトクーゲルというお菓子をご存じでしょうか?
ヌガーとマジパンの丸い塊をチョコレートでコーティングした、とても甘いお菓子なのですが、このお菓子の元祖がザルツブルクにあるフュルスト社のモーツァルトクーゲルです。

フュルスト社が商標権を有していなかった為、いろいろな会社で模造品が作られているモーツァルトクーゲルですが、オリジナルはザルツブルクでしか食べられません。
もし甘い物が嫌いでなければ、召し上がってはいかがでしょうか。
お土産にもいいかと思います。

最後に

いかがでしたか。
これをきっかけにザルツブルクに興味を持って頂けたなら幸いです。

オーストリアの首都ウィーンは音楽の都として有名ですが、ザルツブルクもまた音楽の都と呼ばれています。
ヨーロッパ最大のパイプオルガンやモーツァルトの家、ザルツブルク音楽祭など、音楽に関わる観光スポット、観光イベントを多く持っているのがザルツブルクです。

観光スポットではありませんが、ザルツブルクにはもう1つお勧めのスポットがあります。
それは、ゲトライデガッセ33番地にあるバルカン・グリルというお店です。

このお店ではザルツブルク名物のボスナというホットドッグが食べられるのですが、本当に美味しいです。
このホットドッグは最近ではザルツブルク以外の場所でも食べられるそうなのですが、やはりオリジナルが一番!ということで、いつも行列ができているのだとか。

味はカレー風味のホットドッグで、2本のソーセージが挟まっています。
本当に美味しいので、もしザルツブルクに行くのでしたら是非お試し下さい。