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オペラ「タンホイザー」の舞台!世界遺産ヴァルトブルク城の魅力を徹底解説!

 

今回ご紹介するのはドイツの世界遺産、「ヴァルトブルク城」です。

皆さんはヴァルトブルク城についてご存じでしょうか。

ヴァルトブルク城はドイツ中央部のチューリンゲン州の町アイザナッハ近郊にある中世の城の名前です。

この城は城自体の建築学的価値があることはもちろんですが、宗教改革の時にマルティン・ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳したことや、ワーグナーの作曲したオペラ「タンホイザー」の舞台となっていることで、ドイツでは非常に有名な城なのです。

そんなヴァルトブルク城の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ヴァルトブルク城の歴史

ヴァルトブルク城は西暦1067年にチューリンゲン伯爵ルードヴィッヒ・スプリンガーによって建設されたと伝わっています。

西暦1080年に書かれた文献で、初めてヴァルトブルク城の事が記載されています。

現在のアイゼナッハ市街を見下ろす場所にありますが、城の建設当初はアイゼナッハには数えるほどの人しか住んでいなかったと言われています。

アイゼナッハに町が作られたのは城の建設から100年以上が過ぎた西暦1180年頃のことだそうです。

もともとこの場所は何もない山だったのですが、当時のチューリンゲン伯爵ルードヴィッヒ・スプリンガーが山の景色をとても気に入って、「待て。お前私の城になれ」、と叫んだという伝説があります。

ドイツ語で「待て」は「Wart」、城は「Burg」であることから、城の名前はヴァルトブルクとなったと伝わっています。

実はヴァルトブルク城はあるキリスト教の聖人とも深い関わりがあります。

それはハンガリーの聖エルジェーベトです。

ハンガリー、クロアチア王のアンドラーシュ2世の王女だったエルジェーベトは4歳の時にチューリンゲン伯爵家のルードヴィッヒと婚約しました。

14歳で結婚したエルジェーベトとルードヴィッヒ4世の夫婦仲は大変良かったと伝わっています。

この当時の貴族の結婚は日本の戦国武将などと同じく、基本的に政略結婚だったのですが、二人はとても仲が良く、3人の子供にも恵まれました。

結婚してすぐにチューリンゲンにフランシスコ会の修道士が訪れ、エルジェーベトはこの修道士に感銘を受け、信仰心が強くなったと言われています。

夫であるルードヴィッヒ4世も妻が救民院などで慈善活動を行うことを応援していました。

エルジェーベトの身に悲劇が訪れたのは西暦1227年のことでした。

この年に、ルードヴィッヒ4世は第六回十字軍に従軍していたのですが、遠征中に病気になってしまい、イタリアで帰らぬ人になってしまいました。

まだ20歳の若さで夫を失ったエルジェーベトの身には更なる悲劇が舞い降ります。

ルードヴィッヒ4世との間には3人の子供がいましたが、一番上のヘルマン公子でさえまだ5歳でしかなかったため、チューリンゲン伯爵ヘルマン2世の後見役として、ルードヴィッヒ4世の弟、ハインリッヒ・ラスペが摂政となったのですが、ハインリッヒ・ラスペとエルジェーベトは非常に仲が悪かったのです。

ハッキリとした内容はわかってはいませんが、エルジェーベトに化粧料として与えられる財産に関連して二人の間で争いがあり、エルジェーベトはヴァルトブルク城から追放されました。

その後、城下町のアイゼナッハでしばらく過ごしていましたが、伯爵家から追放され、何の援助も受けられなかったエルジェーベトは家畜小屋で暮らしていたと言われています。

この境遇を聞いたエルジェーベトの親戚が彼女を自らの城に引き取った時には、東ローマ帝国皇帝にも繋がる、由緒正しい王女とはとても思えない状態だったそうです。

親族の城で暮らしているときに、エルジェーベトにはいくつもの再婚の縁談が持ち込まれました。

ハンガリー、クロアチア国王の娘であり、東ローマ帝国とも繋がりのある彼女の血統は、当時の貴族から見れば非常に魅力的だったのです。

この中には神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世との縁談もあったそうですが、エルジェーベトはルードヴィッヒ4世を心から愛していたため、全ての縁談を断りました。

翌西暦1228年にはフランシスコ会の修道士、コンラートがいたマールブルクに行き、伯爵家から受けとった化粧料全てをなげうって救民院を設立し、自らも病人のために尽くしました。

厳しい環境で、貧しい人々や、病人のために尽くしたエルジェーベトは3年後の西暦1231年に24歳という若さでこの世を去りました。

エルジェーベトの死後、すぐに彼女の墓で奇跡が起こるという噂が広まり、多くの人々が巡礼に訪れるようになりました。

この噂は教皇庁にまで届き、ローマ教皇から調査団が派遣されました。

その結果、死後5年も経たない西暦1235年に異例のスピードでエルジェーベトはカトリックの聖人として列聖されたのです。

エルジェーベトの死後300年ほど経って、密かにヴァルトブルク城を訪れる者がいました。

それは、ヴォルムス帝国議会という歴史上有名な会議で、神聖ローマ帝国皇帝カール5世から、自説の撤回を求められていたマルティン・ルターでした。

免罪符(贖宥状)の販売など、当時のカトリック教会に対して批判的な意見を表明していたルターに対して、帝国領内の分裂を恐れたカール5世は自説の撤回を要求したのです。

しかし、ルターはこの要求を拒否し、ヴォルムスから姿を消しました。

その後ルターはゲオルグという偽名でヴァルトブルク城に潜伏し、ここで新約聖書のドイツ語翻訳版を完成させます。

これよりも前の時代に、聖書をドイツ語の翻訳したものというのは存在していたのですが、ルターの翻訳したドイツ語版聖書は広くドイツ語圏全域で多くの人に読まれたため、非常に有名になりました。

一説によると、このことが近代ドイツ語の発展に大きな影響を与えることになったとも言われています。

その後、ヴァルトブルク城は歴史の表舞台に立つことはありませんでしたが、西暦1845年にリヒャルト・ワーグナーが作曲したオペラ「タンホイザー」の舞台となったことをきっかけに世界中で広く知られるようになりました。

タンホイザー

オペラ、タンホイザーについてお話します。

タンホイザーの物語では、このヴァルトブルク城を舞台としています。

これは、2つの伝説をもとにワーグナーが作った物語です。

タンホイザーの伝説というのは、恋の快楽を知りたくなったタンホイザーという騎士が、愛欲と快楽の女ヴェヌスの住む洞窟を訪れ、そのことをローマ教皇に懺悔して許しを得ようとしたところ、枯れ木に葉が生えるまで許されることはない、と言われてしまい、絶望したタンホイザーが洞窟に戻るとなんと枯れ木に葉が生え、赦免されたことを伝えようと人々が探しても、二度とタンホイザーは見つからなかった、という伝説です。

もう1つの伝説は、ヴァルトブルク城で行われたという歌合戦の伝説です。

西暦1207年に行われたというこの歌合戦は、敗者は命を奪われることになっていました。

劣勢だったハインリッヒという男が魔法使いでもあり、詩人でもあったクリンゲゾルを召喚して、魔法によって勝ちを得ようとしましたが、対戦相手のヴォルフラムは魔法の秘密を解き明かし勝利するという伝説です。

この2つの伝説を取り入れたオペラのあらすじは、チューリンゲン伯爵家の一人、エリザベートとプラトニックな恋愛関係だったヴァルトブルク城の騎士タンホイザーが、官能的な欲を満たしたくなってしまい、ヴェヌスの住むヴェヌルベルクという異世界を訪れることから始まります。

そんなある日、生まれ故郷の夢を見たタンホイザーはヴェヌスベルクを離れる決意をします。

ヴェヌスの誘惑に打ち勝って、ヴェヌスベルクから現実世界に戻ったタンホイザーのそばに、同じ騎士仲間のヴォルフラムが通りかかります。

肉欲に溺れてしまったことを恥じて、城にはもう戻れないというタンホイザーに、ヴォルフラムはエリザベートがずっと帰りを待っていると説得して、タンホイザーを城に連れ帰りました。

タンホイザーが城に戻った日は、恒例の歌合戦の日でした。

他の人々はプラトニックラブを詩にして歌いましたが、タンホイザーは官能的な詩を歌い、女神ヴェヌスを讃えました。

これによってタンホイザーは城を追放されてしまい、ローマ教皇の赦免を得られるまで城に戻れなくなってしまいます。

タンホイザーは巡礼の一団に加わり、ローマを目指して去っていきました。

それから数か月後、エリザベートはタンホイザーが許されて戻ってくるように毎日祈っていましたが、ローマから戻ってきた巡礼団の中にタンホイザーの姿はありませんでした。

エリザベートは自らの命と引き換えにタンホイザーを赦してもらおうと考え、ヴォルフラムが引き止めるのを振り切ってその場を立ち去ります。

エリザベートが立ち去ると、タンホイザーが現れ、「杖に葉が咲かないかぎり許されない」と、教皇からの赦免を得られなかったと話します。

絶望したタンホイザーはヴェヌスベルクに戻ろうとし、ヴォルフラムが引き止めているところに、エリザベートの棺を率いた葬列が通り、自らの命と引き換えに赦しを求めた、とヴォルフラムが話すとタンホイザーはエリザベートのそばで絶命してしまいました。

ここで葉が生えた杖を持った、教皇からの赦免を告げる使者が到着してストーリーは終わります。

タンホイザーはワーグナーのオペラの中では比較的短く、ストーリーもわかりやすいので人気がある作品です。

このオペラの舞台となったことでヴァルトブルク城は再び有名になったのです。

お役立ち情報

こちらではヴァルトブルク城観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

クリスマスマーケット

ヴァルトブルク城は厳冬期以外は夜にコンサートが行われていることでも有名ですが、今回はクリスマスマーケットをご紹介します。

ヴァルトブルク城のクリスマスマーケットでは、昔ながらの手法で作ったろうそくや石鹸、ランプなどの中世風の品物や、この地方の名物料理などが販売されています。

大道芸人や吟遊詩人などによる演技などもあり、中世の雰囲気が楽しめます。

本物のお城の中で開かれることもあって、毎年数多くの人々が訪れる人気のイベントとなっています。

ヴァルトブルク城のクリスマスマーケットは、12月のクリスマスまでの土曜日と日曜日に開催されています。

内部見学ツアー

ヴァルトブルク城の内部、大広間見学はガイド付きの見学ツアーのみとなっています。

この見学ツアーはドイツ語、または英語のツアーだけとなっていますが、パンフレットは18か国語に対応しており、日本語のパンフレットもありますので、是非参加してみてください。

公式サイトではヴァルトブルク城の写真やイベントなどが記載されています。

残念ながらこちらもドイツ語、英語、フランス語のみとなっていますが、クリスマスマーケットの写真などもありますので、よろしければご覧になってください。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにヴァルトブルク城に興味を持って頂けたなら幸いです。

ドイツには他にも数多くの城塞、宮殿が残っていますが、ヴァルトブルク城はその中でも最もドイツらしい城、として知られています。

ドイツ人の心のふるさと、という紹介分も見たことがありますが、これは少し言い過ぎかもしれません。

しかしそういわれるほどにドイツらしさが感じられるのは間違いありません。

見た目としては、有名なノイエシュヴァンシュタイン城が白鳥の城なら、ヴァルトブルク城はさしずめ黒鳥の城といったところでしょうか。

何世紀にも渡って増改築が行われたため、見た目が黒系統で統一されているというわけではありませんが、全体的な色調としては黒っぽいのがヴァルトブルク城の特徴の1つです。

ドイツへご旅行の際には、是非ヴァルトブルク城の観光もご検討下さい!