翻訳(Language Change)

エストニアの世界遺産!タリン歴史地区の魅力に迫る!

今回ご紹介するのは世界遺産、エストニアの「タリン歴史地区」です。

皆さんはタリン歴史地区についてご存じでしょうか。

タリンはバルト3国の内の1つ、エストニア共和国の首都です。

エストニアは歴史的にロシアの影響が濃く、現在でも首都タリンはEU内で最も非EU市民(主にロシア人)が多く住んでいる町となっています。

その影響は建築物にも及び、ロシア風の建物も数多く見られます。

現代に入るとIT技術が非常に進歩し、「バルト海のシリコンバレー」とも言われているのが、ここエストニアの首都タリンです。

そんなエストニアの世界遺産、タリン歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

タリンの歴史

タリンの歴史は比較的新しく、西暦1050年にトームペアの丘に最初の要塞が建設された事に始まります。

「聖堂の立つ丘」という意味のドイツ語であるトームペアの丘には現在でもトームペア城が聳え立っています。

今日のバルト3国がある地域はリヴォニアと呼ばれていました。

リヴォニアは12世紀頃になっても未だにキリスト教化が進んでいない異教の地であった為、西暦1199年にローマ教皇イノケンティウス3世はユクスキュル司教が率いる十字軍を派遣し、リヴォニアのキリスト教化を図ります。

500人の騎士を引き連れたユクスキュル司教はリヴォニアに進駐し、西暦1202年にはリヴォニア帯剣騎士団を設立し、武力によるリヴォニアのキリスト教化を進めました。

南部リヴォニアにおいてはキリスト教化は順調に進行しましたが、北部リヴォニアではロシアの諸侯から援助を受けたエストニア人が抵抗を続け、エストニア南部以北へはキリスト教が浸透しない状況となっていました。

西暦1218年、リヴォニア帯剣騎士団はデンマーク王国に援助を要請し、デンマーク王ヴァルデマー2世は60,000人もの大軍を援軍として送りました。

デンマークからの援軍と合流し、勢いづいたリヴォニア帯剣騎士団は、西暦1220年にエストニア全土のキリスト教化に成功しました。

現在も残るトームペア城はこの頃、デンマーク軍によって建設されました。

武力によってリヴォニアのキリスト教化を進めていたリヴォニア帯剣騎士団ですが、西暦1215年の第4回ラテラノ公会議で改宗したリヴォニアのキリスト教徒に対する搾取を咎められ、政治的な大義名分を失いつつあったところに、西暦1236年にはリトアニア人との戦いで大敗した事をきっかけに弱体化した結果、ドイツ騎士団に併合されてしまいました。

この頃、レヴァルと呼ばれていた現在のタリンは、ロシア方面と西欧を結ぶ交易路として重要な地位を築いていきました。

西暦1285年にはレヴァル(タリン)はハンザ同盟に加盟します。

ハンザ同盟中最北の都市だったレヴァル(タリン)は北方交易の重要拠点として繁栄していきました。

西暦1346寝、デンマーク軍はリヴォニアの植民地をドイツ騎士団に売却し本国へ引き揚げました。

これ以降、近代に至るまでリヴォニアはドイツ圏の強い影響を受ける事になります。

西暦1561年、リヴォニア戦争の影響でドイツ騎士団領のテッラ・マリアナが解体され、スウェーデン領エストラント(エストニア公国)が成立しました。

西暦1583年にリヴォニア戦争が終結した後も、北欧の大国スウェーデンの影響力は増大していき、西暦1629年までにエストニア全体がスウェーデンの支配下に入ります。

その後西暦1710年に、大北方戦争によってレヴァル(タリン)はロシア帝国領となり、西暦1721年にはエストニア公国がロシア帝国に吸収されました。

西暦1918年にエストニアが独立すると、レヴァル(タリン)はエストニアの首都となります。

独立直後にドイツ帝国に占領されたエストニアは、その後もナチスドイツ、ソ連によって次々と占領され、第二次世界大戦後はソ連領とされていました。

西暦1991年にエストニア共和国が独立するとタリンは再び首都の座に返り咲きました。

代表的建造物

トームペア城

エストニアの支配階級が住んでいたこの城は、もともとエストニア人が作った砦が立っていた丘に、デンマーク軍が新たに建設した城です。

トームペア城の外壁はピンク色で、城という言葉からはあまりイメージする事ができない可愛らしい雰囲気の建物です。

トームペア城にはエストニア政府の国家機関が入っている為、内部の見学は出来ません。

アレクサンドル・ネフスキー教会

アレクサンドル・ネフスキー教会は、西暦1901年にロシア帝国によって建設された教会です。

たまねぎ型のドームやイコンが施されたこの教会は、一目でロシア正教の教会であることがわかります。

この教会はロシア帝国の権威をエストニア人に誇示するという目的もあった為、建設当初、エストニアの人々はこの教会に対していい感情を抱いてはいませんでした。

その為、西暦1918年にエストニアが最初に独立した時に、教会を移転する計画が持ち上がりましたが、その計画が実行される事はありませんでした。

ラエコヤ広場

旧市街の中心部にある広場はラエコヤ広場です。

この広場に面してタリン旧市庁舎も建っています。

ラエコヤ広場では一年を通して様々なマーケットが開かれています。

旧市庁舎

ラエコヤ広場の一角にある、一際高い尖塔を持った建物が旧市庁舎です。

北欧最古のゴシック建築物と言われている旧市庁舎は、現在はコンサートホールとして利用されています。

普段は一般公開されていないのですが、夏期の観光シーズンは内部見学ツアーが組まれている事もあります。

市議会薬局

ラエコヤ広場の別の一角には、西暦1422年創業のエストニア最古の薬局が現在も営業を続けています。

西暦1422年創業とされているこの薬局ですが、正確な創業年度は記録にのこっておらず、西暦1422年には既に薬局は3代目の主人が経営していたとも伝わっています。

聖ニコラス教会

バルト海交易で発展したタリンでは、海運が非常に重要視されていた為、船乗りの守護聖人聖ニコラスに捧げた教会が建設されました。

13世紀に建設されたこの教会は第二次世界大戦中に失われ、現在の教会は20世紀後半に再建されたものになります。

オレンジ色の鮮やかな屋根と、白い外壁を持つ尖塔が特徴的な教会です。

ふとっちょマルガレータの塔

エストニア海洋博物館となっている、この丸い寸胴鍋のような塔は、太っちょマルガレータの塔と呼ばれています。

元々は海から上陸してくる敵に対する防衛施設として作られていた為、このような重厚な作りになっているそうです。

マルガレータというのは、一時期この塔が牢獄として使用されていた時代に囚人の食事係をしていた女性の名前だそうです。

役立つ情報&豆知識

こちらではタリン観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

スルトゥ(豚の煮こごり)

エストニアの代表的な料理と言えばこのスルトゥです。

豚もも肉や豚足を茹でたものに、焼いた人参、玉葱と胡椒、ローリエを加えて更に煮込み、豚肉が柔らかくなったところで細かく刻み、再び煮込んで全体的に火を通したものを1番冷やして豚足のゼラチンを固めて煮こごりにしたのがスルトゥです。

スルトゥはエストニアでは非常にポピュラーな料理で、スーパーでも売っています。

食べ方はジャガイモや黒パンと合わせて食べるのがオーソドックスです。

現地の食べ物を食べるのは旅行の大きな楽しみの1つだと思います。

是非、エストニアの伝統料理スルトゥをお試し下さい。

蜂蜜ビール

エストニアのもう1つの名物がこの蜂蜜ビールです。

このビールは冷やして飲むのではなく、暖めて飲むそうです。

タリン旧市街のレストランなどで提供されている蜂蜜ビール、普段からビールを飲み慣れている方の間では意見が分かれるようですが、逆に普段ビールを余り飲み慣れていない方には、普通のビールよりも飲みやすいと一定の人気があるそうです。

普段飲み慣れているビールとは違う飲み物と思って試してみてはいかがでしょうか。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにタリン歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

バルト3国というと、正直一般的な日本人の知識では、国名を把握している程度なのではないかと思います。

北から順番に、などと言われてもわからない方が多い事でしょう。

しかし、我々にとっては有名ではない遠い異国でも、現地の人々にとっては長い歴史と文化が根付く重要な地域です。

北欧文化、ドイツ文化、ロシア文化と、時代によって異なる文化に強く影響されたタリンは、中世にはバルト海交易の重要拠点として大いに繁栄し、当時は西欧の大都市と比較しても遜色の無い大都市だったのです。

パリやロンドンなどの一般的な旅行先ではなく、通好みのタリンで過ごすバカンスも良いのでは無いでしょうか。

次回のご旅行先には、是非タリンもご検討下さい!