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エジプトの世界遺産!カイロ歴史地区の魅力とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、エジプトの「カイロ歴史地区」です。

皆さんはカイロ歴史地区についてご存じでしょうか。

カイロはエジプトの首都であり、ナイル川の中流に位置する人口680万人の大都市です。

郊外にはピラミッドがあることでも知られているカイロですが、実はカイロ市内には数多くのイスラム時代の建築物が残されています。

数千年の歴史を有するエジプトですが、カイロの歴史は比較的新しく、7世紀頃にやっと歴史上に姿を現します。

そんなエジプトの世界遺産、カイロ歴史地区の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

カイロの歴史

世界4大文明とも言われるように、エジプトの歴史は非常に古く、カイロ周辺のギザにもピラミッド群が建設されています。

しかし、ムスリムが侵入する以前のカイロは小さな村が点在するだけの未開の土地だったのではないかと言われています。

西暦639年にウマイヤ朝の将軍、アムル・イブン・アル=アースがエジプトに侵入し、東ローマ帝国軍と一戦してこれを打ち破ると、西暦643年には現在のカイロ市内に「フスタート」と呼ばれる軍事拠点を建設しました。

ウマイヤ朝の初代エジプト総督になったアムル・イブン・アル=アースはフスタートの整備と拡大に努め、フスタートはその後長らくエジプトの中心的都市としての地位を保持しました。

ウマイヤ朝を継いだアッバース朝が9世紀に弱体化すると、西暦868年にはエジプトでトゥールーン朝が独立します。

トゥールーン朝はフスタートの北にカターイーという町を建設し、アッバース朝が建設したアスカルと合わせ発展させました。

西暦905年にはアッバース朝の勢力が盛り返し、トゥールーン朝を滅亡させましたが、30年後の西暦935年にはイフシード朝の元で再びエジプトは独立します。

イフシード朝の首都もやはりフスタートでした。

西暦969年にチュニジアから興ったファティマ朝によってエジプトは征服されます。

ファティマ朝はカターイーの更に北に新たに「ミスル・アル・カーヒラ」(カイロ)の町を建設し、政治をここで執り行いました。

この時点で、政治機能が置かれたミスル・アル・カーヒラはやがてカイロと呼ばれるようになります。

安定していたファティマ朝でしたが、12世紀になると弱体化し、十字軍の度重なる侵攻にも対策を打てない状況に陥りました。

西暦1168年にエルサレム王国軍がエジプトに侵入した際に、ファティマ朝は焦土戦術を採り、それまでの経済拠点フスタートを焼き払いました。

焼け出された市民はカイロに逃げ込み、この時から政治都市カイロは商業としてしても発展していくことになります。

翌西暦1169年にはサラーフ・アッディーンによってカイロでアイユーブ朝が樹立されました。

エジプトの歴史上でも有能な君主でサラーフ・アッディーンは、それまで各地に散らばっていた政府機能を全てカイロに集め、カイロ東南の丘にシタデル要塞を築いて防衛拠点とした他、カイロの城壁と市街地を南に拡大して旧フスタートをカイロに取り込みました。

彼の開いたアイユーブ朝と続くマムルーク朝の時代にカイロは黄金期を迎え、歴代のスルタンによって公共事業としてモスクなどの建設が盛んに行われました。

この時に建設された建物が、現在世界遺産となっているカイロ歴史地区を構成しています。

繁栄を極めたカイロでしたが、西暦1516年にマムルーク朝がオスマントルコ帝国によって征服されると、一地方都市の地位に転落してしまい、スルタンもカリフもいなくなった事によって政治的重要性を失いました。

西暦1798年にナポレオンによるエジプト遠征が行われ、ピラミッドの戦いに勝利したフランス軍はカイロを占領します。

しかし、武力によってカイロを占領した後、エジプトの統治はうまく行かず、西暦1801年にはフランス軍はエジプトから撤退しました。

その後、しばらくはオスマントルコ帝国によるエジプト支配が続きますが、やがて弱体化すると、エジプト太守ムハンマド・アリーが独立します。

イスタンブールのオスマントルコ帝国の宗主権を認めてはいたものの、事実上の独立国となったエジプトでは、再びカイロが政治的に重要な都市となりました。

19世紀後半にはイスマーイール・パシャによってさまざまな近代化政策が推進されます。

鉄道開設や湿地帯の干拓など、精力的に近代化を推し進めたイスマーイール・パシャでしたが、この政策によってエジプトの財政は破綻しイギリスの保護領とされてしまいました。

西暦1922年にエジプトは独立し、カイロは独立したエジプト王国の首都になりました。

西暦1952年1月からの内乱中に自由将校団によるクーデターが発生し、エジプトは王制を廃止して共和国になりました。

首都は変らずカイロとされ、現在に至っています。

代表的建造物

アズハル大学

西暦970年にマドラサとして建設された、イスラム圏最古の大学です。

「最も栄光ある」という意味のこの大学は、現在でもスンニ派の最高教育機関としてイスラム世界では非常に重要な役割を果たしています。

シタデル

西暦1176年にサラーフ・アッディーンによって建設された軍事要塞です。

対十字軍を想定して建設されたこの要塞は高さ10メートル、厚さ3メートルの城壁に囲まれ、迎撃塔も備えていました。

その後西暦1192年には十字軍との間に休戦が成立したため、防衛拠点としての役割を終え、西暦1218年からは王宮が建設され、王の居住地となりました。

ムハンマド・アリーモスク

西暦1875年にシタデルの敷地内に増設されたモスクです。

オスマントルコ帝国のエジプト太守ムハンマド・アリーが建設を命じた事から彼の名前が付けられました。

ムハンマド・アリーは残念ながらこのモスクの完成前に死亡してしまいましたが、その亡骸はこのモスクに葬られました。

いくつものドームとミナレットが特徴的で、アラバスターを多く用いていることからアラバスター・モスクとも呼ばれているそうです。

イブン・トゥールーン・モスク

トゥールーン朝の開祖アフマド・イブン・トゥールーンが建設したモスクです。

らせん型のミナレットを持つ事で知られています。

イブン・トゥールーン・モスクはカイロ最古のモスクとしても有名です。

ハーン・ハリーリ

ハーン・ハリーリは14世紀後半に開かれたスーク(市場)です。

現在でも当時のままの姿となっており、観光ツアーでも必ず訪れる有名スポットです。

迷路のように入り組んだ路地を宝石や金細工、銀細工、骨董品、民族衣装や工芸品が埋め尽くすその様子は非常にエキゾチックで、訪れる観光客を魅了して止みません。

ズウェーラ門

西暦1029年に建設されたカイロの町の城門です。

建設当時は市域の最南端に位置していました。

この紋は2本の美しいミナレットを持っていることで有名です。

また、このミナレットの上からはカイロ旧市街を一望することが出来るため、初めてカイロを訪れる場合には必ず足を運んで欲しいスポットでもあります。

エル・ムアッラカ教会

7世紀に建設されたコプト教の教会です。

コプト教というのは、エジプトで独自の教義を採り入れて発展したキリスト教の一派の事です。

この教会は、内部の天井がノアの箱船を模していることで有名です。

聖ゲオルギウス教会(マリ・ギルギス)

この教会はヘロデ王による追求から逃れたイエスの家族がエジプトに潜伏していた時に身を寄せていた場所に建てられた、エジプト唯一の円形ドームを持つ教会です。

役立つ情報&豆知識

こちらではカイロ歴史地区観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

コシャリ

エジプトで大人気のファストフードがコシャリです。

日本で言えば牛丼に近い感じでしょうか。

コシャリはお米と短いマカロニ、ヒヨコ豆、レンズ豆を混ぜて、揚げ玉ねぎとトマトソース、それに酢と、辛味ソースをかけて食べます。

このコシャリ、思った以上に日本人の口に合う料理で、やはりお米を使った料理はどこか安心するのかもしれませんね。

見た目はミートソースかけご飯のような感じの料理です。

パピルス

エジプトの観光地ではどこにでも売っています。

バナナの皮で作ったものは品質が悪いそうです。

お店によってはヒエログリフ(象形文字)で自分の名前を書いてくれるところもあります。

値段も安いので、お土産にはぴったりです。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにカイロ歴史地区に興味を持って頂けたなら幸いです。

古代エジプトの事は知っていても、イスラム以降のエジプトについてはあまり知らない方が多いのではないかと思います。

しかし、日本ではあまり知られていなくとも、イスラム以降のエジプトも雄大な歴史を持っており、その残された建築物群からは往事の繁栄を感じ取る事ができます。

伝統的にムスリムが宗教に寛容であった事から、イスラム教の施設だけではなくキリスト教、ユダヤ教の施設も数多く残されているのがここカイロ歴史地区なのです。

次回のご旅行の際にはぜひエジプトも訪問先としてご検討下さい!