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イタリアの世界遺産!ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度とは?

今回ご紹介するのは世界遺産、イタリアの「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度」です。

皆さんはレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度についてご存じでしょうか。

レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度の「ストラーデ・ヌオーヴェ」というのは新しい通りという意味で、16世紀に整備されたストラーダ・ヌオーヴァ(ガリバルディ通り)と続いて建設された2つの通りの事を指しています。

「パラッツィ・ディ・ロッリ制度」とは、ストラーダ・ヌオーヴァ(ガリバルディ通り)に立ち並ぶ当時の宮殿群の事で、「ロッリ」と呼ばれる迎賓館目録に登録されて居たことから、このように呼ばれています。

そんなイタリアの世界遺産、ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度の魅力について、歴史を踏まえながらご紹介していきたいと思います。

ジェノヴァの歴史

天然の良港を持つジェノヴァの歴史は古く、紀元前6世紀には既に集落が形成されていました。

ジェノヴァの名前は、ケルト語で「入り口」という意味を持つ、Januaという言葉に由来しています。

第一次十字軍の頃までは小さな港町だったジェノヴァですが、ヨーロッパからパレスティナへのこの大規模な遠征軍を通じてジェノヴァは急激に成長しました。

西暦1097年の記録によれば、この当時のジェノヴァの人口は約10,000人となっています。

第1回十字軍には12隻のガレー船団と1,200人のジェノヴァ人が参加しています。

同じ第1回十字軍に、ピサは120隻近くの艦隊を派遣していますので、大規模な船団を派遣したとは言えないかもしれませんが、しかし人口比率で考えると、実に市民の9人に1人が参加したことになります。

この十字軍では主に兵力の海上輸送で貢献し、アンティオキア攻略戦では海上封鎖も行うなどして活躍しました。

第1回十字軍によってエルサレムとパレスティナが陥落すると、ジェノヴァはアンティオキア公国、エルサレム公国と軍事同盟、通商条約を締結します。

これによってアンティオキア、エルサレム、カエサリア、アッコンに通商拠点を獲得した他、カエサリアとアッコンの港湾税収入の3分の1を受け取る事になりました。

こうしてエルサレム王国の宗主権が及ぶ地域では、ピサやヴェネツィアに対してジェノヴァが優位に立ちました。

この頃からジェノヴァは都市国家となり、後にはヴェネツィア、ピサ、アマルフィとともにイタリアの四大海洋都市国家となります。

11世紀、12世紀にはたびたびピサによって圧迫されていたジェノヴァ共和国でしたら、時代が下るにつれてその海上優位を覆していきました。

西暦1204年にヴェネツィアに唆された第4回十字軍が東ローマ帝国を攻略し、ラテン帝国を建国すると、東地中海交易はヴェネツィア商人が独占的な利益をあげるようになりました。

しかし、西暦1261年にニカイア帝国がコンスタンティノープルを奪還し、東ローマ帝国を再興すると、今度はジェノヴァ商人とピサ商人が莫大な利益をあげるようになります。

西暦1284年にはジェノヴァ海軍とピサ海軍の間で大規模な海戦が行われ、この海戦に勝利したジェノヴァは西地中海の制海権を得るとともに、東地中海地域におけるピサの交易拠点の一部を奪い、またコルシカ島を奪還し、サルデーニャ島にも拠点を建設しました。

この後は西地中海の王者として、東地中海の女王ヴェネツィアと海洋覇権をかけて時に争い、時には協力して、莫大な利益を生み出しました。

しかし、ジェノヴァの利益の大部分を生み出す黒海交易は、オスマントルコ帝国の進出によって徐々に圧迫されていきました。

西暦1380年にはヴェネツィアとの海戦に敗北し、これ以降は東地中海への進出が難しくなります。

15世紀の終盤から16世紀前半にかけては、フランスに占領されたり、スペインに略奪されたりと、ジェノヴァは没落してしまいました。

しかし、西暦1528年にヨーロッパ最古の銀行でもあるジェノヴァのサン・ジョルジュ銀行が神聖ローマ帝国皇帝兼スペイン王カール5世に資金の貸し付けを行ったことから状況が一転し、ジェノヴァは主にスペイン王家や貴族を取引先とした金融業で巨万の富を築き上げ、華麗に復活を遂げました。

ここからがジェノヴァの黄金時代で、世界遺産の宮殿群が建設されたのもこの時代となります。

スペイン王国の興隆とともに復活したジェノヴァは、スペイン王国が衰退すると同じように衰退しました。

フェリペ2世によるデフォルト宣言を皮切りに、度重なるスペイン王室の破産宣言によってジェノヴァの金融業は大打撃を受けます。

こうして再び衰退していったジェノヴァ共和国は、最終的にナポレオン率いるフランス軍によって占領され、西暦1815年のウィーン会議でサルデーニャ王国への帰属が決定され、消滅してしまいました。

代表的建造物

パラッツォ・パンタレオ・スピノラ(Palazzo Pantaleo Spinola)

日本ではスピノーラ宮殿と呼ばれているこの建物は、16世紀にグリマルディ家が建設したロココ式の宮殿です。

現在はスピノーラ宮国立絵画館として利用されているこの宮殿は、5階建ての3階までは当時の邸宅を再現していて、4階、5階では絵画や陶器が展示されています。

パラッツォ・ロッソ(Palazzo Rosso)

パラッツォ・ロッソは赤レンガを使って作られた事から、赤の宮殿と呼ばれています。

白の宮殿と対になっている事で有名なこの宮殿は、現在では美術館として利用されています。

主に16世紀から17世紀頃の絵画が展示されています。

パラッツォ・ビアンコ(Palazzo Bianco)

こちらは外壁が白いことから白の宮殿と呼ばれていて、やはり16世紀にグリマルディ家によって建設されたものです。

赤の宮殿と対を成すこちらの宮殿も現在では美術館として利用されていて、17世紀から18世紀のイタリアの絵画が展示されています。

ガリバルディ通り添いにはこの他にも多くの宮殿があり、大半は16世紀に建設されたものです。

お役立ち情報

こちらではジェノヴァ度観光に役立つ情報や豆知識をお伝えします。

ジェノヴァ名物 フォカッチャ

ジェノヴァの名物となっている食べ物がフォカッチャです。

イタリアではどこに言っても食べられますが、ジェノヴァのフォカッチャは他とは違うという方が多いです。

私もジェノヴァを訪れた時に試してみました。

朝、パン屋さんで焼きたてを買ったこともあるのかもしれませんが、たまねぎとチーズのフォカッチャは熱々でとても美味しかったです。

ジェノヴァ旧市街

ガリバルディ通りの南西一帯はジェノヴァの旧市街です。

昼間でも陽が差さず、暗く狭い通りが多い町並みはなんだか怪しい雰囲気も漂います。

とはいえ昼間は意外に人通りも多く特に危ない事もありません。

もともとの港町、ジェノヴァの雰囲気が一番色濃く残っているのがこの旧市街だと言われていますので、昼間に歩いてみるのも良いでしょう。

最後に

いかがでしたか。

これをきっかけにレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度に興味を持って頂けたなら幸いです。

ジェノヴァは14中世のイタリアを代表する都市国家なのですが、名前を聞いたことがあっても、ヴェネツィアのライバルという他には日本ではあまりよく知られていません。

交易で力を持っていた頃のジェノヴァは、チームワークのヴェネツィア商人に対して個人プレーのジェノヴァ商人と言われていました。

これは一攫千金を狙ってリスクの高い航海や取引を好むジェノヴァ商人の気質を表していると言われています。

そんなジェノヴァの宮殿群と、ライバルヴェネツィアやフィレンツェの宮殿群を比べてみると、やっぱりどこか荒っぽい雰囲気があるように思います。

観光地としては、観光スポットが狭いエリアに集中しているので短い日程で回りきることができます。

その気になれば1日で全てを見て回ることもできますよ。

イタリアにご旅行の際には、是非ジェノヴァへも足をお運び下さい!